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7月7日・晴れ
 

 外は快晴。
 部屋に差し込む眩しい光に誘われるようにして窓外を見やると、真っ青な空が高く高く広がっている。
 確かに目の前にあるその光景が、だが今のヘネラリーフェにとってはまるで別世界のことのように思えてならなかった。
「起きていて大丈夫なのか?」
 突如、後ろから声が掛けられる。が、今更その声の主が誰なのかを確かめる必要もないらしく、ヘネラリーフェは振り向こうともせずに答えた。
「今日は気分がいいの」
 素っ気なくも見えるその態度が、実は心を許した者だけへのものだとわかっているシェーンコップは、口元に苦笑を浮かべただけで窓際に立つヘネラリーフェの隣へと歩を進めた。
 隣からチラリと覗き込んだヘネラリーフェの顔色は気分が良いと言う割には白すぎたが、それは敢えて黙認した。それ以上に、ここ最近には珍しいくらい彼女の機嫌が良いことがわかったから。
「何か見えるのか?」
 ヘネラリーフェの視線を追うようにして窓外を見やりながらシェーンコップが訊いたが、外にはいつもと何等変わることのない景色が広がっているだけであり、ヘネラリーフェの返答もそれを裏付けるようなものであった。
「まだ見えないわ」
(まだ?)
 ヘネラリーフェの微妙な言い回しの言葉に、シェーンコップは秀麗な眉を僅かに顰めた。無言で言葉の続きを促す。
「夜にならないと見えないの」
 視線を窓外から逸らすことなく、ヘネラリーフェは呟くように言葉を紡いだ。
 一体なんのことやらシェーンコップにはまったくわからない。が、わからないながらも、ヘネラリーフェが夜を待っていることだけはわかる。日没までまだ数時間あるというのに、一体何をそれ程心待ちにしているのだろうか?
 
 宇宙歴八〇二年七月、ハイネセンの治安もひとまず回復したことを見届けたヘネラリーフェは闘病の為軍病院に入院していた。
 イゼルローンでロイエンタールと別れてほぼ一年。病を治し、長く続いた戦争と混乱で荒みきった自由惑星同盟を再び健康な国家にするために、ヘネラリーフェは敢えて彼と離れハイネセンに戻ってきた。
 が、国家の方はともかくとして、病状の方は治療の効果もあまり認められず一進一退を繰り返す状態で、旧イゼルローン独立政府つまりヤンファミリーの面々は、少しでも早くヘネラリーフェをフェザーンのロイエンタールの元に帰してやりたいと思えば思うほど遅々として進まぬ治療に苛つきを隠せずにいる。
 ひとまずヘネラリーフェは小康状態を保ってはいるものの、いつ様態が悪化するとも思えず、現に発熱と貧血は相変わらずで実は今朝方まで寝込んでいた状態でもあった。
 医師もさすがに最終手段に訴えなければならないかもしれないと考え、現在HLAの適合者を捜しているという。つまり、骨髄移植或いは、同種末しょう血幹細胞移植である。
 が、今のところ適合者が見つかったという連絡はなく、またシェーンコップが秘密裏に依頼した人物の検査結果もまだ出ていない。
 
