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第七章

四 記憶を辿って


 無粋な訪問者が立ち去った後、ヘネラリーフェはボンヤリと物思いに耽っていた。あの男のあの眼差しが気になっていたのだ。と言うより、どこかで見たようなそんな気がしたのである。
(どこでだろう?)
 思い出せそうで思い出せない。こういうのが精神衛生上一番悪いのだ。
 誰だったかなぁ……あまりに真剣に考えていた為、視線がある一点に留まっていたようだ。そこにロイエンタールが現れた為、結果的にヘネラリーフェがロイエンタールの顔をマジマジと見つめる状態になってしまった。
「どうした?」
 あまりにジッと見つめられ、さしものロイエンタールも狼狽えたようだ。と言ってもそれを表情に現すような可愛げのある男ではないのだが。
 ロイエンタールの問い掛けは、だがヘネラリーフェの耳には入っていなかったようだった。暫し無言の刻が流れたと思ったら、彼の問いとは全く関係ないような台詞がヘネラリーフェの口から紡がれた。
「私の身元がバレるのも時間の問題よね。どうするつもり?」
 バレたらロイエンタールもタダでは済まされないだろう。考えようによっては敵将校を匿っているととられかねないのだ。立派な叛逆罪だろう。ざまあみろとばかりにヘネラリーフェの可憐な口元に冷ややかで意地の悪い笑みが浮かんだ。
それを見たロイエンタールはヘネラリーフェへの認識を新たにしたようである。気が強いとは思っていたが、それ以上にかなりの意地悪人間らしいと。泣かされた人間は数知れずだろうな……と妙に冷静な分析までしていた。
 ヘネラリーフェのことだから恐らく身元がバレた時に己自身に降りかかるであろう火の粉についても重々承知しているだろう。それなのにこの冷ややかさである。
 一口に彼女の性格を説明しろと言われると困惑するだろうが、どうやらヘネラリーフェという人物は追い詰められれば追い詰められるほど冷静になる一面を持ち合わせているようだ。
 勿論あくまでも推測である。だが、あの戦略と戦術を思えばそれはあながち想像とは言い切れないだろう。そしてその辺りの性格は、ロイエンタールに似ていると言えなくもない。ヘネラリーフェが聞いたら一緒にするなと激昂するだろうが……
さて、そのヘネラリーフェの方だが、ロイエンタールが思ったとおり、実は彼を嗤ってばかりはいられないことに気付いていた。もし身元がバレたら立場が危うくなるのはむしろヘネラリーフェの方であると、そしてその場合どうすれば良いかと考えを巡らせていたのである。
(あっさり殺してくれれば良いけど……)
そうでない場合はかなり悲惨な目にあうことを覚悟しておかねばならないだろう。自白剤を投与されるくらいならまだしも、拷問のフルコースも考えられる。女ということで辱めを受ける可能性も大きい。もっとも、それに関しては既にロイエンタールの元で嫌と言うほど体験済みなのだが……
 それはともかく、もし捕らえられ何かしらの尋問を受けたとき、自分がどこまで耐えられるだろうかと考えると、シェーンコップは怒り狂うだろうが自らで命を絶つこともひとつの策として頭にとめておかなければならないだろう。
「嬉しそうだな」
 ヘネラリーフェの意地の悪い笑みに対してロイエンタールはそう切り返した。
「当たり前でしょ」
 嫌いな男が困り果てるなら万々歳である。それに付随する自分自身への危険はこの際考えない方が良さそうだ。そうでなければいかにヘネラリーフェと言えど精神的におかしくなりそうなものである。下手をすれば捕まる前に狂死だ。ということをつらつら考えていたら、やはり精神的に落ち着かなくなってきた。ヘネラリーフェは話題を変えることでそれを振り払おうとした。
「駄目元で聞くけど、今日来たあの男って何者?」
 予想に反してロイエンタールはあっさり答えてくれた。
「リートベルク伯爵。元帥府の一応高級官僚だ」
 聞き覚えのない名であった。それよりもなによりもロイエンタールの言葉についた『一応』という二文字の方が気になる。
「一応ってつけるということは、その人事に不満があるってことかしら?」
 鋭いところを付いてくるな……ロイエンタールは勇猛果敢な女性将帥が戦闘以外でもかなり有能なことを思い知らされた。
