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女の箔散らし
 

「素敵だわぁ・・・」
 見とれてしまったショーウィンドウの前で、ヘネラリーフェは思わず呟いてしまった。
 その店は、フェザーンの繁華街から1つ路地に入る目立たない場所にあった。佇まいは静かだが、知る人ぞ知る民族衣装-着物の名店だった。
 ヘネラリーフェは、偶然その店の存在を知り、生地の良さで試しに1着仕立て、更にその出来に満足をしてからはフェザーンにいる時は時間があれば寄るようにしている。
 今日も、同盟軍の仕事を終えロイエンタール邸に帰宅する途中、わざわざ立ち寄った次第である。
 店のショーウィンドウには、夏用ということで、麻の着物が飾られていた。
「素材感を大切にして、尚且つ藍濃淡で涼しさを感じさせて、おまけに色を抑えているなんて・・・本当に凄いわね」
 できることならばすぐ買いたいが、いかんせん飾られている着物に付けられている値札は、ヘネラリーフェでも躊躇う金額が記されていた。
「「はぁあ・・・」」
 つい溜息をついたヘネラリーフェだったが、それが他の人間と重なっていたことで、すぐ近くに他の人間がいたことに気がついた。
 ヘネラリーフェと同じように溜息をついたのは、やはり女性で、ショーウィンドウの前で、やはりヘネラリーフェと同じように着物を熱心に眺めていた様子だった。
 お互い目が合ってしまい、2人とも照れくさいのか苦笑いをしてその場は収まった。
 軽く会釈をしてヘネラリーフェの前を通り過ぎ去った女性は、ヘネラリーフェより少し年上に見え金髪に紫の瞳を持っていた。

 店に入って初老の女店主と話をしたヘネラリーフェは、もうすぐ始まるフェザーンのバーゲンシーズンに、この店も例外ではないことを知った。
「他の店ほど、仰々しくはしませんけどなぁ」
 通常より「少し」早めに店を開け、「少し」商品を安くするという。
 その時、ヘネラリーフェの頭の中には、ショーウィンドウの麻の着物のことが浮かんだ。
 バーゲンの時ならば!、という思いと同時に、先程店の前で出会った女性の存在に、ヘネラリーフェの闘志に火がついた。

「聞いているんですか」
 副官のセレスティーヌ=ウェルズリーから叱責を受けて、ヘネラリーフェは仲間にぐるりと囲まれている現状に気がついた。
「明日は、帝国軍との合同会議-というよりは、交渉なんですからね。しっかりしてもらわなくては、困りますよ」
 現在、帝国軍と同盟軍は合同でイゼルローン要塞に軍隊を駐留させている。その費用負担の割合が、今回の合同会議の主題だった。
 一応これまで何度か会議は開かれたのだが、共和政府としては、うまく帝国軍にやりこめられているというのが、実感としてある。
「アッテンボロー提督が敵わなかった相手ですからね。だから、閣下にも出席を願ったんじゃないですか」
「何で私なのよぉ~」
「向こうの実質責任者が、女性だからだ」
 苦々しそうに告げたのは、これまたハイネセンから会議のためにやってきたキャゼルヌだった。
「ふ~ん、相当切れ者なんでしょうね。その人、何ていうの?」
「事務次官の、ワルラーフ大将だ。仕事ができることは確かなんだがな」
 そこで、打ち合わせにこれまた来ていたアッテンボローと見合わせて、キャゼルヌは溜息をついた。
「何しろ、あのほんわかとした雰囲気で、アッテンボローの論説をうまくかわしてしまうんだ。ならば、お前さんのほうが適任だろうってな」
「おまけに、明日の会議は帝国3元帥のみならずカイザーまで出席するそうですよ。警備も厳しくなるでしょうし、こちらとしても毅然とした態度で臨まないと-」
 ヘネラリーフェは、セレスの言うことを聞いてはいたが、頭の中は別のことを考えていた。


 翌日、出仕時間までかなりの余裕を持って、ヘネラリーフェはロイエンタール邸を出た。
 サマーバーゲンで喧騒に包まれた繁華街など目にもくれず、ヘネラリーフェは目的の店に向かった。
 その店は、まさに今開いたばかりだったが、人影はなかった。
「間に合った・・・」
 ヘネラリーフェは安堵し、店に入ってショーウィンドウの後ろ側に立ち、目的の着物にそっと触れた。
「「これくださいな」」
 自分の口から出たのと同じ言葉が背後からも聞こえ、ヘネラリーフェは驚き、後ろに振り返った。
 みれば、先日ショーウィンドウですれ違った女性が、これまた同じ着物の腹部を掴んでいたのである。
 掴んでいるとはいえ指のみのことで、帯に隠れる腹部を掴むということは、それはそれだけこの女性がこの着物を大事に思っているからに他ならない。
 だからといって譲れるものでもなく、ヘネラリーフェも、これまた腹部を指でしっかりと掴んだ。
 店員も、火花を散らしあう2人を遠巻きに見ており、誰も声を出せなかった。

