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-1-
 

 突然ですが…… ヘネラリーフェは悩んでいた。朝も昼も夜も食事中も休息中も、とにかくずっと悩んでいた。

 せめてロイエンタールの前でだけは、そんなことのないようにと自分自身かなり気を使っていたというのに、だが人間やはり隙というのは出るものらしく、ヘネラリーフェの可憐な口元からは盛大な溜息が吐かれていた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「どうした、溜息なんか吐いて」
 頬杖をつきつき、自分をボンヤリ眺めてくるヘネラリーフェに対して、当然のごとくロイエンタールが心配そうな表情でそう問い掛けてくる。
「へ? あ、ごめん、なんでもない」
 内心しまったと思いつつ誤魔化すように微笑みながらそう答えたが、そもそも誰の所為でこんなに悩む羽目に陥ったと思っているのよ!! と愚痴らずにはいられない心境なヘネラリーフェの目つきは、どちらかと言えばジト目であった。
「な、なんだ? 俺、何かしたか?」
 ロイエンタールの狼狽えた表情というのは、ある意味見物だろう。もっとも、こんな表情を見せるのは相手がヘネラリーフェだからこそのことなのだろうし、また、彼女でなければロイエンタールの表情のささやかな変化などわかりよう筈もない。
「そうじゃないんだけどぉ……」
 そうよ、そうよ……全部あんたの所為よ!! こう言いたいのをグッと我慢しながら、ヘネラリーフェは再び今度はささやかな溜息をこっそり吐いた。

 その日の就寝前、私室のベッドサイドにある豪華な布張りのアンティークなソファに座り読書に耽るロイエンタールを、豪奢な天蓋付きの広いベッドの上で寝そべって眺めながらヘネラリーフェは考えていた。
(物欲なさそうなのよね、ロイエンタールって……)
 生い立ちの所為か、彼はどちらかと言うと精神面での物欲の方が高いように思える。また、そうではなかったとしても、彼の生活水準ならば欲しいと思ったもので凡そ手に入らないものはないだろう。
 おまけに旧王朝時代から貴族以上に貴族らしい豪奢な生活をしていただけのことはあり、彼の趣味はいたって高級志向である。しかも、それらが嫌味の欠片も感じさせないほど彼にしっくりと似合っているのだ。
(今更私があげられるものなんて、思いつかないわ)
 そうなのである。ヘネラリーフェがずっと悩み続けているその理由とは!! ロイエンタールのバースデープレゼントを何にするか……なのだ。
 約二ヶ月前、ミッターマイヤーへのプレゼントに悩むロイエンタールの気持ちが嫌というほど理解できる。あの時は二人で試行錯誤しながら品を選んだが、まさかヘネラリーフェの唯一の相談相手である本人にこれをぶつけるわけにもいかず、結局ヘネラリーフェは一人でずっと悩んでいるという状態なのだ。
「何か心配事でもあるのか?」
 不意に声が掛けられ意識を浮上させたヘネラリーフェが視線を巡らせると、ベッドの端に腰掛けたロイエンタールが柔らかな面持ちで彼女を見下ろしていた。
「ううん、そういう訳じゃないんだけど」
 二ヶ月前、プレゼント選びは楽しいと言った筈の自分が、この体たらくである。ヘネラリーフェは少々気恥ずかしさを感じずにはいられなかった。
 いや、今だってプレゼントを選ぶ作業は楽しいと思う。それがロイエンタールへのものであれば尚更。が、やはりそろそろその悩みに嬉しい悲鳴をあげられなくなっている時期であるのも事実だった。なにせ、ずっと悩み続けているのだから。
「それにしては、ここのところずっと悩んだ表情をしているな」
 ロイエンタールの優美でしなやかな指がヘネラリーフェの琥珀色の髪に絡み付き、掻き乱し、頬に触れ、そして口唇をなぞる。
「俺には言えぬことか?」
 どこか寂しげな光を湛えて見下ろしてくる金銀妖瞳に居たたまれなさを感じ、ヘネラリーフェはロイエンタールの首に自らの腕を回して抱き寄せた。吐息が顔にかかるほど互いの存在が至近になる。極々自然に、二人の口唇が重なり合った。
 薄紅色の柔らかな口唇をロイエンタールが己の舌先でなぞると、ヘネラリーフェがそこを緩ませる。微かに開いた口唇から己の舌を滑り込ませ、彼女の甘やかな舌を捕らえ強く絡め取った。
「ん……」
 互いの存在を確認し合うような深く激しく甘いキス。ヘネラリーフェの口唇から甘い吐息が漏れた。
「話す気になったか?」
 ベッドサイドに腰掛けたロイエンタールの膝の上に抱き上げられた状態で、キスの余韻で目元を朱に染めながら潤んだ眼差しで見つめてくるヘネラリーフェに彼が囁く。
(私って、大莫迦者かも……)
 そう自らを罵倒しながらも、やはりロイエンタールの言葉には逆らうことができず、ヘネラリーフェは渋々口を開いた。
「今、一番欲しいものって何?」
 ロイエンタールが少々戸惑うような眼差しでヘネラリーフェを見る。
「お前がそれを聞くのか?」
 言葉には苦笑と共に悪戯っぽいニュアンスが漂い、ヘネラリーフェは自分が如何に莫迦なことを口にしたのかを、まざまざと思い知らされた。
「俺が欲しいのは……」
「ス、ストップ~~~~!!! 言わなくてもわかっ……ちょっ!?」
 ヘネラリーフェが藻掻くことなどお構いなしに、実力行使とばかりに彼女の華奢な手首はロイエンタールによって拘束され、ベッドの上に押さえつけられていた。
「今、俺が一番欲しいのはお前だ」
(もう、どうしてそう気障ったらしいことを、真顔で言えるわけ!?)
 なにやらすっかりロイエンタールのペースに乗せられてしまったような気がし、ヘネラリーフェは内心でそう愚痴りながら溜息を吐いた。とは言うものの、ロイエンタールの腕を振り解くなど如何に軍人なヘネラリーフェでもとても無理なことで。
(明日考えよっと)
 ヘネラリーフェは諦めとも投げ遣りとも現金とも取れるような結論を弾き出して青緑色の瞳を閉じ、ロイエンタールはそれを了承と受け取り躊躇うことなくヘネラリーフェの着衣に手を掛け、自らのそれをも脱ぎ捨て……
 二人は夜の闇の安寧の中で、悦楽と愛欲の深淵にその身を投じたのだった。

