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                私は宇宙から
             またたくまに去って
             小さくなってゆく星

            『愛されないもの』レイン

 

第四章

一 ノスタルジア


 イゼルローンに戻ったヘネラリーフェを待っていたのは、あるひとつの再会だった。ただ、この再会はヘネラリーフェにとっては再会と呼べるものではない。あくまでも相手の側に立ってこそ言える『再会』という言葉であった。
 帝国での動乱も一応の結末を見たと思われるその時、イゼルローン要塞に亡命を求める人物が現れた。ウィリバルト・ヨハヒム・フォン=メルカッツ、銀河帝国軍上級大将である。
 紆余曲折を得て、メルカッツは中将待遇の客員提督という身分でイゼルローン要塞司令官顧問に任命された。ヤンの尽力の成果である。
 そのメルカッツがヘネラリーフェの名を聞いて何やら考え込むような表情をしたのは彼女が要塞に帰還してすぐのことである。
 分艦隊司令官であるヘネラリーフェが彼に紹介されるのは当然であるし、彼女は『闇のニュクス』と呼ばれ敵味方関係なく有名な存在なので、メルカッツがその名に心当たりがあっても何等不思議なことはない。だが、そういったことを踏まえてもメルカッツのこだわり方は奇妙であった。
 何度となくヘネラリーフェの顔を懐かしさを湛えた眼差しでじっと見つめ、何か言いたげな表情をする。相手が自分に色目を使う軟派な男達だったら、彼女の厳しい眼差しと共にキツイ一言、場合によっては強烈は張り手が飛んでいたのであろうが、ヘネラリーフェはそこまで短気かつ礼儀知らずな人間ではなかった。ようやくのことで意を決しただろうメルカッツにヘネラリーフェが声をかけられたのはハイネセンで事後処理にあたっていたヤンが帰還した後である。
「ブラウシュタット少将、失礼だが父上は帝国軍元帥レオン・ルーイヒ殿ではないかな?」
 場所は要塞の中央司令室。息を呑んだのはヘネラリーフェではなく、そこに勤務する彼女以外の人間達であった。
(何故今更過去のことを思い出させるんだ)
 そう思った者が数多くいたことだろう。恋人のことはなんとか吹っ切った。だが、父親のことはどうなのだろう? むしろ幼かったことで、ダグラスの死以上にヘネラリーフェを深く傷付けているのではないのか? そう思うと極力触れさせたくない過去なのである。
 だが当のヘネラリーフェの方は、特に表情を変えることなくメルカッツに向かって口を開いた。
「父をご存じですか?」
 それがメルカッツの問い掛けを肯定する言葉であることに、まず彼の表情が驚愕から喜色へと変化していく。
「ではやはり貴女は!? 失礼だがお幾つになられましたか?」
「二一、いえもうすぐ二二歳になります」
 メルカッツには無論信じられないという想いも確かにあった。約十年前、帝国軍随一の智将の戦死と共に消えた一人娘がまさか一〇年近くを経た今生きていようとは。それも帝国が言うところの叛乱軍の軍人として。
 しかもタダの軍人ではない。『闇のニュクス』の異名を持つ、実父に勝るとも劣らない智将としてである。
 ヘネラリーフェの父レオンの死が単なる戦死でないことにメルカッツは薄々気付いていた。彼も貴族の一員なのだ。宮廷の権力闘争の凄まじさと醜さをその目で目の当たりにしていたし、レオンの存在が権力の亡者共に危険視されていることから何かしらの不安を抱いていたのである。そしてブラウシュタット元帥死亡の報は、彼の不安が的中したことを物語っていた。
 かといってメルカッツに何かできたとは思えない。この不幸な出来事を事前に食い止めることができたとは到底思えないのだ。だが僅か一〇歳の娘まで巻き込まれなければならなかったのだろうか? 
 メルカッツはレオンと特に知己という仲ではない。勿論まったく知らぬ仲でもない。同じ軍人としてその知略と勇猛さに尊敬さえ抱いていたし、何度かは同じ戦線に立ったこともある。だからこそレオンの死に無心ではいられなかったのだ。
 ヘネラリーフェはレオンの死に様をメルカッツに掻い摘んで聞かせたが、それを聞かされた今はその想いが尚更つのる。
「さぞ御無念だったことだろう」
 ヘネラリーフェは無言だった。それでも帝国にも父の死を悼んでくれる人がいたんだと知ることができたことは彼女にとっては喜ばしいことだったのかもしれない。
「メルカッツ提督、どんなことでもいいんです。父のこと、話していただけませんか?」
 考えてみればヘネラリーフェの脳裏にある父はいつも出撃していく姿なのである。
 父と暮らしたのは一〇年。だが、そのうち数年の記憶は幼すぎてないようなものだ。そして物心ついたときには父はいつも軍服を着ていた。それは最期の時もそうで……
 最初メルカッツはどう答えたものか迷った。場所が場所であったということもある。
「ここで話してください。みんなにも知ってもらいたいんです。私の父のことを」
 この言葉でメルカッツの心は決まった。彼はポツリポツリと話し始めたのだった。
 ヘネラリーフェの父のことといっても、メルカッツがそれを彼女以上に詳しく知っているわけではない。ただ、年齢がいっている分だけヘネラリーフェに比べて記憶していることが多いという、ただそれだけの違いであった。