「まぁまぁ、マリア様。今日御出でになられるなんて、運がよろしゅうございますなぁ」
 丁度御連絡しようと思っていたんですよ、そう言って店の奥から出てきたのは女店主だった。いつもの飄々とした態度であったが、その手には反物が握られていた。 
「それは・・・」
「はい、先日御注文を受けた越後上布でございます」
 ヘネラリーフェもその名前だけは知っていた。過去に権力者への献上品として上質の麻布が使われたことで、上布という名称ができた。その極上の夏衣を指す上布の筆頭が、越後上布である。
 店主が差し出した反物は、僅かに広げられたその部分からさわやかさと何とも言えない味わいを見せ、嫌でも極上というものを感じさせた。
 マリア、と呼ばれた女性も、掴んだ着物と反物を見比べ、ついでヘネラリーフェと店主を眺め、観念したかのように、着物から手を離した。
「まさか、今これを出して、値段もこのままじゃないですわよね」
 反物の隅にある札は、今やヘネラリーフェのものとなった着物の4倍の値段が記されていた。
「マリア様に、そんな失礼なことはしません」
「じゃぁ、それで1着作ってくださいな。あと、それに合わせた長襦袢も欲しいので、反物を見繕って下さいね」
「何時頃いらっしゃいますか?」
「今日からまた少し忙しいけど、3,4日後には来れると思いますわ」
 ヘネラリーフェの存在を今や無視した形で、2人の女はやり取りをしていた。
 意外な成り行きで呆然としているヘネラリーフェを他所に、女性はさっさと店を出て行った。

 ともあれ、お目当ての着物を死守できたヘネラリーフェは、購入の手続きを取り店主と話し込んでいた。
「先程の方は、よく見えられるんですか?」
 ずっと気になっていたことを、ヘネラリーフェは尋ねた。
「ええ。お仕事が多忙でそれほど見えられませんけどね」
 客のプライバシーに関わることだけに、店主もそれなりの返事しかしないようだ。
「マリア・ワルラーフさんとおっしゃってね、何でも軍務省にお勤めで、男の部下さんまでお持ちのようで、それなりに偉い方だとは思いますよ」
 それでも、ここまで教えてくれるということは、ヘネラリーフェの正体を知っている上での親切からのことであろう。

 確かにその話は有り難かった。
 ワルラーフという名前に、ヘネラリーフェは今後のことを思い出し、脱兎のごとく店を出て帝国軍の軍務省に向かったのだから。
 身分証明はありいつもなら問題なく通過できる警備体制も、今日は厳重になっておりいつもより時間がかかった。
 そして、定刻ぎりぎりに着いたヘネラリーフェを迎えたのは、到着を待ち構えてイライラしている同胞達と、いつもなら遅延などありえない彼女の様子を心配し苦笑で表すしかないカイザーやミッターマイヤーと、心配から怒りに変わりつつあるロイエンタールと、いつもと変わらない態度で会議に臨むオーベルシュタインとその部下達である軍務省の事務方であった。
 その中に、ちょうどヘネラリーフェと向かい合う席に、先程の女性が穏やかな笑顔を浮かべて座っていた。
「それでは、ちょうど時間ですし、会議を始めることにいたしましょう」
 ヘネラリーフェが座ったのと同時に、その女性-ワルラーフ大将が、会議の開始を告げた。

 結局、その日の会議では前回と変わらない費用負担という結論で決着し、同盟軍にとって大した成果は挙げられなかった。
「やはり、お前さんでも無理だったか」
 キャゼルヌが会議の後ポツリとつぶやいたのが、会議の出席者全員の気持ちを代弁していた。
「あ~、試合に勝って勝負に負けた気分だわ」
 ヘネラリーフェは、ボソッと呟いた。
「なんだ、そりゃ」
 アッテンボローが突っ込んだが、ヘネラリーフェは答えなかった。会議の前のことを話せば、怒るかあきれるかのどちらかの反応を周囲が示すのは明白だからだ。


 そして、同じ頃。
 軍務省の最上階で、尚書を中心に今後の対策を練っている中で、マリアは浮かない表情をしていた。
 同盟軍との平和状態が続いている為、政府内の文官からは軍備縮小をそれとなしに求められていた。それは軍務省にとっても重要な問題で、イゼルローンの費用負担を理由に軍備削減に手をつけそれを実戦部隊に求めることも可能である。その為に、今回の会議ではある意味同盟軍の出方に期待していたし、カイザーやミッターマイヤー・ロイエンタールといった実戦部隊のトップの出席も歓迎したのである。
 つまり、結果などどうでもよかったのである。
 マリアにしてみれば、会議の結果より、その前にヘネラリーフェと争い負けたほうが悔しかった。
 着る物を争うなど女としての意地がかかっていただけに、女として負けたようで。
 店主が儲けが減るのを承知の上で高価な注文品を出したのは、あの着物が自分よりヘネラリーフェのほうが似合っていると無言で告げていたからで、またそのことをマリア自身も理解できたからこそ掴んだ着物を手放したわけで、よけいに悔しかった。
 だから・・・
 自分が軍務省に到着した後警備本部に警備体制を糾したのも、ヘネラリーフェが到着するまで余裕綽々の態度を見せて同盟軍の連中にプレッシャーを掛けたのも。
 他意はないが、それなりの思いはあったわけである。
 
「でも、試合に勝って勝負に負けたわけよね」
 軍務省の最上階で同じ事を呟いて、周囲から疑問の目が向けられている女性がいたことを、ヘネラリーフェは知らない。


 

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いただいてしまいました♪
今度は菅道陽様からのコラボ作品です(#^.^#)
最近、余所様に戴く或いは、余所様のキャラをお借りするばかりな蒼乃でございます(^^ゞ
でも、こういうモノを戴くと、燃えるんですよね(笑)

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