top of page

第二章

四 UNBALANCE


「ヤン少将、少し良いかね?」
 思わぬ人物に思わぬ所で声を掛けられヤンは緊張した。彼のヤンへの用向きなどひとつしか思い当たらない。ふたりはラウンジへと場を移した。
(キャゼルヌ先輩でも駄目だったか? 説得は苦手なんだが)
 そう思うヤンにかけられた言葉は、だが彼の予想とは違うものであった。
「キャゼルヌから聞いたがリーフェ、いや、ブラウシュタット大佐を第十三艦隊に欲しいという話しは本気なのかな?」
 口調から判断するに、どうやらビュコックはその話を断りに来たわけではなさそうである。
「はい。ビュコック提督には申し訳ないのですが、彼女の力が必要なんです」
「謝る必要はないよ」
 むしろそこまで言ってもらえて光栄だという表情をビュコックはした。今ここで見せている彼の顔は同盟軍艦隊司令官のものでなく、娘に対して甘い平凡な父親のものであった。
「ヤン少将」
「はい?」
 普段の頑固且つ短気な老将らしくない煮え切らない態度が見え隠れしている。疑問に思いながらもヤンはビュコックが口を開くのを待った。
 ビュコックは迷っていた。もしヘネラリーフェを第十三艦隊に、ヤンに託すなら、彼にだけはヘネラリーフェという人間のことを知っておいてほしい。そんな想いがビュコックの足を今日ここへと運ばせたのであるが、ここまできて何処まで話すべきなのかを決めかねていたのだ。
「貴官は、あの娘のことをどう思う?」
 ようやく絞り出された言葉であったがヤンは困惑した。ビュコックの言葉の真意を測りかねたのである。ヘネラリーフェという人間の噂の類はよく耳にする。だが、本人を目にしたのは例のラウンジでの騒動の時の僅か数十分だけなのである。彼がヘネラリーフェという女を判断する材料はたったそれだけしかなかった。
(そんな少ない資料で彼女を判断しても良いのだろうか)
「随分と気が強いようですね、彼女は」
 差し障りのない所からポツリポツリと話し始めるヤンであった。 
 ヘネラリーフェの第一印象は? と聞かれると咄嗟に答えに詰まるかもしれない。ヤンはそんなことを考えながら言葉を紡いでいた。あの時民間人の女性に絡む仮にも将校に食ってかかったときには相当な気の強さだと思った。同様にシェーンコップに張り手をかまそうとしたときもそう思った。
「でも反面脆さを感じます。弱味を見せないように必死で強がっているようにも見えました」
 アッテンボローからの知識なしでここまで見抜けたかどうかはヤン自身でさえも疑問であった。
「でも、さすがにビュコック提督が育てられただけのことはあります。どんなに強がろうと、そして本心を曝け出せないままであろうと、あの真っ直ぐな気性と眼差しは嘘ではない。きっと亡くなられた息子さんもそういう方だったのでしょうね。私は出来ることなら、彼女の心底からの声と笑顔が見たいと思っています。しかし……失礼ながら娘さんはひょっとして死に場所を探しておられるのではないのですか?」
 その言葉にビュコックは脱帽したように顔を俯かせた。僅か数十分の、しかも直接対話したわけでもない娘のことをここまで見抜いてくれている人間がいたとは。
 ヤンの言葉でビュコックの心は決まった。
「そこまでお見通しとは恐れ入ったよ」
 ヤンへの魔術師・奇跡という賛辞は戦闘に関してだけのものではないのかもしれない。この時ビュコックはそう思わずにいられなかった。
「自分でも言っていたよ。死にたいのに死ねないのだと」
 士官学校に入ったのは星を見るため。ダグラスと瞬かない星を見に行くために軍人を目指したのだとヘネラリーフェはビュコックに告白していたらしい。だが、ダグラスの死によってその目的を無理矢理にでも変えざるを得なくなった。