「ブラウシュタット元帥は滅多に宮廷においでにはならなかったが、それでも何度か宮廷の晩餐会でお見かけしたことがあります。その場合大抵おひとりだったが、たった一度だけ、多分新年の祝賀パーティーだったと思うが、御息女を伴っておられたことを覚えています。確か貴女が八つか九つくらいの時だったと」
 父が死ぬ前年、宮廷の晩餐会に出席したことはなんとなく朧気であるがヘネラリーフェも記憶していた。それが父との数少ない楽しい想い出だったから。 
 戦闘に従事する父が地上にいるのはごく限られた時間だけ。僅かな時を惜しむようにレオンはヘネラリーフェを離さず可愛がってくれたが、どこかに出掛けたという記憶はほとんどない。
 出掛けられるほど地上にいなかったということもあるのだが、今にして思えばレオンは自分が如何に危険な状況に置かれているかを感じ取っていたのかもしれない。外に出ればそれだけ狙われる危険が増す。
 自分はともかく娘であるヘネラリーフェをそんな危険に晒すわけにはいかなかったと考えれば、二人が休暇のほとんどを屋敷内で過ごしたとしても納得がいくというものである。
「宮中に出入りする者達は、貴女を幼くして母君を亡くされた可愛そうな子供と見ていたようですが、失礼ながら私の感想は少々違っていました。貴女は少しも可愛そうな子供ではなかった。なぜなら、とても幸せそうだったから……貴女と父君は、それはそれは仲がよろしくて、まるで恋人同士のようでしてな」
 今でもその光景が目に浮かぶ。父が娘を抱きかかえるようにしながらダンスに興じる姿が。レオンが幼いヘネラリーフェを抱き上げ軽やかなステップを踏む。それに合わせるように、琥珀色の髪とドレスの裾が舞い踊る。そこだけまるで映画か何かのワンシーンのように輝いていた。
「あなた方親子は本当に幸せそうに笑っていましたよ」
 メルカッツの言葉にヘネラリーフェは目を閉じた。過去を懐かしむようにも、父を悼むようにも見え、誰も何も言えなかった。数瞬後、目を開けたヘネラリーフェの目尻に涙が滲んでいたことに、いったい何人が気付いたことだろう。
「話していただいてありがとうございました」
 ヘネラリーフェはメルカッツに向かって深々と頭を下げた。朧気だった幼い頃の記憶がはっきりとした形となってヘネラリーフェの元に戻ってきていた。幼い自分を抱き締めてくれた父の腕の感触までもがまざまざと甦る。
 最期の最期まで自分の幸せを願ってくれた父レオン。今でも夢に見るのはあの最期の時『生きろ』と抱き締めてくれたあの父のどこか哀しい、だが清々しいまでの笑顔である。
「貴女が軍人として帝国と戦っているのは、父君の復讐の為ですか?」
 メルカッツがそう問い掛けたのは、もしそうならそんな哀しいことはやめてほしいと考えたからだ。憎んでも憎みきれないだろう。だが、ヘネラリーフェが命をかけるほどの相手ではないのだ。そもそもレオンの敵ともいえる人種は帝国には既に存在しない。ローエングラム公ラインハルトの手でほとんどが葬り去られたのだ。
「心配無用です。欲望の塊のような愚かな人間相手に命をかけるほど暇でも物好きでもありませんの。私が軍人になったのは、まあいわば惚れた弱みってやつですから」
 綺麗にウィンクを決めると、ヘネラリーフェは中央司令室から立ち去った。残された者達は安堵の表情を立ち上らせたが、ヘネラリーフェを深く知る者達だけはそうはいかなかったようである。
「待て、リーフェ」
 ヤンの無言の頷きに促され、早足に廊下を行くヘネラリーフェにシェーンコップが追いついた。呼びかけに足を止めた彼女が振り向くと……
「その気の強さは誉めてやるが、泣くときは我慢しない方が良いと言わなかったか?」
 不敵な笑みでもってそう言われて、ヘネラリーフェは涙を湛えながらも苦笑した。
「最近涙腺が緩みっぱなしだわ」
 自嘲するように呟きながら、ヘネラリーフェはシェーンコップの胸に抱きついた。ただ、今ヘネラリーフェが流している涙は決して哀しみの涙ではない。むしろ喜びと言った方が良いのかもしれなかった。
(私は父に愛されていた。幸せだったんだ)
 分かり切っていたことだが、それを第三者を通して再確認できたのだ。そして、自分が今ここにいることにも想いを馳せる。不思議な縁であった。
 少なくとも一〇年前のヘネラリーフェにとって、今の自分を培ってきたともいえるこの自由惑星同盟は敵国であった。父の死という悲劇がもたらしたビュコックとの出逢いがどんどん広がって今の自分がある。
 もし父が生きていて、自分が帝国にいたら……そんなことはこの十年間考えたこともなかった。つまりそれだけ義父母に、ダグラスに、そして友人に支えられ、愛されてきたのだといえるのだろう。
「父を失ったことは今でもやっぱり哀しい。でも、父以上の存在に私は出逢えたような気がする。本当に素晴らしいわ。ここは……そして貴方達は」
 一生のうちにこんな素晴らしい出逢いがどれほどあるだろう? こんな出逢いを一生得られない人もいるだろう。それを思うと自分が果てしなく運の良い人間のように思える。
「レオンが私をお義父さんに預けてくれて良かった。お義父さんが私をここに預けてくれて本当に良かった」
 零れ落ちる涙を拭いもせずシェーンコップの胸に顔を埋めるヘネラリーフェのその呟きは、どこかそれを誇らしげに思う響きを湛えていた。

 

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