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第十一章

四 STRIDE


「お口に合いますか、どうかしら」
 何事もなかったかのようにビュコック婦人が手料理でロイエンタールをもてなす。アッテンボローは怒りを、シェーンコップは不敵さを、そしてヤンは一見何も考えていなさそうな、それでいて苦笑の面もちでそれを見守っていた。
 ちなみにヘネラリーフェはさすがに慣れた(?)もので、表情ひとつ変えることなくロイエンタールに接している。それでも内心は平静とはほど遠かった。
 やがて一応は平穏無事に昼食を終わらせた頃、ロイエンタールは退去を告げ立ち上がり、それを見たビュコックがヘネラリーフェを促した。
「お送りしなさい」
 一瞬『何故?』という顔つきでビュコックを見やったヘネラリーフェだったが、義父が何も考えずにそんなことを言い出す筈もなく、また不案内なロイエンタールを確かに一人で家の外に放り出す訳にもいかず(いくらなんでも敵艦隊の司令官を異国で迷子にするわけにはいかないだろう)渋々ヘネラリーフェは動いた。
 無言で歩くロイエンタールとヘネラリーフェ。実はその二人の後ろを止めろと言うヤンの換言などお構いなしに着ける二人連れがいた。言うまでもなくアッテンボローとシェーンコップである。一応護衛を兼ねてというのが二人の言い分だ。
「元気だったか?」
 ロイエンタールが問い掛けた。元気だったか? とはまた独創性の欠片もない言葉である。しかも昨日別れたばかりの相手に向かってだ。だが、これには様々な意味が込められていることをヘネラリーフェだけは悟っていた。
 捕虜帰りとなれば家族や友人はともかく、世間の目は厳しい。特にそれが女ともなれば、人々は好奇の眼差しでヘネラリーフェを見る。
「うん……まあ……」
 これもまた個性の欠片もない返答であるが、そんな返答でもちゃんと応えてくれたことがロイエンタールにとっては満足できることだった。
「あ、ありがとう。その……父達を助けてくれて」
 沈黙に耐えかね、ヘネラリーフェは約束をロイエンタールが守ってくれたことに一応礼など言ってみる。
「約束だったからな」
 返事は短かった。尤も、ビュコックほどの男の処遇を如何に侵攻した艦隊の司令官だったとは言え、ロイエンタールが独断で判断するわけにはいかない。いわば自分が助けたわけではなく、ローエングラム公の取り計らいと言えなくもなかったのだ。
 再び沈黙が二人を包み込む。だが、不思議なほど静穏な時間……しかし、それが壊されるのにそう時間はかからなかった。
 タッタッタという足音が、日も傾きかけた茜色の空間に微かに木霊する。常に危険と隣り合わせのロイエンタールでさえも咄嗟に反応することができないような、それは日常的な足音だった。
 ロイエンタールが反応しないようなものにヘネラリーフェが、そしてアッテンボローやシェーンコップが反応する筈もなく、気付いた時には危険は直ぐ目の前にあった。銀色の煌めきが一瞬目の前を過ぎる。その時、ヘネラリーフェの躰は無意識に動いていた。
「ロイエンタール!!」
 叫び声と共に動いた華奢な躰が、ロイエンタールに正面から抱き付いたかと思った直後小さく呻いて、まるで力を失ったようにズルズルと崩れ落ちる。
「リーフェ?」
 瞬間何が起きたのかわからずロイエンタールは立ちつくした。が、ヘネラリーフェの躰の下に真っ赤な鮮血を認めたその時、ロイエンタールもまた崩れるように座り込んだ。
「リーフェ……リーフェ!?」
 グッタリとした躰を抱き上げ揺さぶる。
「アッテンボロー中将、追え!」
 シェーンコップの声がしたのと、肩に力強い腕の力を感じとったのはほぼ同時であった。呆然とした面持ちでそちらを見やると青ざめたシェーンコップの顔がある。
「あんたらしくもない……落ち着け!」
 その言葉にハッとした。そうだ……呆然としている場合ではないのだ。ロイエンタールは負傷箇所を確認しようと、咄嗟にヘネラリーフェの着衣を裂いた。脇腹が鮮血で染まっている。後ろから撃たれたのだ。なんということだろう……あの時、ヘネラリーフェはロイエンタールをその身で庇ったのだ。
「リーフェ、しっかりしろ!?」
 ロイエンタールがヘネラリーフェの白い頬にそっと触れる。その感触にヘネラリーフェがうっすらと目を開けた。
「ロイ……無事? 良かった……」
 自分で何を言っているのか意識していないようだった。だが、だからこそその言葉はヘネラリーフェの本心で……
「なぜ……なぜ俺を庇った!?」 
 だがその問い掛けに応える声は聞かれなかった。

 ロイエンタールを狙った犯人を追ったアッテンボローだったが、結果は惨敗。ものの見事に逃げおおせられたらしい。
「心当たりは?」
 そう聞かれても答えようがないのはロイエンタールの方だろう。身に覚えはありすぎるほどあるが、場所がハイネセンとなると話は別だ。わざわざ敵国の首都星で狙う意味合いを彼は測りかねた。だがあの殺気のなさはどうだろう? プロなのか、はたまたまったくのド素人なのか……どのみちロイエンタールにはどうすることもできず、また犯人逮捕を悠長に待っていられる身でもない。
 その場合、ハイネセンの警察当局或いは憲兵隊に任せることになるが、狙われた当の本人がこの星から発ってからも犯人探しに躍起になってもらえるとは思えず、そういう意味で恐らくこの事件は迷宮入りになることが確定したと言っても良いだろう。
 もっとも自分の命が狙われたことに関しては、ロイエンタールが何かを感じるとも思えないので、これはこれで良いのかもしれない。問題はヘネラリーフェが傷付けられたということの方だった。

 

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