-2-
 

 朝、分厚いカーテンの隙間から差し込んでくる柔らかな朝の日差しをボンヤリと見つめながら、だがいつまでもヘネラリーフェはベッドの中から起き出そうとはしなかった。
 が、この事態を彼女に言わせると、どうやら起き出『さ』ないのではなく、起き出『せ』ないということになるらしい。
「まぁったく、相変わらず無茶苦茶なんだから……」
 今現在と出逢った頃の二人の関係とを比べれば天と地ほどの差がありながらも、ヘネラリーフェが捕虜だった頃からたったひとつだけロイエンタールの中に変わらない部分がある。 
「立てなくなる程してくれなくてもいいでしょうに」
 白いシーツの上に気怠気にうつ伏せながら、誰に聞かせるともなく呟く。つまり、昨夜の情事の所為で、どうやら彼女は起きあがれない状態でいるらしい。それはロイエンタールがそれだけ激しく彼女を求めたという裏返しなのだが、しかしヘネラリーフェの方にしてみれば少々辛い。
 別に以前のように鬼畜行為でヘネラリーフェをいたぶるだとか、焦らしに焦らしてというわけではないのだが、彼の激情を全て受け止めるにはヘネラリーフェの躰は些か頼りないのだ。
 第十三艦隊にあって最前線で指揮をとっていた頃ならいざ知らず、今のヘネラリーフェは度重なった負傷や病気の所為で体力的にあまり無理がきかない。
 普段はロイエンタールなりに彼女の体調には気を配っているものの(一説には過保護すぎという見方もある)、どうもこと夜の生活となると、ロイエンタールは激情をコントロールしかねている様子なのである。
 というわけで、今朝もロイエンタールはとっくに元帥府に出府したというのに、ヘネラリーフェはそのままベッドの中ですっかり沈没しているという状態なのである。
「こんなことしてる場合じゃないのにな」
 ロイエンタールの誕生日までに、もうあまり日数がない。今日こそ手に入れに行くべく、以前ミッターマイヤーへのプレゼントを買った時と同じように街に出るつもりだったのだ。が、この調子では……
「とりあえず、もう一眠りしてお昼から動けそうなら出掛けようかな」
 今更ジタバタしても始まらないとばかりに腹を括ったようである。自分に言い聞かせるようにそう呟くと、ヘネラリーフェは今一度夢に抱かれるべく目を閉じた。
 
 目が覚めたのは正午をとうに過ぎた時間であった。ゆっくりと身を起こしてみると、まだ多少怠さは残っているもののどうやら動くことに支障はなさそうだ。そう踏んだヘネラリーフェは、ひとまず近くにあったロイエンタールのシャツを素肌に羽織っただけでベッドから起き出し、まずカーテンを開けて眩しい日差しを目一杯浴びてからバスルームへと向かう。
 熱いシャワーを浴びると頭がスッキリして、ようやく人心地ついたような気になった。気配でヘネラリーフェが起き出したことを悟ったのか、伊達に長年仕えているわけではないロイエンタール家の執事が熱い紅茶を運んで来る。それをゆっくりと味わいながらも、さてこれからどうしようとヘネラリーフェは考えていた。
 街に出るのはいいが、そもそも不案内なフェザーン市街である。更に、今日のこの体調ではのべつ幕なしに歩き回るのは些か無理がありそうだ。そもそも、何をプレゼントするのか、漠然としたことさえ決まってないときている。
「ね、目的がないままショッピングに行くならどこがいいかしら?」
 何気なく後ろに控える執事氏に訊ねてみた。その言葉に執事が口元に笑みを見せる。多分、彼はヘネラリーフェがここ数日悩んでいる理由に思い当たっており、微笑ましさを抱いていたのだろう。
「そうですね……やはりデパートでしょうか。そこで必ずしも決める必要はありませんが、多くの品を見定めるという意味では、最も手頃な場所だと思いますが」
 ロイエンタールが幼い頃から仕えている彼にしてみれば、ヘネラリーフェと出逢ってからの彼の変貌ぶりが良い意味で想像を裏切るものであっただけに、無条件にヘネラリーフェを信頼し、信望しているようである。その為、自然と態度も表情も口調も柔らかく暖かいものになった。
「やっぱり、それが一番手っ取り早そうね。じゃ、ちょっと行ってくるわ」
 執事の言葉に頷くと、ヘネラリーフェは気持ちの上では勢い良く立ち上がり、ひとりで行くという彼女を必死の形相で押し留める執事の気持ちを汲んで、仕方なくロイエンタール家の運転手付きの車で出掛けたのだった。 