 では何を目的に宇宙に行くのか? 軍人として多くの人間を『敵』として葬り去れば良いのだろうか? 祖国のためという大義名分を抱えてはいても、それは所詮大量殺人にすぎないのではないのだろうか。悩むヘネラリーフェに出撃命令が下った。
 どのみち拒否はできない。軍人になること自体を諦めれば義父に金銭的な負担を強いることにもなるのだ。これ以上迷惑はかけられない……ヘネラリーフェは命令に従った。
 夢にまで見た無限の宇宙は、漆黒の闇ではなくどこか蒼白い光りに包まれていた。だが、美しい星々に囲まれたそこは想像以上に過酷な、常に死と隣り合わせの世界でもあった。
 任官したての頃は命令をこなすだけ。だが、昇進すると共に自分が死にたいと願いさえすればいつでも逝けるのだと悟った。ほんの少し艦の位置をずらさせればいい。敵の砲撃のただ中に……
「でもあの娘にそんなことが出来る筈がない」
 自分だけを殺すならともかく、そんなことをすれば艦に同乗する者すべてを巻き添えにしなければならないのだ。他人の命を弄ぶ権利も権限もヘネラリーフェにはない。
 階級の特権を利用して部下に死の強要をする。これこそヘネラリーフェが最も嫌っている行いである。相手が自分を信じ慕ってくれる部下なら尚更であった。
 このあたりはラウンジで非力な女性に絡む将校に臆面もなく辛辣な言葉を叩き付けた経緯に通じるものがある。
「強い者、権力を振りかざす者にはとことん逆らう。そのかわり自分より弱い立場にある者を見捨てることが出来ん気性なんじゃ」
 だから彼女は苦しんでいる。本音と建て前の狭間で……
 死にたいと言いつつそれを実行できない自分自身への苛つき。生物としての本能である『生』への執着と『死』への恐怖との狭間で揺れる心。
『結局私には死ぬ勇気などないのよ。私はこんなにも臆病な人間だった』
 血を吐くようなヘネラリーフェの告白を、ビュコックはどんな思いで受け取ったのだろう。
「あの娘の投げやりな生き方もどこか危なげなところも、そしてイザとなると冗談で切り抜け話しをはぐらかしたりするのも、すべて彼女の不安定な心からきている。すべてが他人に心を許していないところからきているんじゃ」
 なんとかしてやりたいと思いつつ、それができないジレンマ。ダグラスが生きていてくれさえしたら……何度そう思ったことだろう。しかし、それ以上の援軍をビュコックは見つけたのである。
「先日の結成式での貴官の演説を聞いて、あの娘がそれはもう可笑しがってのぅ。久々にあの娘本来の笑顔を見させて貰ったよ。儂にはできんことじゃ。だが貴官なら、貴官が率いる者達なら……ヤン少将、どうかあの娘のことを頼む」
 ビュコックなどから見れば所詮若造でしかないであろうヤンに向かって深々と頭を下げる老将にヤンは心底慌てた。自分より遙かに長い刻を生きてきた人生の先輩に頭を下げられ平然としていられるほどヤンは恥知らずな人間ではないのだ。
「ビュコック提督、どうか頭を上げて下さい。それに、彼女を変えるとしたら私なんかより適任者がいるんですよ」
 ヤンは先日のヘネラリーフェとシェーンコップのやり取りを説明した。感情のままにシェーンコップに手を振り上げたときの彼女の様子を聞かされた時のビュコックの気持ちはいかばかりであったろう。
「もう一度あの娘の変化が見られるじゃろうか」
 ヘネラリーフェが転機を迎えたのはこれまでに三度。一度目は実父を亡くしたとき。二度目はダグラスと出会ったとき。そして三度目はそのダグラスを亡くしたとき。四度目はあるのだろうか……?
「失礼ですが提督、彼女の実の父親というのは?」
「貴官も名前ぐらいは聞いたことがあると思うが。帝国随一と謳われた名提督ブラウシュタット侯爵があの娘の父親じゃ」
 そのあたりのことは大まかにではあるがアッテンボローから聞かされている。だがその時ビュコックがヤンに聞かせた話は、現世ではビュコックだけが知るヘネラリーフェの生い立ちであった。
