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第三章

五 見えない明日


 イゼルローンで迎えた宇宙歴七九七年は、それは派手で華やかなものであった。
 あちこちで違う歌声があがり、ビールやシャンペンをひっかけあう。踊り出す。抱き合う。本気ではないが殴り合いがおきる。紙吹雪。ダンス。意味のない絶叫。手拍子。服を着たままプールに飛び込む。クラッカーの炸裂音。風船。もう無茶苦茶である。
 だが考えてみればそれは当然のことであった。前線に立つ将兵は次の新年を迎えることができるのかどうかわからないのだ。アムリッツァ会戦のようなことが起これば出征したものの七割が生還できない。生命力のありったけをぶつけて大騒ぎするのが当たり前なのだ。
 ユリアンにとっては、だがこのパーティーのお陰で恩恵にあずかれたというところだろうか。新年のカウントダウンの数十秒前からホールの明かりは全ておとされる。
「三、二、一、〇!」
 一斉に明かりが灯ると誰彼かまわずキスをして新年を祝う集団の中で、ユリアンが自分の肩を軽く叩かれたことに気付き何気なく振り向く。頬に柔らかな感触を感じたと思ったそのとき、彼の目前にあったのは彼の知る限りでは一組しかないであろう深く澄んだ見事なまでに美しい青緑色の双眸であった。
「ブ、ブラウシュタット少将」
 さすがにお伽噺のお姫様のようないでたちというわけにもいかず、かと言って地味とはお世辞にも言えない大胆なデザインのワンピースに身を包むヘネラリーフェの姿に普段の軍服姿とはまた違った魅力を見せつけられユリアンの胸は高鳴った。
 嬉しいやら慌てるやらでまともに言葉を発せないユリアンに明るく微笑みかけながら綺麗にウィンクを決めると、ヘネラリーフェはグラスを掲げて見せる。
「新年おめでとう、ユリアン」
 華奢なグラスの縁が合わさる澄んだ音色が耳に心地良い。ユリアンは半分夢心地でグラスの中身を飲み干した。が、この馬鹿騒ぎを見てヘネラリーフェが何も考えない筈がなく、彼女の悪戯心に拍車をかける。
 ほどなくユリアンは全身シャンペンの洗礼を受けずぶ濡れになっていた。外見に惑わされるなとアッテンボローが釘をさしてくれていたというのにご愁傷様な話しである。
 呆然とするユリアンの前からヘネラリーフェはケラケラと笑いながら他のお騒がせ人間に連れ去られていき、少年の淡い幸福感はたちどころに消え去ったのであった。(よしよし、強く生きるんだよ)
 ちなみにヘネラリーフェのその後は、抱きつこうとする命知らずの男達に強烈な張り手と蹴りをお見舞いし、身を守るために教え込まれた技を見事な動きと共に次々と披露していたらしい。
 本人はえらく楽しそうに殴っては投げを繰り返していたと後々見てきたようなことをふれ回った人物がいたとかいないとか。
 それが誰なのかはわからなかったが、このドンチャン騒ぎがおさまり平常の生活に戻ったとき、ユリアンがアッテンボローの顔に痣と呼べないほどの痣があることに気付きことの真相を悟った。
 同時にヘネラリーフェの恐ろしさをも思い知らされた気がしたが、まあ下駄で蹴られるよりはマシであろう。アッテンボローとヘネラリーフェのコンビもコミカル性においてはかなりのものだと、ユリアンは妙に納得した。
 