「夜になると何か見えるのか?」
 単刀直入に訊きたい気持ちを抑えながらシェーンコップは尚も訊ねた。元来ヘネラリーフェにはこういう(人の質問をはぐらかしたり、のらりくらりと答えるようなこと)ところが多々あったので、慣れた人間は単刀直入な質問を敢えて避けるようになってしまっているのだ。
「星」
 時間をかけた割には、帰ってきた返事はあっけないものであった。だが、恐らくその一言に様々な想いが込められているのだろう。その辺は伊達に近くでヘネラリーフェを見てきたシェーンコップではない。彼は、ヘネラリーフェの口が再び開かれるのを黙って待った。
「今日は七月七日でしょ?」
「ああ」
「中国と言ってもわからないかなぁ。古代の地球で語り継がれていた神話があってね」
 つまり今日が、星になぞられたその神話の中で語られている重要な日なのだという。
「離ればなれにされた恋人同士が、年に一度七月七日の日にだけ会うことを許されたんですって」
 それは遙かに遠い昔の伝説。恋人との逢瀬に現を抜かした娘に怒った天帝が、二人を川のあちら側とこちら側に引き離してしまった。だが娘があまりに嘆き哀しむのを不憫に思った父帝は、年に一度七夕の夜にだけ二人の逢瀬を許した。だが、雨が降ると川が氾濫して二人は会えなくなってしまうという。
「俺なら泳いででも会いに行くがな」
 シェーンコップの言葉にヘネラリーフェはクスリと苦笑した。まったく彼らしい強引な、でも前向きな言葉である。
「貴方ほど体力があればそうするでしょうよ」
 そう……それは自分自身も願っていることだ。一瞬伏し目がちになったヘネラリーフェをシェーンコップの深い眼差しが見守る。
 気を取り直すように首を振ったヘネラリーフェは、明るい声を出した。
「でも年に一度でも会えるとわかっていればいいわよね。それを励みにできる……」
 言いながら、己の視界が急速に狭まったことにヘネラリーフェは気付いた。躰が揺れ、態勢を整えようとする間もなく世界が暗転する。
 紡がれる言葉が急速に小さくなり途切れたと思ったと同時に、シェーンコップの横にあった華奢な躰が力を無くしたように崩れ落ちた。
「リーフェ!?」
 咄嗟に腕で抱き留める。
「お前……熱が下がっていなかったのか?」
 グッタリとした細い躰からは異様なほどの熱が伝わってきた。気分が良いなどと言っておいて、実は立っているのもやっとだったに違いない。
「まったく……病気を治す以前の問題だな」
「大丈夫だから、ここにいさせて」
「駄目だ」
 苦言を浴びせると、シェーンコップは抗おうとするヘネラリーフェ易々と抱き上げベッドに横たわらせた。
「お願い……今日だけは我が儘を聞いて」
 今日だけは外を見ていたい……刻々と変わる宙を見上げていたいのだ。細い腕が懇願するようにシェーンコップの着衣の端を掴む。振り払えば簡単に振り解けるだろうその弱い力が、今のヘネラリーフェに出せる渾身の力だということに気付いた彼は声を失った。
(これほど悪くなっていたとは……)
「お願い……」
 荒い息でそう言いながら彼女は起きあがろうとする。さすがのシェーンコップも声を荒げてヘネラリーフェを怒鳴りつけた。
「お前は、自分の躰が今どういう状態なのかわかっているのか!? ロイエンタールの所に帰りたいんじゃないのか? こんなことをしていれば、帰る以前にあの世行きだということぐらいわからんのかっ!!」
 イゼルローンでの最後の夜、シェーンコップはロイエンタールと約束した。必ずヘネラリーフェを守ると。その約束を反故にするわけにはいかない。なんとしてもヘネラリーフェを、元気になったヘネラリーフェをロイエンタールの元に送り届けてやらなくてはならないのだ。それが今のシェーンコップにとっての最重要使命なのである。
「頼むから……俺に約束を破らせないでくれ。あの男に借りを作りたくはないからな」
 起きあがろうとするヘネラリーフェの肩を押さえるようにして、さっきとはうって変わった静かな口調で語りかけるシェーンコップに、だがヘネラリーフェは震える口調で言い募った。
「星が見たいの……天の二人が出逢う瞬間を見たい。私にはできないから」
 ヘネラリーフェが今夜に拘る理由がやっとわかった。
 会いたくて、会いたくて、でも会えなくて。だからせめて同じ空を見上げて奇跡の夜を分かち合いたいのだ。そう……恐らくあの伝説をフェザーンのロイエンタールも知っているのだろう。 
「莫迦だな、お前は……だったらどうして離れた?」
 答えられるはずもない問い掛け。だが、答えられないとわかっていても尚、問わずにはいられなかった。 
 何故離れたのか、何故軍人であることを選んだのか、そして、何よりもロイエンタールだけに必要とされる人間でいるだけでは駄目だったのかと。
 案の定、ヘネラリーフェはただシェーンコップに儚げな笑みを向けただけで何も言わなかった。
「星が出たら嫌だと言っても見せてやるから、だから少し寝ろ」
 琥珀色の髪をいつもより乱暴に掻き乱した指で、ヘネラリーフェの瞼を閉じさせる。彼女は大人しく従った。シェーンコップの気性は嫌と言うほど知っている。彼が言うからには、絶対に星を見させてくれるだろうと確信したのだ。
「おやすみ……」
 白皙の頬に軽く口付けるのとほぼ同時にヘネラリーフェは眠りに堕ちたようだ。それを確認してから、ふとシェーンコップは窓外を見やり次の瞬間軽く舌打ちした。
 あれほど晴れ渡っていた空が、いつのまにか鈍色に彩られている。
「雨か……」
 雨が降れば星が見えなくなる。なにより、天の二人が出逢えない。
「それを知ったときの反応が怖いな」
 今日の様子を見る限り、ヘネラリーフェの様態はハッキリ言って余談を許さない状態だろう。衰弱も激しい。発熱の繰り返しと貧血が明らかに彼女の体力を奪っていっているのだ。
 自らの願いを伝説の恋人同士に委ねるなど、ヘネラリーフェの気性からは考えられないことである。彼女ならそれこそ泳いででも……と考えるはずなのだ。なのに…… 心も弱っているあの状態では、精神的な衝撃でさえも命取りになりかねない。シェーンコップは危惧を抱いた。
「夕立で済んでくれればいいが」
 呟いたその時、看護婦が顔を覗かせ何事かを彼の耳元に囁く。数瞬後シェーンコップはヘネラリーフェの病室から飛び出していた。
 それから数刻の後、雨が降り出した。雨足は徐々に激しさを増し、ヘネラリーフェの病室も雨音に包み込まれていく。だが幸か不幸かヘネラリーフェの眠りは深く、それに気付くことはなかった。