「ヘネラリーフェのあの気性の原点は恐らく父親にある」
 自分の死から目を逸らすな……その言葉が実父レオンからヘネラリーフェへの手向けの言葉であった。たった一人の娘の命を敵である筈の人間に預けたとき、レオンはどんな気持ちだったのだろうか。そして何故彼は死を選んだのか。
 確かに投降すれば命だけは助かるものの捕虜としての屈辱的な日々が待っている。だからこそ誇り高い将帥がそれを拒むことにも納得がいく。だが、娘と引き替えに出来るはずもない。彼は娘をたったひとりで残していくことに対して躊躇いはなかったのだろうか。
「彼は死を望んでいたわけではない。状況が許せば娘の為に亡命すら厭わなかった筈じゃ」
 味方に裏切られた以上、亡命しようが捕虜になろうがレオンにとってはこの際どうでも良いことの筈だった。他に家族がいるわけでもなし、娘が同じ艦内にいる以上、彼が同盟に身を寄せることで非難や罰を受ける者など本国に存在しなかった。
「では何故自爆装置を?」
「そうしなければ娘を助けられないと思ったのじゃろう」
 自分がヘネラリーフェと共にハイネセンに行けば、どうやっても彼女は帝国軍元帥の娘として扱われる。自分だけが謗りを受けるならまだしも、まだ年端もいかない娘をそんな目に合わせたくなかった。自分さえいなければヘネラリーフェは所詮一〇歳の子供なのだ。
「ブラウシュタット元帥は儂を命よりも大切な宝を預けるに充分な人間だと信用してくれた。それ故、自ら命を断ったのじゃ。娘の将来のためにな」
 最期に自分の死を看取らせたのは、人間の欲望の醜さを教えるためだったのか、それとも戦争の無益さを教えるためだったのか。それはビュコックにもわからない。わかっていたのは父親の娘への深い愛情だけ。
 ビュコックに連れられたヘネラリーフェが艦橋に上がるタイミングを見晴るかしたかのようにレオンの旗艦は炎と爆音に包まれた。今でもハッキリと覚えている。あの時のヘネラリーフェを。
 絶望と怒りと哀しみと……それらの感情を青緑色の双眸に秘め、僅か一〇歳のヘネラリーフェはその光景を目を逸らすことなく見届けた。涙ひとつ零すことなくである。
 恐らく、この時からヘネラリーフェに自虐的な精神が備わったのだろう。その傷付いた精神がダグラスとの出逢いによって一時的に癒された。にもかかわらず、その彼をも永遠に奪われたとき、彼女の精神に亀裂が入ったとしても何等不思議なことではない。ヘネラリーフェはある意味性格破綻者であったのだ。
 ハイネセンに来た当初、ヘネラリーフェは喋らず笑わずの状態であったという。そんな彼女の頑なな心を溶かしたダグラスは一体どういう魔法を使ったのだろうか。
「歌を教えておったな」
 ヘネラリーフェが時折口ずさむ『星に願いを』こそが魔法の呪文であったのだ。 
 父親の死から目を逸らせなかった彼女は、恋人の死からも目を逸らせることはなかった。だがそれはまるで自分自身を傷付ける行為にしか見えない。涙さえも出ない慟哭。それを二度も味わうことになろうとは……耐える姿は逆に涙を誘った。
「息子を若くして逝かせてしまったのが残念でたまらん。だがそれ以上に娘をあの若さで精神的死人にするわけにはいかん」
 強ければ強いほど折れやすくなる……アッテンボローも危惧していたそれをビュコック自身も恐れていた。脆さという柔軟剤が彼女には必要なのだ。だからこそ……
「あの娘は第十三艦隊に、貴官に預ける」
 傍で見守りたいという気持ちがまったくないのかと問われれば、恐らくビュコックはノーと答えただろう。しかし傍にいれば良いというものでもない。 
 それは一〇年前ヘネラリーフェの父レオンが見せたものと同様の確かな父親の愛であった。

 

bottom of page