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第十章

二 蠱惑の瞳


 傍にいれば求めてしまう。傷付けても憎まれても、彼女の全てを自分のものにしたいと……
(俺はいつかあいつを壊してしまうかもしれない)
 そんな危惧を抱きながら、でもその想いを留める術を見付けられず、流されるままロイエンタールはヘネラリーフェを伴ってイゼルローンへと出撃していった。
 一方ヘネラリーフェの方は行くとは言ってしまったものの、出発してみれば後悔の日々という体たらくだ。だが考えようによっては、後悔は後悔でなくなる。
 一一月二〇日、ロイエンタールの艦隊はイゼルローン回廊に突入し、それはイゼルローン要塞の知るところとなる。ロイエンタールは麾下の艦隊を要塞の前面に展開させた。無論要塞主砲の射程外にである。
「撃て」
 やがて司令官の右手が鋭く空を切り、三十万を越す砲門が一斉に光の槍を投擲する。そうした上でロイエンタールは艦橋にヘネラリーフェを呼びつけたのだった。
 ヘネラリーフェが艦橋に引っぱり出された時、既にイゼルローンから艦隊が出撃しており、それは要塞砲の射程のギリギリのラインで乱戦状態にあった。
 同盟軍の混乱が手に取るようにわかる。ロイエンタールの手腕のもの凄さを見せつけられた想いだ。確かに彼の戦術家としての才能は自分が一番よく知っている。自分は真正面で彼と戦ったのだ。だが、こうして客観的に見せつけられると……目の前で友が、仲間がロイエンタールにものの見事にしてやられる様を見せつけられ、ヘネラリーフェは動揺した。
(フィッシャー提督……アッテンボロー先輩……)
 何故こんな場に自分を呼びつけたのか、何故自分にこんな場面を見せつけるのか、ロイエンタールの真意がわからず、かといってそんな彼への怒りはみるみる頭をもたげ、ヘネラリーフェはキッとロイエンタールを睨み付けた。
 しかし、動揺している場合ではないと思い直すのにそう時間はかからなかった。自分はあくまでもヤン艦隊の人間なのだ。フィッシャーやアッテンボローを、ヤン=ウェンリーを、ここにいながら援護することが出来ないのか? 
(落ち着いて……私はヤン=ウェンリーの幕僚なのよ)
 今ヤンが何を考えているのか考えるのだ。パニクるのは後回し……自分を捨てるのも同様。
(ヤン提督ならこの後どうするだろう?)
 ヘネラリーフェは目の前に展開する凄惨な光景から意識を逸らすかのように目を閉じた。
 この状況では要塞砲は使えない。かといって味方を見殺しにすることもできない。とすれば、増援部隊を繰り出すしかないだろう。その場合ヤン自身が陣頭に立つこともありうる。そうだ、恐らく旗艦ヒューベリオンが出撃してくるに違いない。それを見れば帝国軍はいきり立つだろう。陽動の筈が一番大きな獲物を奪取できるチャンスでもある。そして恐らく艦隊を突出させるに違いない。が、それではヤンが危なくなる。そんな危険を冒してまで友軍を助けても、司令官自身が葬られてしまえば全てが無に帰すのだ。
(ヤン提督は出てこない。でも……)
 考えられるのはヤンの乗艦しないヒューベリオンが出撃してくることだろう。だが、ヤンのことだ。それだけではない筈だ。ロイエンタール程の有能な将帥の足下をすくうには、むしろ二流の詭計をしかけて虚をつくべきだと恐らくヤンは考える筈。旗艦ヒューベリオンを囮として使い、そしてどうするのか?
(強襲揚陸艦か……)
 どうやら危惧通りシェーンコップと顔を合わすことになるかもしれない。だが、それならそれで良い。逢って一刻も早くハイネセンへ向かうように伝え、そして、自分の無事を知らせられれば良い……その後のことは、今は考えまい。
 ここまで考えれば自分のやるべきことは自然と見えてくる。きっとシェーンコップ達はロイエンタールを殺すか捕らえるかすることを目的にしてくるだろう。だったら隙を作れば良い。僚艦に守られたこの旗艦トリスタンにだ。
 ヘネラリーフェは自らを落ち着かせるために静かに息を吐き出した。これまで何度も戦闘に従事してきて初めての策、そして恐らくこんなことは最初で最後だろう。そう、できるだけ一度きりで済ませたかった。
 何度か深呼吸をすると、意を決したようにロイエンタールを見上ながら彼の袖口を引っ張る。
「?」
 ヘネラリーフェの方がロイエンタールに歩み寄ることなど皆無な上に、しかも遼軍を叩きのめしている敵司令官に対してのその行動にロイエンタールは一瞬怪訝な表情をし、そしてヘネラリーフェの眼を見た途端表情は凍り付いた。
 潤んだような眼差し、半開きの濡れた可憐な口唇……あまりに蠱惑的な様相にロイエンタールは一瞬そこが戦場であることを忘れそうな錯覚に襲われた。
 ヘネラリーフェが伸び上がるようにしてロイエンタールの耳元に口唇を寄せてくる。微かな囁きが甘やかな吐息とともに吹きかけられた。
「抱いて……」
(何を考えている?)
 ヘネラリーフェの真意がまったくわからない。それでも流れに任せてみるのも一興と思うのはロイエンタールの有能さかもしれない。ヘネラリーフェが何も考えずにこんな行動に出てくる筈はない。そして、何か考えているとしたらそれはイゼルローン艦隊のことだけだろう。
 それにしても思いもしない方向に事態が流れるものだと苦笑が漏れた。ヘネラリーフェに殺して貰うには彼女を怒らせるしかないと、ただその為だけに艦橋に呼びつけたというのに、怒るどころか完全にヘネラリーフェに流れを変えられたという感さえしたのだ。
 戦闘中に司令官が艦橋不在になるというのは些どころか大問題だが、それでもロイエンタールは後をベルゲングリューンに一任するとヘネラリーフェを私室へと誘った。
「どうした風の吹き回しだ?」
 狼狽を冷ややかな声音の内に隠し、ロイエンタールがヘネラリーフェに問い掛ける。ヘネラリーフェはそんなロイエンタールに背を向けると、微かに震える手で自らの着衣を脱ぎ出した。
 まさか戦闘中に色仕掛けで敵を堕とすとは思ってもみなかった。落ち着けと自分に言い聞かせる割に鼓動は少しも落ち着きを見せず、手どころか全身が小刻みに震え出す。そんなヘネラリーフェの肩にそっと手を置いて動きを封じると、ロイエンタールは彼女をそのまま強引に抱き上げベッドに横たわらせた。
(私の考えていることなど、もしかしたらお見通しかも)
 そんな考えがチラリと脳裏を掠めたが、それを払拭するように軽く頸を振ると、ヘネラリーフェは震える指を上からのし掛かるロイエンタールにそろそろと伸ばし、そして彼の軍服の襟元に手をかけた。
 衣擦れの音が微かにして、ロイエンタールの逞しい体躯が露わになる。さすがに鍛え抜かれた身体だ。余分な筋肉のない引き締まった身体に思わず見とれる。
 ヘネラリーフェの口唇が吸い寄せられるようにしてロイエンタールの胸元を這った。ぎごちない舌の動きにロイエンタールはくすぐったさを覚える。
 ロイエンタールは咄嗟にヘネラリーフェの両肩を強い力で押さえると、主導権を握るのは自分とばかりにいつものように強引に彼女の躰を開いていき、ヘネラリーフェもまたロイエンタールの手管に理性を手放し暫し愛欲に身を任せたのだった。

 

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