◇◇◇◇◇

「どこにいる?」
「あちらに」
 部下の指さす方にスラリとした長身がある。白の開襟シャツと麻のパンツの上に、パンツと同色の麻のジャケットを羽織っただけの軽装ながらも、全身にまとわりつく近付きがたい冷ややかな気と、それとは相反する華やかな艶は消しようもなく、行き過ぎる人々の視線は彼に集中していた。
「なかなか行動的な性格のようですな、閣下は」
 不敵な笑みでもって、シェーンコップ独特の歓迎の意を含ませた言葉を放つ。
「来た方が早かろう?」
 相手の方も、左右色違いの金銀妖瞳にシェーンコップに負けず劣らずの挑発的な笑みを浮かべながら、彼の言葉など意に介さずといった体で素っ気なく答えた。
「よく来られましたな」
 これは本心である。いくら和平が締結されたと言っても相手は帝国軍の上も上、統帥本部総長なのだ。平和なら平和なりに忙しい身であるし、プライベートであっても公人としての立場を重んじなければならない身分の為、軽々しく個人で動くこともままならない。よって、ハイネセンへもおいそれとやってこれるとは到底思えなかったのだ。
「なんとかわかってもらえた。で、彼女は?」
 口調ではサラリと言い除けたが、恐らくかなりの強行軍でもってハイネセンにやってきたのだろう。
 皇帝ラインハルトは物わかりの悪い人間ではないし、事情は呑み込んでいるだろうが、国家の重鎮がそう長く職務を離れることはできない。
 行き先が同盟領であるということ、そしてまったくの私的な理由であるということに対して公私混同だと非難する輩も多かろう。
 しかし、何をおいても駆け付けてくれたロイエンタールのヘネラリーフェへの想いに、今は感謝せずにはいられなかった。
「あまり良くない……」
 シェーンコップは完結にヘネラリーフェの容態を説明し、最後に逡巡しながら付け加えた。
「本当に知らせないつもりですかな?」
「それが、互いの為だ」
 ロイエンタールは今回の自分の来訪をヘネラリーフェに伝えないようにと頼んだのである。 
 会えば離ればなれでいることに耐えられなくなる。それでも、ヘネラリーフェは敢えて離ればなれでいることを選ぶだろう。だが、きっと心が耐えられない。ロイエンタールを求めて、求めすぎて、きっといつか心が壊れてしまう。
 そしてそれはロイエンタールも同様だった。会ってしまえば、欲しいと思う。恐らく、いや確実に傍に置きたいと願ってしまうだろう。
「そこまで辛い思いをして離れる必要があるのか?」
 慇懃な態度はいつしか無礼千万な男の本来の姿に取って代わっていた。
「あの時、できることならあいつを強引にでも連れ帰りたかった」
 シェーンコップの言葉に、ロイエンタールはポツリポツリと言葉を紡ぐ。
 できることならそうしていた。嫌がろうが抗おうが、例え鎖で縛り付けることになっても、イゼルローンを出るあの時ヘネラリーフェを共に連れて行きたかった。
「同盟も帝国も関係ない。俺の傍で、俺だけの為に微笑んでいて欲しかった」
 だが、それをすれば恐らくヘネラリーフェの心は死んでいた。ロイエンタールが愛したヘネラリーフェは、決して彼の傍で彼の為だけに優しげに微笑んでいる女ではなかったから。
「あのまま連れ去れば、俺は恐らくリーフェを鎖につなぎ、屋敷に閉じ込め、挙げ句の果てに人形のように従属させていた。それでは捕虜だった頃と何も変わらない」
 ヘネラリーフェの意思を尊重したい。その為にはまず自分が強くならなければならなかった。ヘネラリーフェの全てを受け入れ、支えられるだけの強さが必要だったのだ。
「俺はまだ弱い。リーフェが傍にいないことが不安でたまらない」
「それはあいつも同じだ」
 だから星に希望を託そうとする。
 シェーンコップの言葉に、だがロイエンタールは首を横に振った。
「それでもあいつは耐えているだろう? 俺は耐えることができず、遂にここまで来てしまった」
 HLV適合検査など体の良い言い訳にすぎない。検査だけならフェザーンでも可能だし、データは超高速通信でハイネセンに送ることができる。結果が出てからロイエンタールがフェザーンを出発しても、多分十分に間に合っただろう。
 来てしまったことはもう消しようがない。だが、ここで流されるがままにヘネラリーフェと会えば想いが堰を切って溢れ出す。ヘネラリーフェの気丈な心も崩れてしまうだろう。
「そこまで言うなら無理にとは言わないが、だが顔くらい見ていってやれ」
 シェーンコップはそう言うと、ロイエンタールの逡巡するような素振りには気付かぬ風を装い、歩みを早めた。