 さて、あれから三〇分後には、ヘネラリーフェはフェザーン市街の最も賑やかな場所を歩いていた。通りに面して軒を並べる様々な店舗……が、ヘネラリーフェはそれらには見向きもせず、ひとまず目的地たるデパートへと急ぐ。
「さて、何にしようかしらねぇ」
 デパートの最上階から順に巡りながら、ヘネラリーフェは溜息をついた。彼なら、ヘネラリーフェからのプレゼントなら無条件に喜んでくれるのはわかっている。だからこそ、おざなりに決めたくはなかった。今考え得る中で、最もロイエンタールを喜ばせることが出来る物……
 お酒? 宝飾品? スーツ? ネクタイ? どれもロイエンタールにはもってこいなようにも、逆にしっくりこないようにも思えてしまう。
「ああ、もういっそのこと私にリボンでも掛けて渡そうかしら」
 ひょっとしたら、それがロイエンタールを一番喜ばせられるんじゃないかと、思わず想像してしまう。もっとも、それでは自らの身が保たないという危惧が絶えず付きまとうことにもなるのだが……
 それから数時間、ヘネラリーフェはとにかくデパート中を歩き回った。が、その結果、すっかり疲れ果ててしまい、デパート内のカフェで休憩としゃれ込むことになる。
「ひゃぁ~~ 疲れた~~」
 オーダーを済ませると、思わず机に突っ伏しそうになりながらそう口走っていた。
 昔、ダグラスや義父母にプレゼントするときは、こんなに苦労した覚えはなかった。なのに、どうにもロイエンタールのものは決めかねてしまう。
「何も似合う似合わないじゃないわよね、ようは喜ぶか否かであって」
 あまりに特別視しすぎているのではないのか……そう物思いに沈みかけた時、背後から呼び掛ける声に気付いた。
「フロイライン・ブラウシュタット?」
 快活な声に振り返ると、そこには恐らくこの帝都フェザーンで唯一ヘネラリーフェと知己と言えるだろうミッターマイヤーが、灰色の瞳に笑みを漂わせながら立っていた。無論、軍服などではない。彼の横にスミレ色の瞳にクリーム色の髪をした少女と見まごうような可憐な彼の妻が寄り添っていることから見ても、完璧にプライベートな外出なのだろう。
「ミッターマイヤー元帥」
 同じ惑星の中にいるのだし、軍人とは言え休みもあるのだからこういう偶然な出逢いがあっても全然おかしくはないのだが、やはりいきなり出逢うと狼狽える。しかもいくら知己とは言え、それはあくまでもロイエンタールを通した仲なのである。ヘネラリーフェの方からすれば、どう贔屓目に見ても打ち解けた関係とは言い難いものがあった。
「珍しいですね、おひとりですか?」
 が、ミッターマイヤーの方は人なつこい笑顔を向けてくる。無論、彼の妻もだ。で、結局つられて笑いかけてしまうヘネラリーフェなのである。
「ええ」
 笑顔ながらも、返答は些か端的なものであった。軍人としての彼女のどこか心の奥底で、やはり過去の柵を抱いたままなのかもしれない。が、ミッターマイヤーは特に態度を変えぬまま、尚もにこやかに語りかけてくる。
「丁度良いところでお会いしましたよ。実はちょっと相談したいことがあって」
 ロイエンタールに相談事と言うのならわかるが、自分に相談したいことがあるとは一体どういうことなのだろう? まったく思い当たることがなく、ヘネラリーフェは内心で戸惑った。が、それを表情に出すような女ではない。
 そこはそれ、彼女も前線に立ち続けながら生き延びてきた有能な司令官なだけのことはあるし、そもそも男騙しの天性の女優な部分は健在なのである。というわけで、ヘネラリーフェはひとまずミッターマイヤー夫妻に席を勧め、それを有り難く受けると彼は改めて話を続けたのだった。

