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第十二章

五 流星


 倒れたヘネラリーフェの尋常ならざる様子に、ロイエンタールは医師に検査を依頼したが、その検査の結果と前後してある衝撃が帝国軍を襲った。
「ヤン=ウェンリーが撃たれた?」
 話し合いの為にブリュンヒルトに向かう艦内に暗殺者が乗り込んできたというのだ。その時点では、まだ事件の詳細はわからぬままである。だが、ロイエンタールは凍り付いた。このことがもしヘネラリーフェに知れたら……そして、それは現実のものになった。
「ヤン提督が、なんですって……?」
 目覚めたヘネラリーフェが真っ青な顔で戸口に佇む姿を見て、ロイエンタールは舌打ちした。迂闊だった。いつもなら、誰が近付いてきても気配で感じ取ることができる彼だが、今回ばかりは衝撃でそれを怠ったのだ。
「私の……私の所為だ……私が戦ったりしなければ!!」
 俄にヘネラリーフェは錯乱したように叫んだ。自分が戦わなければ、ヤンを戦場に引っぱり出さなければ……そんな後悔がヘネラリーフェを襲ったのだ。
「落ち着け、リーフェ!!」
 ロイエンタールはヘネラリーフェを抱き締め、その手を振り解こうと藻掻く華奢な躰を渾身の力で押さえ込んだ。不意に彼女の躰が力をなくす。そしてヘネラリーフェは床に崩れるように座り込んだ。
「まだ詳細は何もわかってはいない」
 確かにわかっているのはヤンが撃たれたということだけだった。だが、それはかえって事態を悪い方に考えさせるのだ。
 そんな時に医師が訪ねてきた。ヘネラリーフェの検査結果を持ってきたのだ。そして、それこそが再びロイエンタールを衝撃の淵へと叩き込む要因となった。
 医師の顔を見たロイエンタールは報告より先にヘネラリーフェを落ち着かせるよう要請し、それによりヘネラリーフェは鎮静剤を投与されベッドの住人となった。そうした上でロイエンタールは改めて医師と向き合い、そして……
「再生不良性貧血だと?」
 貧血と言ってもただの貧血ではない。二〇世紀の頃は発症原因も不明で、治療法はある程度確定していたものの、死亡する例も多くあったという難病である。今でこそ完治可能な病だが、それでも重傷になれば命の危険も考えられるのだ。
「なんてことだ……」
 ロイエンタールは拳を机に叩きつけた。ようやく戦いが終わり講和も夢ではなくなったというのに、一方ではヤンが銃弾に倒れ、そしてもう一方ではヘネラリーフェが病に倒れてしまうとは。
 その後のイゼルローンからの通信で、ヤンは辛くも命は取り留めたがそれでも重体だということが知らされた。
 ヘネラリーフェの症状は運良く軽傷で、このまま日常の生活を送るにはなんの問題もないことが説明された。だが、症状と本人の意思がかけ離れたところにあることは明白だった。
 ヘネラリーフェがこの戦いが終わったとき、恐らくその命を絶つであろう事はロイエンタールも薄々危惧していた。いや、ヤンに全力でぶつかっていくその姿から彼女が死を望んでいることを感じ取っていたのだ。今、ヤンが銃弾に倒れた。命は取り留めたが余談は許されない状態だという。それを聞いた彼女が何を考えるのか? 
「助かってくれ……」
 それはロイエンタールの心からの言葉だった。
 軍人として、何度煮え湯を飲まされたかしれない。今回のこの戦いでもそうだ。あれほどの大兵力を投入しながら、勝てなかった。皇帝ラインハルトは宇宙を制することは出来ても、個人を倒すことは出来なかったのだ。
 ヤンと言葉を交わしたのは、後にも先にも一度だけ。ハイネセンのヘネラリーフェの実家で、である。多くを語ったわけではない。ヤンはただ苦笑を湛えてそこにいる人間を眺めていただけにすぎなかったのだから。
 だが、何故ヘネラリーフェがヤンに執着するのかがわかったような気がした。自分にはない大きさと優しさ。ダグラスとはまた違った何かをヤンは持っているのだ。
 ヘネラリーフェが敬愛するヤン=ウェンリーという人物をもっと知りたいとさえ思った。何より、ヘネラリーフェの為になんとか生きて欲しいと思う。もしヤンの身に何事かが起これば、ヘネラリーフェはその場で命を絶ってしまうかもしれないのだ。
 それにしても人の命とはわからないものだ。つい先刻まで刃を交えていたヤン=ウェンリーがいま瀕死の床にあり、そしてつい先程まで凛然と佇んでいたヘネラリーフェが病の床にある。
 思えばダグラスの時もそうだった。目の前に立ちはだかる壁が消滅するのはなんと呆気ないことなのだろうか……まるで流星のようだった。

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