 やはり断るべきだったのかもしれない……ヘネラリーフェの病室の前でロイエンタールはそんなことを考えた。
 シェーンコップの説明では、ヘネラリーフェはここ数日熱が下がらず、今日も無理して起きていたため倒れたという。
 今は眠っているので顔を見るだけならチャンスだと、シェーンコップにそそのかされて来てはみたものの、やはり会うことは躊躇われた。
 散々逡巡するロイエンタールを後目にシェーンコップが病室のドアを静かに開ける。その途端、迷いは霧散した。
 白いシーツの上に、忘れようにも忘れられない琥珀色の髪が波打つように広がっているのが見える。まるで夢の中にでもいるような足取りで、ロイエンタールは病室に足を踏み入れた。
 白い肌が仄かに紅色に染まっているのは熱のせいだろうか? 息づかいも荒く辛そうで。閉じられた瞼の下の海の如く澄み切った青緑色の双眸が見られないのが何よりも残念だった。 
 顔を見るだけ……そのつもりだった。だが、見てしまえば触れたくなる。優美な指がヘネラリーフェの口元に伸ばされ、だが触れる直前でそれは引き戻される。そんなことを何度も繰り返すうち、突如ヘネラリーフェの可憐な口元から微かな声が漏れた。
「雨の匂いがする……」
 ロイエンタールは息を呑んで佇む以外術がなかった。彼の見守る中、青緑色の双眸がすうっと開かれる。
「雨降っているの?」
 ノロノロと首を窓の方に向けようとする。咄嗟にシェーンコップが声をかけた。
「いや、もう止んだ」
 嘘ではなかった。つい先刻、いやこの部屋に入る瞬間まであんなに激しく降りしきっていた雨が、ヘネラリーフェの声につられるように見やった窓外では既に上がっていたのだ。
 それは七夕の奇跡なのだろうか……宙は晴れ渡り、輝く星が徐々に数を増していく。辺りは、月もないのに乳白色な明るさに包まれていた。
「願いが通じたかな」
 シェーンコップが窓を開けると、雨上がりの風が揺らしたのか木々が音をたて、緑の香りを帯びたヒンヤリとした空気が部屋の中を拭っていく。
「ロイエンタールがいる……」 
 不意に呟かれた言葉に、シェーンコップは些か心拍数を上げながらヘネラリーフェを振り返った。
(やはり無理があったか)
 いくら病の床にあるとはいえ、元々鋭敏な神経の持ち主であるヘネラリーフェがロイエンタールの気を感じ取れないはずがないのだ。
 そう思いながら見やった先には、だが熱に浮かされたような虚ろな眼差しがあるだけで……ヘネラリーフェはまだ夢の中にいた。彼女は熱のせいで夢うつつの世界を彷徨っているのだ。だとしたら……
 シェーンコップはロイエンタールを促すように彼に頷いて見せる。
 恐る恐ると形容するのが恐らく一番相応しいと思えるような仕草で、ロイエンタールはヘネラリーフェを覗き込んだ。
「…………」
 どちらも言葉が出なかった。
 ヘネラリーフェが震える指先をロイエンタールに伸ばし、彼はそれをそっと握り締める。だが次の瞬間、ヘネラリーフェの満たされたような柔らかな声が彼等の耳に流れ込んだ。
「七夕って奇跡も起こるものなのね。夢でいいからロイエンタールに会いたい……そう思っていたら、本当に会わせてくれた」
 果たして、ヘネラリーフェはこれが現実のことだと認識できたのか、それともやはり夢の中の出来事だと思っているのか……それはロイエンタールにもシェーンコップにも判断できない。
 それでも、離ればなれでいる二人が、満点の星の下で同じ刻を分かち合っている。それは正に七月七日の奇跡だろう。
「リーフェ……リーフェ、リーフェ……」
 ロイエンタールが彼女の名を何度も囁きながら華奢な躰を抱き締める。会ってしまえば……そんな不安も決意もとっくの昔にキレイサッパリ消え失せていた。やはり自分はどこまでも弱い人間なのだ。だが、今だけはそれでもいいと思えた。
「星が見たい」
 ポツリとヘネラリーフェが言う。天の奇跡も自らの目で確かめたいのだろう。ロイエンタールはヘネラリーフェの躰をそっと抱き上げると窓際にある椅子まで移動し、彼女の躰を膝の上に抱き上げたまま座った。 
 少し熱っぽい躰が、だがロイエンタールにヘネラリーフェの温もりを実感させ心地良ささえ感じさせる。
「見えるか?」
「うん」
 シェーンコップは、たった一晩の恋人達の逢瀬を邪魔する気はないとばかりに、そっと病室から出ていった。
 その彼を待ち受けていたかのように医師が近付き、一言言葉を放つ。
「適合しました」
 その言葉に、不敵と冷静で慣らした男は目を見開いて驚いて見せたあと、喉の奥から絞り出すように笑いだした。
「まったく、今夜は奇跡だらけだな」