-3-
 

「そうそう、先日は素敵な誕生日プレゼントをありがとう。妻と二人で楽しませてもらったよ」
 ミッターマイヤーは、まずこう切り出した。あのプレゼントの送り主はロイエンタールだが、選び主がヘネラリーフェだということを確信しているミッターマイヤーは妻エヴァンゼリンと共に、それこそ心底から感謝の意を伝える。
 凡そ軍人とは思えない物腰と人当たり……なんとまあ奇特で希有な人材であることか。
「そんな……ミッターマイヤー元帥、私も楽しませていただきましたから」
 柵を捨てきれずにいるのは自分の方だけなのかもしれない。存外自分は心の狭い人間だったらしい……ヘネラリーフェはそんな自分に内心で苦笑を浴びせずにはいられなかった。そして、今日この日初めてミッターマイヤーと知己たることを喜べたのである。
「それで、お礼と言ってはなんだが、ロイエンタールの誕生日も近いことだし」
 ここでミッターマイヤーは声を潜めた。どうやら内密な話しらしい。
「ロイエンタールを驚かしてやりたいと思って……」
 恐らくこれまでそんな経験はまったくなかったことだろう。ロイエンタールの生い立ちからすれば、彼は自らの誕生日を何の思惑もなく祝ってもらったことなど皆無だろうし、また自らで祝おうとも思えない心境だったに違いない。だが……
「でも、あいつの傍には君がいる」
 それだけで、過去の苦い想い出を幸福色に塗り替えていけるはずだ。
「それで、あいつに内緒でバースデーパーティーなんて企画したらどうだろうと思うのだが……」
 過去に作りそびれた暖かな想い出……また、それらは無用だと言わんばかりに人を避け、自らをガラスと氷の世界に閉じ込めてきたようなロイエンタールだが、今の彼ならそれらを素直に受け入れてくれるのではないのか? ミッターマイヤーはそう考えたのだ。だが、それにはヘネラリーフェの存在は絶対に無視できないものでもある。
「その……迷惑じゃなければ、なんだが」
 ロイエンタールとヘネラリーフェが既に誕生日の予定を立てているのならば、ミッターマイヤーには自分の計画をごり押しする気など毛頭ない。これは、あくまでも案なのであって……
「その計画、私も便乗させてもらってもよろしいですか?」
 内心での葛藤を続けるミッターマイヤーの耳に、柔らかなアルトの旋律が流れ込む。彼は一瞬驚愕の表情でヘネラリーフェを見やった。
「あ、いや……フロイライン、我々に気遣いは無用なのだが」
 自らが言い出したことながら、些か性急且つ勝手な申し出だということは重々承知しているのだ。しかも、ヘネラリーフェが自らで自らの立場を微妙だと認識せずにはいられないフェザーンでの生活で、ミッターマイヤーの申し出は見ようによっては帝国軍元帥が『敗戦国』である同盟将校を力で押さえつけていると言えなくもない。
「気遣いなんてしてませんわ。実はロイエンタールの誕生日プレゼントをどうしたら良いかと私も考え倦ねていて……ですから、便乗させていただければ助かっちゃうんです」
 クスリと悪戯っぽい笑みを洩らしながらヘネラリーフェがそう言うと、一瞬呆気にとられたような表情をしながらも、次の瞬間ミッターマイヤーは盛大に笑いだした。
「じゃ、決定ということで構わない?」
「ええ」
 こうして、双方の思惑(?)は一致を見、計画は実現されることになったのである。
「じゃあ、日取りはどうしよう?」
 ミッターマイヤーの言葉に、ヘネラリーフェは記憶層に叩き込んであるロイエンタールの予定を反芻し、誕生日前日の一〇月二五日が公休日であることを弾き出した。当日ではないものの、まあ理想的な日にちだろう。
「じゃ、二五日に決定っ!!」
 それに、それなら二六日は二人でゆっくり過ごせるしな……そんな、ミッターマイヤーの意味ありげな視線と言葉に、ヘネラリーフェは少し照れたように微笑んで見せた。もっとも、何の予定も入ってはいないというのが本当のところなのだが……
 その後もう少し話を煮詰め、二五日はエヴァンゼリンと実は運良く公休日なミッターマイヤーが先駆けてロイエンタール邸を訪れ、ヘネラリーフェと共にパーティーの準備を手がけることになった。
 問題は、ロイエンタールがこちらの思惑通りに早々に帰宅してくれるかどうかということである。これはエヴァンゼリンの一言でアッサリ解決したかに見えたが、実際本当にそんな手でロイエンタールが一目散に帰ってくるかどうかは、ヘネラリーフェにはかなり怪しく思える。と言うのも……
「あら、フロイラインが一言『早く帰ってきてね』と言えば、大丈夫なんじゃないかしら」
 ついでにそこに軽くキスでもサービスしておけば、間違いなし!! エヴァンゼリンは楽しそうにそう力説した。
「はぁ……そんなもんですかね」
 なんとも大人しやかなイメージを抱いていたエヴァンゼリンの別の一面を見せつけられたヘネラリーフェは、引きつり笑いをしながら渋々頷いたのだった。
 ともあれ、そんなこんなで打ち合わせを終えた三人は帰宅の途についたわけだが、ヘネラリーフェは屋敷に辿り着いたところで肝心のことを忘れていた自分に気が付き、脱力する羽目に陥った。
「肝心のプレゼント、買ってくるの忘れた……」
 ミッターマイヤー夫妻とバースデーパーティーの打ち合わせをしたことで、すっかり準備万端な気分になってしまっていたのだ。我ながら迂闊すぎる……お~まいが~~
「明日、もう一度見に行くしかないわね」
 とは言うものの、明日行ったところで今日と展開はそれほど変わらないことは明白だ。なにせ、プレゼントが決められないのだから。
「やっぱり無難にタイピンとかカフスかしら」
 そうなると……プラチナかゴールドの台座に貴石か半貴石を取り付けたデザインを脳裏に描く。
「一〇月の誕生石って、確か……」
 オパールである。遊色効果で角度や光によって色が変わるという神秘的な一面を持つものの、どちらかというと地味なイメージを抱いてしまう宝石だ。
 だが、ここでふとヘネラリーフェの記憶の琴線に何かが引っかかった。
(一〇月、オパール、誕生日……)
「あぁぁぁぁぁっ!?」
 次の瞬間、ヘネラリーフェは大声で叫びながら部屋を飛び出し階下へと駆け降りたのだった。

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 とにかく車を出してもらおうと慌てて階下に降りたヘネラリーフェは、だが玄関ホールからドアに向かう途中で唐突に足を止めた。いや、止めざるを得なくなったと言った方がより正しい表現だろう。
「どうした、慌てて? 出掛けるのか?」
 艶のある低音ボイスは紛れもなくロイエンタールのものだ。
「は、早いのね」
 問いかけは引きつり顔だったかもしれない。なんとまあ、間の悪い……折角誕生日プレゼントが決まったというのに、これでは動けなくなってしまう。何せヘネラリーフェは思い立ったら即行動型の人間なのである。明日でもいいと思いつつも、やはりすぐ動けないということで気持ちが急いてしまうのだ。
「ああ、会議が延期になってな」
 行きたい所があるなら乗せていってやるぞ……急に会議がなくなり定時で帰宅した旨を伝えると、ロイエンタールは続けてこう言った。いつもなら有り難く受ける親切心だが、さすがに今日はそれに甘えるわけにはいかない。
「ううん、疲れているでしょ。明日にするからいいわ」
 と、無難な言葉を紡いではみたものの、ロイエンタールからすればヘネラリーフェが何か隠し事をしていることなど、恐らくお見通しだろう。
「気を使う必要はない。急いでいるようだしな、遠慮はいらんぞ」
 案の定、ロイエンタールは金銀妖瞳に少々意地悪げな笑みを湛えながら、尚もそう言い募った。こうなると、逆に逆らえなくなってくる。意地になって逆らえば、益々疑われてしまうからだ。
「じゃぁ……ウチに連れていって」
 幾分オドオドした口調だったかもしれない。ロイエンタールの表情が一瞬疑問視するように厳しいものになったのを、ヘネラリーフェは見逃さなかった。
「ごめん、やっぱりいい」
 言い様、クルリと躰の向きを変えてその場から立ち去ろうとするヘネラリーフェを、だがロイエンタールの強い腕が咄嗟に引き留めた。
「ブラウシュタット家の本宅に行きたいのか?」
「うん……」
 やはり変に思っただろうか? 何故今更ブラウシュタットの本宅などへと思われて当然だろう。あそこには、もう想い出しかないのだから。だが、ヘネラリーフェは今その想い出を必要としているのだ。
「わかった、連れて行ってやる」
 ほんの一瞬、考え込むような仕草をしたものの、ロイエンタールはアッサリと了承し、二人は車上の人間となったのであった。  