 事実不満であった。なぜあのような男に重要な役職を与えるのか……ロイエンタール達がリートベルク伯爵の身辺を調査し始めたのはそれなりに疑わしい部分があったからだが、それ以前に役に立つかどうかを問えばどう考えても答えはNineである。ただ高級将校としてのロイエンタールは何故彼が重用されるのかを知ってもいる。
「どうしてそんな役立たずを使おうだなんて思ったのかしらね」
 ロイエンタールの心をそのまま代弁するかのようなヘネラリーフェの言葉に、彼は彼女の洞察力に心底舌を巻いた。だがその答えは至極簡単なのである。
「義理だ……」
 義理? ヘネラリーフェは一瞬唖然とした。
 彼女は今の帝国を名実ともに牛耳っているローエングラム公ラインハルトという人間を直接は知らない。だが、双璧と呼ばれる彼の腹心を見れば、ラインハルトという男が義理より実力主義の人間であると推測するのは容易いことだ。
「ローエングラム元帥府きっての名提督の言葉とも思えないわね。あの役立たずを傍におくのが義理だなんて」
 だがそれが事実なのだからしょうがない。結局すべてはあのリップシュタット戦役から始まっているのだ。名門貴族でありながら、しかも父方から皇族の血を引いているサラブレッドがラインハルト側に付いた。それだけの、だが無視できない事実の為にあの男は現時点ではこの帝国で将来を約束されたも同然の地位まで昇り詰めたのである。ラインハルトに見放されるのがそう遠くない未来にあるとしても、今の彼は疑惑だけでどうこうできる存在ではなかった。
どこの世界にも柵というものが存在する。そして皮肉にもそれはゴールデンバウムという澱みきった世界を葬り去ろうとする若き帝王にも付いてまわっているらしい。
「で、あの男は一体何をしたわけ?」
 ごもっともな疑問だった。要するにローエングラム公失脚を狙っているのだ。そして代わって自分が権力を手に入れるという野望を持っている。どうやら手に入れるにも中途半端な権力では嫌だという如何にも腐った貴族らしい欲求を持っているらしい。
 手始めに、さもローエングラム公の味方だという顔をして金髪の孺子に近付いた。そして同胞というライバルを見捨て葬り去る。それも自らが手を下すのではなくローエングラム元帥府の戦力を使ってである。
 彼にとってこの計画はローエングラム体制にとってかわるといういわば簒奪ではなく、歴史ある貴族の血の為という崇高な目的に酔っているに違いない。しかし、簒奪ならともかく、彼のしていることは所詮泥棒さんだ。しかも小者の……
 しかもラインハルトが彼の思惑に気付いていなければまだ完璧な計画なのだろうが、生憎とラインハルトはそこまで無能且つお人好しな青年ではない。いや、むしろ辛辣だと言った方がいいだろう。でなければいくら姉が先帝の寵姫だったとしても若干二二歳(よくよく考えればヘネラリーフェと同年である)で元帥まで昇り詰めることはできない。同盟軍にしたって彼が皇帝の寵姫の弟だからといってわざわざ負けてやる義理も理由もないのだ。
 ラインハルトにとってリートベルク伯爵は所詮捨て齣だった。だからこそ、今彼を官僚として遇することができるのだろう。
それにしてもリートベルク伯爵が父方から皇族の血を引いているというのが気になった。ヘネラリーフェも母方だが肉親から皇族の血を受け継いでいる。あの男に見覚えがあるのもその辺りが関係しているのだろうか? その辺り、ロイエンタールならとうの昔に考えているのかもしれない。ヘネラリーフェは意を決して彼に言った。
「ねえ、この間見ていた書類、あの男の調書なんでしょ? 見せてって言ったら見せてくれる?」
 彼女らしからぬ怖ず怖ずとした口調だった。いくら不貞不貞しさで慣らしたヘネラリーフェでも軍の重要書類を見せろとはさすがに言いにくいものがあったのだ。それが自軍のものならともかく、あくまでも敵国である帝国軍のもので、しかも自分は捕虜だ。
 だがあの男が皇族の血を引くという点でやはりロイエンタールはヘネラリーフェに重ね合わせていたようだ。それ故、先刻の問いかけと同じく脱力するほどあっさりと調書を見せてくれたのだった。

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