 病室では、二人が短すぎる夜を惜しむように寄り添っていた。
「天の二人は今頃何しているのかしらね」
「俺達と同じさ。逝く刻を惜しむように寄り添っているに違いない」
 だが、俺達はいつまでもこのままではないはずだ。ロイエンタールは内心でそう呟いた。
 何年後になるかわからないが、ヘネラリーフェは必ず己の元に帰ってきてくれるだろう。そして、その時は自分自身何者にも動かされず傷付けられないほどの強さを身につけた男になっていたい。ヘネラリーフェのすべてを受け止められるように。
「夢なのに、夢の筈なのにロイエンタールの胸、暖かいね」
 ヘネラリーフェがロイエンタールの胸に頬を擦り寄せる。彼はそんな彼女の琥珀色の髪に顔を埋めるようにして口付けた。
 刻が止まればいいのに……これこそが正直な二人の気持ちに違いない。
「風が冷たくなってきたな。そろそろベッドに入った方がいい」
 ロイエンタールはそう言うとヘネラリーフェを抱き上げたまま立ち上がり、彼女をベッドに運ぶ。
 華奢な躰を降ろし名残惜しそうに離れようとすると、細い腕がロイエンタールの指を掴んだ。
「また会えるよね?」
 真摯な青緑色の双眸がロイエンタールの金銀妖瞳を真っ直ぐに射抜く。熱のせいでそれは少し潤んで輝き、彼を益々魅了した。
「ああ、必ず会える」
 ロイエンタールの指を握っていたヘネラリーフェの手がそっと彼の右目に伸ばされる。ロイエンタールは彼女の躰を気遣い、そっと腰を屈め顔を彼女に近づけた。
 右目に優しくて暖かな指の感触。ロイエンタールはその手をとると、指に柔らかな口付けを落とす。一本ずつ味わうように愛撫を施し、やがてその端麗な口唇は腕から肩へ、肩から首筋、喉元、頬を滑り、可憐な薄紅色の口唇へと到達し……舌を絡め、甘やかな吐息を存分に貪り、二人は名残を惜しむように口付けを繰り返したのだった。
 翌朝目覚めたヘネラリーフェは熱もすっかり下がり、精神も体調もすこぶる良好であった。無論ロイエンタールの姿は跡形もなく消えていた。果たしてあれは夢だったのか現実だったのか……だが、心が満たされていることには違いない。
 ヘネラリーフェの様子に、これならと医師はホッと安堵の息を洩らしたようだ。
 いくらHLVの適合者が見つかっても、患者の体力が著しく低下していては治療に踏み切れなかったのだ。
 シェーンコップの方は恐らく医師以上に安堵していたに違いない。ロイエンタールに秘密裏に検査を受けるように依頼したのは、他ならぬ彼なのだから。しかも駄目元でだ。奇跡を呼び寄せたのは、彼自身に他ならないわけである。