「えっと、確かこの辺りに……」
 連れてきてもらった手前さすがに外で待っていてとも言えず、ヘネラリーフェはロイエンタールを伴ったままブラウシュタット家の本宅内の目指す部屋へとやってきていた。
 この屋敷は、ヘネラリーフェの父ブラウシュタット侯爵レオン・ルーイヒが戦死し、娘である彼女が行方不明となったその瞬間から、主なき家として廃屋となっていた。
 が、死に様が死に様だっただけに、迷信好きな貴族達はこの屋敷には恐らくレオンの恨み辛みが込められていると恐れ、なによりも娘が神隠しにあったという流言さえも蔓延ったくらいなので、目の眩むような金銀財宝がそのまま置き去りになっていたにも関わらず、その後誰も立ち入らず荒らされもせずに奇跡的にもほぼ昔通りのまま保存されていた。
 その後はロイエンタールと彼の家の顧問弁護士の手によって、所有権はヘネラリーフェの名義に書き換えられ現在に至っている。彼女にしてみればもはや必要のないものだからと処分したいところなのだが、そうするにもブラウシュタット侯爵家の資産や不動産を纏めると相当な規模になるということで、すぐには手配できない状態だという。
 というわけで、結局門や玄関等の鍵などを電子ロックなどの最新セキュリティーに変えた上で、手つかずのままになっているのである。つまり、あの隠し部屋の中の宝石や絵画もそのままで、またその他の部屋の中にある物も、父子が消えた当時と何等変わることがないままということである。
 今、ヘネラリーフェとロイエンタールがいる部屋は、少女時代ヘネラリーフェが過ごした部屋である。一〇歳まで過ごした場所とあって、カーテンも壁紙も、そしてベッドの上掛けもテーブルクロスも、どれもが少女趣味の可愛らしいものばかりである。ただ、それらの上にはここから主が消えた年月を思い知らせようとでも言いた気に埃が積もっている。
 ベッドサイドにある重厚なナイトテーブルの上には柔らかなファーに包まれたぬいぐるみが、やはり埃を被ったまま鎮座している。刻が止まった空間……そこは、正にそういう場所だった。
(ここでヘネラリーフェは父親が無事に帰ってくることだけを願い待っていたのだろうか)
 ロイエンタールの胸に言い様のない寂寥感が広がった。
「ロイエンタール?」
 不意に暖かな手がロイエンタールの手を握ってきた。ハッとしたように意識を引き戻すと、目の前に不安に揺れる青緑色の双眸がある。
「ああ、済まない……ボンヤリしてただけだ」
 しっかりしろっ……ロイエンタールは内心でそう自らを罵倒した。ここに来て辛いのは自分ではなくヘネラリーフェの方なのだから。
「あのね、そんな顔しないでよ」
 ヘネラリーフェの表情が苦笑を湛えたようなものになった。
「確かに、今でも父が生きていてくれたらって思うこともあるし、父を死に追いやった貴族も戦争も憎いし、ここは暖かな想い出よりも哀しい想い出の詰まる場所であることにも違いないけど……」
 でも、ここでの自分がいなければ、今の自分はないのだ。そして、この頃の自分があるからこそ、今の自分はロイエンタールと共に歩んでいけるのではないかとも思う。
「どんなに悔やんでも過去は取り戻せないんだし」
 ならば、過去は懐かしむだけで良い。振り返るだけの過去はいらない。今はただ、ロイエンタールと前を向いて歩いていきたい。
「それにね、吹っ切れてなきゃ、ここに連れてこいなんて頼まないわ」
 ロイエンタールに向けてそう言いながら綺麗にウィンクを決まらせると、ヘネラリーフェは再び捜し物捜索へと意識を切り替えた。
(お前がそう言うなら、俺には何も言う権利はないな)
 まったく、一見弱々しく見えるヘネラリーフェのこの凛とした強さはどうだろう? どうあっても、自分はこの強さには敵わない……そう、おそらく永遠に。
「で、一体何を捜しているんだ?」
「うん……」
 曖昧に返事をしながらも、彼女はクローゼットの下段の引き出しを開け、奥の方へと手を伸ばして探るように腕を動かしている。
「誰も盗んでいってなければ、ここにある筈なんだけど」
 と、言い終わるや否や、彼女の青緑色の目が輝いた。どうやら、捜し物を探り当てたらしい。
「あった、あった」
 どこか楽しげに鼻歌混じりに引き出しの奥から腕を引き抜く。と、その手にはベルベットに包まれた五センチ角程の箱と思しきものが握られていた。
「それは?」
「ふふ、今見せてあげるわ」
 とは言うものの、かれこれ一〇年以上ほったらかしになっていた物なので、果たして当時のままの姿を保っているのかどうかは甚だ怪しい。
 中身をも確か幾重にも不織布で包み、それをケースに入れ、更にその箱をベルベットでくるんで引き出しの奥深くにしまい込んであったので、多分大丈夫だとは思うのだが……
 ヘネラリーフェはまず外側のベルベットを開けた。中からはビロード張りのケース。その蓋を開けると、また布にくるまれた物が出てくる。ロイエンタールの眼前で、ヘネラリーフェはその布を注意深くゆっくりと剥がしていった。と、出てきた物は……
「これは……ルビーか?」
 出てきたのは、澄んだオレンジ色の宝石が目を惹き付けるブローチであった。赤みを帯びたオレンジ色の宝石の直径は約3センチ。その宝石の周りをダイヤがぐるりと取り巻いている。名門侯爵家ならではの贅沢な逸品であることを認識するのはロイエンタールには造作もないことだろう。
「オパールよ」
 オパールと言うとまず思い浮かべるのは遊色効果で有名なブラックオパールかホワイトオパールと相場が決まっている。が、目の前にあるこのオパールはそれとはかけ離れた、そう、まるで炎のような色合いだ。
「こんな色のオパールがあるのか?」
「ファイヤーオパールと言うのよ」
 なるほど……ロイエンタールはその名称に納得した。なるほど、確かに炎のような色合いだ。しかも、よく見ると石の中にグリーンの斑が見える。それがまた炎の色に勝るとも劣らない鮮やかさであると同時に、この二色が炎そのものを連想させ、ロイエンタールの目をより惹き付けた。
「これね、母の形見なの」
 すっかり存在を忘れていたので、形見と呼んでは亡き実母に怒られそうではあるが。
 朧気な記憶の中で思い出した母のこの形見……これは元々父が母の誕生日に贈ったものだった筈である。ただし、ヘネラリーフェはその事実は知らない。なにせ彼女の実母は彼女を生んですぐにこの世を去ってしまったのだから。
「婚約中に贈ったらしいの。その時は指輪だったんですって」
 妻が一人娘を残して逝き、父レオンはせめて母親のかわりにと、その指輪をいつでも身に付けていられるようにとブローチに作り直させ、ヘネラリーフェに渡したのだという。
 だが、やはり子供が身に付けるには少々無理があることには違いない。それで、いずれ宮廷にでも伺う折りまで(レオンとしては、そんな機会は一生来させたくはなかったのだろうが)はと、大切に保管するようにヘネラリーフェに言い含め、そして引き出しの奥深くに最愛の妻への想いと共に封印したのである。
 あれから一〇数年……扱い方の難しい宝石である為、状態が危ぶまれ今こうして目にするまでヘネラリーフェも半ば諦めていたというのに、想い出の中にある輝きと何等変わることなく、神秘的で情熱的な色合いをそのままに過去の姿を留めている。
「良かった……無事で……」
 これでロイエンタールに、今ヘネラリーフェが考え得るなかで最高の贈り物を渡すことができる。
 ただし、どうやらロイエンタールの方は、ただ純粋にヘネラリーフェが母の形見を手元に取り戻したいという気持ちから、ここにやってきたと思っているようだ。
だが、それはそれでヘネラリーフェには好都合な思い込みだろう。
「良かったな」
 ヘネラリーフェの思惑になど気付きもしないで、ロイエンタールがそう語りかけながら優美な指で彼女の琥珀色の髪をクシャリと掻き乱す。ヘネラリーフェは彼を見上げながら満足そうにニッコリと笑いかけたのだった。
 翌日、希有な色合いのオパールは、ヘネラリーフェの手でコッソリと宝飾品のリフォーム専門店へと託されることになる。

