top of page

          鼓動を数えながら
       ゆるい心臓の鼓動を数えながら
    血を流して時間は死に、ゆるい心臓の鼓動となって
        醒めたまま二人は横たわる。

        『鼓動を数える』グレイヴズ

 

第十一章

一 皮肉な瞬間


 宇宙歴七九九年、帝国歴四九〇年五月二日、リオヴェルデ星域を征圧したロイエンタールはスクリーン越しにミッターマイヤーと対峙していた。任務を終え、ラインハルトの元に転進しようとした矢先にである。
「つまり、このままバーミリオンに向かっても間に合わぬから、直接ハイネセンに赴きこれを征圧せよと卿は言うのだな?」
「俺ではなく、フロイライン・マリーンドルフがだ」
 ミッターマイヤーが訂正した。
 そう……ロイエンタールに通信を送る前にミッターマイヤーは珍奇な客人を旗艦人狼に迎えていた。ヒルデガルド・フォン=マリーンドルフ伯爵令嬢、ラインハルトの首席秘書官を勤める女性である。
 このままでは恐らくローエングラム公は生涯最初で最後の経験をすることになるだろう……ヒルダはミッターマイヤーに無防備であるだろうハイネセンを衝き同盟政府を降伏させ、彼等からヤンに戦闘停止を命令させればラインハルトを敗北の淵から救いうるであろうことを進言した。
 これに対しミッターマイヤーは自分ひとりでというわけにもいかない。僚友に同行を求めたいとして、ロイエンタールに超高速通信を送ったのである。
「俺はどうやらヘネラリーフェに恨まれ続ける運命らしい」
 ミッターマイヤーの言葉に了承の返事をしながら、ロイエンタールは静かな呟きを洩らした。ハイネセンを衝けば、自分とヘネラリーフェの関係はもはや取り返しがつかなくなるかもしれないのだ。
「そんなことはない。我々はハイネセンを征圧はするが火の海にするわけではない。それにローエングラム公にしても無益な殺生はしまい?」
 恐らくローエングラム公ラインハルトは同盟の国家組織自体の存続を許すだろう。帝国軍人としてはおよそ認めたくない事実だが、ヤン=ウェンリーがその戦力と智力によって休戦ないし講和と言う条件に持っていくだろうと思うのだ。
 だが、そうなればこれ以上悪戯に血を流す必要はなくなる。ヘネラリーフェの大切な者もこれ以上失われなくて済むし、ロイエンタールもこれ以上彼女を傷付ける必要はなくなる。何よりも銀河に恒久的ではないにせよ平和が訪れるのだ。ヤンを屈服ないし葬り去れないのは軍人としては残念ながら、人間としてやはり平和は嬉しい。ミッターマイヤーはムキになって言い返したが、ロイエンタールは声をたてずに笑っただけでスクリーンから消えたのだった。

「ハイネセンを衝く」
 ヘネラリーフェの耳に信じたくないような言葉が伝えられたが、彼女は殊更大きな反応を見せず、だが細い肩をビクリと震わせ無言のまま力のない眼差しでロイエンタールを見やった。
「好きにすれば良いでしょう?」
 そうは思っていないくせに、だがヘネラリーフェの口からは投げ遣りな言葉が放たれる。何を言ったところでロイエンタールを止められる筈がないのだ。彼も命じられてやっているのだから……個人の感情でどうにかなるものなら、戦争などとっくの昔に終わっている。
「勘違いするな。俺はハイネセンを征圧にいくのであり、戦争をしにいくわけではない」
 だが、そんなロイエンタールの言葉に、物は言いようだとヘネラリーフェは冷笑した。何が違うというのだ? 確かにヤン艦隊が出払っている以上ハイネセンは無防備だ。組織的な抵抗などないに等しい。そこを衝くのだから血は流れないだろう。だが武力で押さえつけることには違いないではないか。それに無血開城したところで、戦争犯罪人として裁判の被告席に立たされる者は必要だろう。同盟は敗戦国なのだ。
 そして義父ビュコックはヤンを助けるために自らの命を掛ける……そういう人なのだ。それのどこが戦争じゃないというのだ?
「でも貴方達はハイネセンを、いいえ、同盟を武力で圧するのでしょう? それのどこが戦争じゃないと言うの?」
 言い返すことはできなかった。ヘネラリーフェの言っていることも確かに真実だったからだ。だがロイエンタールの言っていることもまた真実だった。そう、決意という……無防備なハイネセンを衝くのは自分とミッターマイヤーなのだ。帝国軍の全艦隊が押し寄せるわけではない。司令官の采配次第で事は平穏に済ませることが可能なのである。そして、自分は流血する気は毛頭ない。
「約束しよう。お前の大切な者をこれ以上奪わないと」
 だから、これは守るべき決意だった。
「そんなことできる筈ないじゃない」
 できないかもしれない。だが……
「できなくてもやるっ! 二度とお前を傷付けることはしない。誓う……だから、だからヤケを起こすな! これ以上自分を殺すな!!」
 ロイエンタールには珍しく感情的な声で言い残すと、彼は全軍の指揮をとるべく艦橋へと立ち去ったのだった。
「そんなことできる筈ないじゃない……」
 ロイエンタールの消えた部屋にそんな呟きが流れた。いくら優れた司令官でも出できることとできないことがある筈だった。ロイエンタールなら恐らく約束を守ろうとしてくれるだろう。おかしなものだが、彼の言葉は信用できた。でなければ最初からハイネセンを衝くなどということをヘネラリーフェに伝える必要などないのだ。黙って実行し、黙ってハイネセンを征圧すれば良い。知っていても知らなくてもヘネラリーフェには事態をどうすることもできはしないのだ。例え故郷を火の海にされても、惑星事態をこの宇宙から消滅させられても、何も出来ない。出来るとすればロイエンタールを罵ることぐらいだけだろう。ならば、憎まれるだけとわかっていながら、わざわざヘネラリーフェに知らせる必要などないではないか。
「馬鹿みたい……知らせたところで今以上に私があんたを憎むだけとわかっている筈なのに……」
 だから掻き乱されるのだ。自分の心が……ヘネラリーフェにだけは対等に向き合おうとするロイエンタールの想いが苦しかった。
(貴方が……貴方が軍人でなければ良かった……)
 そう……ヘネラリーフェは知っている。冷ややかなで無愛想な仮面の下に、彼の素顔が隠されていることを……傷付くことを恐れ頑なに閉ざした心の中に、想いもかけず不器用で素直な心が隠されていることを……冷ややかに見えて優しくて、誰よりも暖かくヘネラリーフェを包み込んでくれるロイエンタールこそが真の姿なのだということを……
 ロイエンタールが軍人でなければ、彼を愛することができただろうか? そう考えた時、だがヘネラリーフェは頸を振った。『If』などと考えるのは愚かなことだ。現実に、彼は軍の上級大将で自分は捕虜とはいえ彼とは敵対する側の将校で……そして流れは急速に終わりへと向かっている。
 そう……ハイネセンが征圧されれば全てが終わる。残るのは全てをなくしたヘネラリーフェだけだ。心の支えも友も故郷も、これまで自分自身を支えていたものが、そして張りつめていたものが全てなくなってしまう。
(そうなった時、私はどうなるだろう? どうするのだろう?)
 絶望的な予感に襲われながら、ヘネラリーフェはそんなことをボンヤリと考えていた。
 五月四日、ミッターマイヤー・ロイエンタール両提督は三万隻にも及ぶ艦隊を率いてバーラト星域への突入を果たし、翌五日には惑星ハイネセンの衛星軌道に達した。
 そして……

 

bottom of page