 それから数ヶ月後、ヘネラリーフェはフェザーンのロイエンタールの元に旅立った。
 彼女は、だが知らない。自分の躰の中にロイエンタールの血が流れていることを……血液幹細胞の移植の際に感じた全身が包まれるような暖かさが、まさしくロイエンタールのものなのだということを……

 

Fin

 

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*かいせつ*

せっかくの年に一度のイベントなので、ついつい七夕タで書いてしまいました。
タイトルは言わずと知れたドリカムの名曲からパクッったものです(爆)
内容にも歌詞の世界を少~~~しだけ散りばめさせていただきました。

さて、背景はロイエンタールとヘネラリーフェがイゼルローンで別れてから約一年後の七夕の日。
本編の終章では一年数ヶ月一度も会っていなかったというニュアンスで描きましたが、でもこんなことがあってもいいかなぁと思い書きました。それにヘネラリーフェ側から見れば会っていないことになっていますしね。
あんな時代になってまで七夕の伝説が語り継がれているのか、更にハイネセンから織り姫と彦星が見られるのかという疑問はこの際考えないようにしましょう!!
最近自分が低調なせいか「優しい雨」といい、この「七月七日・晴れ」といい、どうも暗くなりがちなストーリーなんですが、突貫工事的に書いた割には(今日一日で書き上げちゃったんですよ、信じられないことに)この「七月七日・晴れ」結構気に入っちゃいました(^^;;)
幻想的で刹那的でちょっと悲哀こもったストーリーを目指していたのですが、実は自分の描きたい世界観を私の力量では描ききれていないきらいもありますね(涙)
でも好きです。皆さんは如何思われましたか?
そうそう、一番美味しいのはシェーンコップですかね、やっぱり(^^;;)

それから、最後のシーンについてちょっと。
ヘネラリーフェが実はロイエンタールの血液幹細胞なり骨髄を移植されて元気になったという描写ですが、確かにご都合主義ととれなくもありません。でも、やはりこうなってしまったというか、こうしてしまいました。
更に彼女はそのことを知らないということになっていますが、こう書いたものの私は彼女はいずれ気付くんじゃないかなと思っています。
そう、多分フェザーンでロイエンタールと再会したその時に……

 

2001/7/06 かくてる♪てぃすと 蒼乃拝

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