 一月は何事もなく平和に過ぎるかと思われたが、俄に慌ただしくなった。帝国から捕虜の交換が申し入れられたのである。いよいよローエングラム伯が門閥貴族との武力抗争に乗り出す決意を固めたとヤンは確信した。と、同時に同盟にもたらされるであろう凶事をも彼は予測していたようである。
 二月の終わり、イゼルローンでの捕虜交換式典が終了してすぐハイネセンでの式典に出席すべくヤンは旅立ったが、それは宇宙艦隊司令長官ビュコック大将に会うためのものでもあった。いや、むしろそちらの方がメインだったと言っても良いくらいだろう。
 イゼルローン要塞を出発して約4週間後、ヤン=ウェンリー一行は同盟首都星ハイネセンの土を踏んだ。
 式典とそれに続くパーティーはヤンを癖壁させたが早々に会場を抜け出すと、ビュコックと落ちあうべくコートウェル公園へと向かったのだった。
 二人の密談の内容は、近いうちに帝国内で動乱がおこるであろうこと、そしてそれに付随して同盟でクーデターが起こるであろうことであった。
 勃発すれば鎮圧するのに大兵力と時間を必要とするし傷も残る。だが未然に防げば憲兵の一個中隊でことは済むからと、ヤンはビュコックに説明と同時に調査を依頼した。出来ることなら未然に防いでもらいたいと添えて。
 信頼できるビュコックだからこそ、そしてこんなことを話せる人間は彼しかいないからこその密談であった。
 クーデター関係の話しが一段落すると、ビュコックが少々言いにくそうにしながらも口を開いた。
「ところであれは元気でやっとるかね?」
 聞き返すまでもない。『あれ』とはヘネラリーフェのことだった。
「人気者ですよ、我が艦隊の。特に男性陣の」
 言いながらヤンが意味ありげな顔でユリアンを見やる。自分のことには疎いのにどうしてこう他人のことになると鋭いのだろう? ユリアンは内心溜息をついた。その様子にビュコックが可笑しそうに笑い出す。
「親の儂が言うのもなんだが、あれを放っておける男はそうはおらんじゃろうて。自分の見せ方を心得ているというか、あしらい方を心得ているというか。アッテンボローあたりが言っているようだが、正に天性の女優だな。だが外見と中身は随分と違う。あの優しげで可愛らしい姿を見て所詮女と嘗めてかかれば、痛い目を見るのは男の方じゃろうて」
 娘自慢にも聞こえる言葉であるが、彼女の本質と本性を見抜くビュコックだからこその言葉でもあった。
「現に痛い目を見た人間もいるようですがね。とにかく十三艦隊は癖の強い人間の吹きだまりですからね。当初はどうなることかと思いましたが、うまく馴染んでいるようです。それに影響を与えられる人間もいるようですしね、多分良い方向に」
 問題の(?)シェーンコップとの一夜の後から、ヘネラリーフェが随分と良い表情をするようになったとヤンは思っていた。
 敢えて言葉で表現するなら、晴れやかとか清々しいとか、或いは作り物ではない本物の笑顔か、とにかくそういう顔をさすがにまだ頻繁にとはいかないまでも時折見せるようになっていたのである。
 恐らく、もう死の誘惑に惹き付けられることもないだろうし、自虐行為に走ることもないだろうとヤンは確信していた。
「そうか」
 短いその一言に、だがビュコックの娘への言いしれぬ深い想いが込められていたことに、ヤンもそしてユリアンも気付いていた。
「彼女はやっと顔を上げて歩き出した。もう心配はいりませんよ」
 彼女がヤンとヤン艦隊を支えてくれる大切な存在であるように、彼女を支えるであろう人間も数多く存在するのだ。
 十三艦隊に配属された当初はどこか冷たく、人を突き放したようなところがあったヘネラリーフェであったが、今は人を信じることのできる素晴らしさを彼女自身がその身で実感していることだろう。
 今回のこのハイネセン行きにヤンがヘネラリーフェを同行させたがっていたことをユリアンは知っていた。
 ビュコック自身ももしかしたら僅かな期待を抱いていたかもしれない。だが、分艦隊司令官としては要塞を離れるわけにもいかず、アッテンボローやシェーンコップはともかく(それどころか『連れていってやってくれ』とまで言っていたのだ)ムライが難色を示したのである。だが彼の意見の方がこの際もっともなものと言えた。
 ローエングラム伯が同盟との信頼関係にわざわざ亀裂を入れるとも思えず、捕虜交換式の最中に何事かがあるとは思えなかったが、それが終われば気を抜くことはできなくなる。
 捕虜交換は自軍の将兵が帰って来るのと同時に敵軍に二〇〇万人もの兵力を補充してやることにもなるのだ。いまの情勢を考えればこれは対門閥貴族との衝突に備えたものだろうが、それが終わればローエングラム伯の目はこちらに、つまり同盟に向けられるだろう。備えあれば憂いなしなのである。
 娘が同行してこなかったことに対してビュコックは何も言わなかったが、やはり僅かながらも落胆していたようである。それが当然であった。
 息子を亡くしてからというもの、ビュコック夫妻にとってはヘネラリーフェだけが唯一残された子供であり希望なのだから。血の繋がりなど問題ではないのだ。
「貴官に預けて正解だったようじゃな。今後も娘のことを頼む」
 最後にビュコックはそう言ってヤンに頭を下げた。逢えなかったことを嘆くより、娘の変化を喜んでいるようなそんな表情で。
 ヤンがどれほど望んだとしても、恐らく今回のハイネセン行きに同行命令が下った時点でヘネラリーフェの方から断っただろうとビュコックは考えていた。
 家族に逢いたくない筈などない。だが、己の職務を考えた時、そしてそれ以上にビュコックに逢うことで里心がつくことを彼女はひょっとしたら恐れたのかもしれなかった。そういう意味ではビュコックもまったく同じ感情だったのだ。
 娘の顔を見てしまえばやはり手元に置きたい、最前線から後方にとヘネラリーフェが望みもしないことを考え実行してしまうかもしれない。それを考えると今回はこれで良かったのだと、ビュコックは改めて思ったのだった。
 その三日後、大規模な内乱の気配を感じ取りながら、ヤンはイゼルローンへと帰還していった。だが、ヤンのいち早い内乱の想定にも関わらず、四月の声を聞くとのとほぼ同時に同盟領はクーデターの渦に巻き込まれていく。
 首都は叛乱軍の手に落ちビュコックも拘束された。父と娘が無事の再会を果たしたのは、内乱を鎮圧すべく十三艦隊がハイネセンに出撃し、クーデターを征圧した八月になってからである。

 

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