-5-
 

 というわけで、一〇月二六日がやってきた。朝、いつものようにロイエンタールを送り出す。その時、以前エヴァンゼリンに入れ知恵されたことを思い出し、一応試してみた。
「早く帰ってきてね♪」
 勿論、伸び上がるようにして彼の頬に口付けることも忘れてはいない。ロイエンタールが怪訝そうな顔をするかなと思ったが、それどころか逆に端麗な口元に仄かな微笑を湛えたのを目にして、ヘネラリーフェはエヴァンゼリンの言葉に嘘はなかったんだとようやく確信できた思いだった。
 さすが、おままごと夫婦と言われてはいても伊達に夫婦をしているわけではない。いや、おままごとなのはこの場合ミッターマイヤーの方だけなのかもしれないが。
 ともあれ、ロイエンタールが柔らかな笑みを湛えながら『なるべく早く帰る』と言い残して出勤していくのを見送ってから程なくして、ミッターマイヤー夫妻がロイエンタールの私邸に姿を見せた。
「じゃ、元帥は飾り付けをお願いしますね」
 ヘネラリーフェはそう言うと、自分はエヴァンゼリンと厨房へと向かう。これからパーティー用のお料理制作に取りかかるのだ。とは言っても、そんなに肩肘張った豪勢なものではなく、敢えて家庭的なものにすることになっているので、普段から主婦業に勤しんでいるエヴァンゼリンは無論のこと、ハイネセンで義母の手伝いをしていたヘネラリーフェにとっても、それほど大変なものではない。
 ひとまず一番時間がかかりそうなものからとりかかることにした二人は、白いヒラヒラエプロンを身につけて、ボールと泡立て器を手に材料に向かった。言うまでもない、本日の食のメイン・バースデーケーキを作ろうというのである。
 作り方は削除(爆) 約二時間後、オーブンの中ではスポンジケーキがこんがりと焼き上がり、なんとも香ばしくて甘い香りがキッチン中を満たしていた。
 スポンジケーキを冷ましている間に、今度は料理の方に取りかかる。オードブルにスープにサラダにメイン料理、煮込んだりするような時間のかかるものから準備に入り、手際よく仕上げていく。
 そうこうするうちにスポンジケーキも冷めたようだ。時計を見やるとそろそろ夕方になろうという時間…… やはり一品豪華主義とはいかず品数を増やした所為でそれなりに時間がかかってしまったようだ。
「お料理、上手いのね」
 意外という表情でエヴァンゼリンがヘネラリーフェを見る。ハイネセン育ちというのは無論夫であるミッターマイヤーから聞いて知ってはいたが、それ以前の彼女の出自は帝国有数の大貴族の出身で、それこそ着替えでさえも自らの手を患わせることなくお付きの女官に任せきりというイメージを強く抱いてしまっていた為、今日こうして一緒に台所に立ってみるまでヘネラリーフェが主婦としても十分合格点を弾き出せるくらいに料理上手というか手際が良いとは思ってもみなかったらしい。
「貴族と言っても、一〇歳までのことですから」
 それに、父レオンは自分のことは自分でという、貴族にとっては驚愕モノながらも人間としては極普通な躾を娘に施していたので、多分ヘネラリーフェが一〇歳以降も帝国で貴族のお姫様として暮らしていたとしても、恐らく身の回りのことや簡単な料理(自分が飢え死にしない程度のもの)を作るくらいは、してのけたに違いない。
「あら、それでも大したものよ。ごく普通の家庭の娘さんでも、できない人は全然なのよ」
「大量に作るのは慣れているんです」
 エヴァンゼリンの賞賛に対して、ヘネラリーフェはクスクスと笑いながらこう洩らした。というのも、ハイネセンのビュコック邸は、すっかりヤンファミリーの溜まり場と化していたのだ。その前はアッテンボローやその友人、つまりダグラスの同僚達の溜まり場と化していた。つまり、招く方の苦労はいかばかりか!? な状態で、気が付けばヘネラリーフェも台所という戦場にかり出されていたのである。
 メニューが家庭料理であれば尚のことヘネラリーフェのお得意分野ということでもあるわけで。そんなこんなで、とりあえず現役主婦と主婦並の料理の腕を持つ女二人はいよいよケーキのデコレーションへと移ったのであった。
 ちなみに、料理はそれなりに得意な人間でも片付けまでそうとは限らないということを、ここで付け加えておくことにしよう。え? それは誰かって? ご想像にお任せします。

 さて、時計は夕方六時。早く帰ってきてね攻撃が成功していれば、そろそろロイエンタールが帰宅する頃だろう。
「クリーム泡立った?」
「ええ」
 トッピングする果物のカッティングも既に終わっている。二人は料理作りよりも尚嬉々とした表情で、ケーキのデコレーションを始めた。幾つになっても、また誰の為のものであっても、誕生日パーティーというのは浮かれてしまうものなのだ。
 だが、ロイエンタールはそれを知らない。そんな機会も想いも、過去一度たりとも与えられなかったのだ。
「確認したら、もう元帥府は出たらしい。そろそろ帰ってくるぞ」
 デコレーションが丁度終わった所で、ミッターマイヤーが厨房に顔を覗かせた。
「おお~~ ナイスタイミング~~」
 思わずこう言いながら、ヘネラリーフェとエヴァンゼリンは顔を見合わせて笑い合う。これから、急いでこれらの料理やケーキや食器を会場にした居間に並べなくてはならない。三人プラス屋敷中のメイドが駆けずり回り、ひとまずロイエンタールの帰宅前にセッティングを終えた。
 と、ホッとしたその瞬間、外から車のエンジン音が響いてくる。ロイエンタールが帰宅したのだろう。どうやら、間一髪間に合ったようである。
 ヘネラリーフェは最後の最後までロイエンタールには内緒でという趣旨を守るために、ミッターマイヤー夫妻を居間に待たせたまま、でもあまりに慌てた為エプロンを取るのをスッカリ忘れたまま玄関ホールへと向かった。
「おかえりなさい♪」
 声に振り返った時のロイエンタールの顔は見物だった。なにせ、割とロイエンタール好みなシックでありながらも可愛らしいデザインのドレスの上に、まるで新婚家庭の新妻かと見まごうような白いヒラヒラエプロンを付けたヘネラリーフェが、ニッコリ微笑みながら出迎えてくれたのある。大抵の場合、男なら誰もが内心ドギマギしてしまうに違いない。そして、この場合ロイエンタールも例外ではなくて……
「ど、どうしたんだ?」
 思わずマジマジとヘネラリーフェを見つめながら問うロイエンタールのその言葉に、ヘネラリーフェはようやく自分がエプロンを付けたままでいることに気付いた。あちゃ~~(^^;;)である。おまけに……
「付いてるぞ」
 意味不明な言葉を綴ったと思ったら突如ロイエンタールの端正な顔が近付いてくる。狼狽える間もなく頬に口付けられ、あろうことかそのまま舌でペロリと嘗められてしまった。
「???」
 訳が分からないまま唖然とするヘネラリーフェにロイエンタールはクスクスと忍び笑いをもらすと、今度は彼女の華奢な躰をグイっと抱き寄せながら反対の手を顎に掛けて上向かせる。
「お前もどうだ?」
 言い終わるや否や、可憐な薄紅色の口唇に己のそれを重ねると、性急にヘネラリーフェの閉じられた口唇をこじ開け舌を差し入れ、そして彼女の甘やかなベルベットのようなそれを捕らえ絡め取り、思うがままに味わい……
「生クリームの味だ」
「ようやく気付いたのか?」
 口唇が離れた後の呆然としたようなヘネラリーフェの言葉に、半ば呆れたような口調でそう返しつつ、だがクスクスと笑いながらロイエンタールがヘネラリーフェの髪を掻き乱す。
「もう、教えてくれればいいのに」
 思わず薔薇色に染めた頬を掌で押さえながら、ヘネラリーフェがロイエンタールを睨み付ける。だがすぐに気を取り直すように笑顔を見せながらロイエンタールの腕を掴むと、有無を言わさず屋敷の奥へと引っ張って行ったのであった。

「ハッピーバースデー、ロイエンタール!!」
 ヘネラリーフェに促されるままに居間の扉を開けたロイエンタールは、突如響いたクラッカーの炸裂音とミッターマイヤーの声に、暫し戸口に呆然と佇んだ。
「なにボンヤリしてるのよ、ほら、入って」
 ヘネラリーフェに背中を押されて入った居間の中はリボンや花で綺麗に飾り付けられ、テーブルの上には所狭しと料理やケーキが並んでいる。
「なんの真似だ?」
「誕生日パーティーに決まっているでしょ」
 ヘネラリーフェが呆れたような口調で言う。同時に、信じたくない危惧が彼女の中に沸き上がった。
「あのさ……まさかと思うけど、自分の誕生日忘れてたとか?」
「……………」
 わざわざ声に出して答えるまでもなく、無言のそれが彼の答えであった。だが、これも無理らしからぬことなのだ。自らの誕生を祝福されたこともなく、また自分の存在を疎ましいものとしか見られなかったロイエンタールにしてみれば、誕生日という日こそを打ち消してしまいたい心境だったに違いないのである。
 そう考えると、居たたまれない気持ちになってくる。ヘネラリーフェは背後から彼に抱き付きながら囁いた。
「お誕生日おめでとう、ロイエンタール」
 貴方が生まれてきてくれたことに、こころから感謝せずにはいられない……ヘネラリーフェの抱擁にはそんな想いが込められていた。
「やれやれ、見せつけてくれるな」
 ミッターマイヤーがヤレヤレと苦笑しつつも、だがその目は温かく二人を見守っている。無論、その横でエヴァンゼリンも楽しげにニッコリと微笑んでいた。

-6-
 

「ロイエンタール」
 就寝前、ベッドサイドにある豪華な布張りのアンティークなソファに座り読書に耽るのは、ロイエンタールの毎日の習慣。そして、そんな彼を天蓋付きの豪奢なベッドの上に寝そべりながらヘネラリーフェが眺めるのも、これまたいつもの光景。
 そんな中で、ヘネラリーフェがロイエンタールの傍らに移動しながら呼び掛けた。
「ん?」
「今日はビックリさせちゃってゴメンね」
 ソファの後ろに回って、ロイエンタールを背後から抱き締めながらヘネラリーフェが囁く。どちらかと言うと賑々しいことよりも、ひとり静かにグラスを傾ける方が好みなロイエンタールにとっては、今夜のバースデーパーティーは些か疲れるものだったかもしれない。 
「いや、嬉しかった」
 素直な感想である。今日のように他人から誕生を祝福されたことなど、過去一度たりともなかった。また、そうしてもらいたいと思ったこともなかった。下らないドンチャン騒ぎ……そう思っていたのも事実である。
 だが、親友夫妻と最愛のヘネラリーフェがロイエンタールに内緒で進めてくれた今夜の企画は、確かにロイエンタールに幸福感を抱かせた。愛する人と大切な人に見守られていることが、例えようもなく幸福で……
「本当?」
 シャワーの後で、まだ湿ったままの艶のあるダークブラウンの髪に顔を埋めるようにして、ヘネラリーフェが囁くように問う。
「ああ、本当だ」
 背後から回された華奢な手に自らのそれを重ねながらロイエンタールが頷く。
二人は暫し無言の刻の中で、それぞれの温もりと幸福感を噛み締めたのだった。
「そうだ、私ロイエンタールにプレゼントがあったんだ」
 暫く後、ヘネラリーフェが思い出したように顔を上げ、慌てたようにドレッサーの引き出しからリボンを掛けた包みを取り出してきた。
「はい……改めて、お誕生日おめでとう、オスカー」
 そして、生まれてきてくれてありがとう……想いを込めて包みをロイエンタールに渡す。青緑色の瞳に促されるままに、彼はリボンを解き、包みを開けた。
 出てきたのはビロード張りのケース。蓋を開けると……
「こ、これは!?」
 普段、滅多なことでは狼狽えたりしないロイエンタールが、本気で狼狽えたような声をあげた。ケースの中におさまっていたのは、ピンクゴールドの台座に填り小粒ながらも最高級のダイヤの取り巻きに囲まれた炎のような澄んだオレンジ色の宝石が三つ、いや、二組と言った方がいいだろうか。それは、タイピンとカフスだった。
「駄目だ……こんな大切なもの、もらえない」
 ロイエンタールが慌てたような口調でへネラリーフェに言い募る。手の中にある炎の色をした宝石は、あの日ブラウシュタット侯爵家の本宅でヘネラリーフェが母の形見と教えてくれたあのファイヤーオパールだったのだ。
「お前、この為にこれを?」
 自分に贈る為にあの時ヘネラリーフェはこの類い希な宝石を探しに行ったと言うのだろうか。しかも、その大切な形見を三等分にカットまでして、つまり、ロイエンタール以外の誰にも使わせる気などないとでも言いた気に作り替えてしまっているのだ。
「どうしてここまで……大切なものなんだろう?」
 ロイエンタールの口調が微かに震えている。彼には慕う母などいない。父もいない。だが、自分では気付かない心のどこか奥底で彼が絶えず母の温もりを求めていたことを、彼はヘネラリーフェという至上の存在を手に入れたことで、ようやく悟ったような気がしていた。
 ヘネラリーフェは実際には母親の顔を知らない。だからこそ、父親から託された唯一の母親の形見が、彼女にとってどれほど大切で重要なものなのか、彼にはわかるつもりだ。それを……
「大切なものだから……だから、貴方にあげたかったの」
 何よりも大切なロイエンタールだから、だから自分の一番大切なものをあげたかったのだ。もっとも、十数年も忘れ去られていたオパールでは、ロイエンタールに失礼なような気もするが。
「でも、思い出して探しに行ってくれたんだろ?」
 そう……この宝石の存在を思い出した瞬間から、彼へのプレゼントはこれ以外には考えられないと思っていた。
「どうしても、貴方に持っていてほしいの。きっと父も母も喜んでくれる」
 ヘネラリーフェはそう言うと、ロイエンタールの手に自らのそれを彼の持つビロードのケースごと包み込むように重ねた。
「ありがとう……大切に使わせてもらう」
 これ以上固辞するのは、かえってヘネラリーフェを傷付けることにもなりかねない。ロイエンタールはそう判断すると、彼女の想いごとその贈り物を受け取ったのだった。
「折角だから、このタイピンとカフスを付けた俺とデートして欲しいな」
 仄かに湿っぽい雰囲気を払拭するように紡がれたその言葉にヘネラリーフェが翻弄されまくるのは、翌日のことである。
 が、そのお話はまた別の機会に……

 

Fin

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*かいせつ*

ま、間に合ったぁぁぁぁぁ~~~~~ 
なんとかロイエンタールのお誕生日に間に合いましたわぁぁぁ~~~(ヨロヨロ)
と言うわけで、ロイエンタールお誕生日企画モノでございます。ネタ提供元は、キリ番4444番をゲットされた際にミッターマイヤーお誕生日モノをリクエストしてくださった銀鈴さんです。
一応内容は「ロイエンタールのお誕生日を、リーフェとミッターマイヤー夫妻が内緒でお祝いしてあげちゃう」というものだったのですが、なんだかスッゴク前振りが長いんですよね、このお話(^^;;)
でもって、実際にミッターマイヤー達がお祝いしてくれるシーンなんて、全体の1/6くらいなんじゃない? ってくらいにしかありませんし~~(ひょえ~~)
ううう……毎度のことながら、なんでこう予定していたものからかけ離れていってしまうのでしょう(涙) そのかわり、ロイとリーフェの甘くてほのぼのなシーンは満載(?)ですから、それでご容赦を~~~~(深々)

 

2001/10/24 かくてる♪てぃすと 蒼乃拝

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