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ウルリッヒ・ケスラーという男
 

 ウルリッヒ・ケスラーという男は、掴み所のない人間である。
 彼と特別な接触を持ったことはあまりないが、それにしたってよくわからない御仁だ。ヘネラリーフェはケスラーをどのように表現するのが適当であるのか、思いつかなかった。
 例えば、彼は友人マリア・ミヒャエルの兄である。ロイエンタール曰く「フロイライン・ケスラーとの出会いが、ケスラーをロリコンにした」らしい。まぁ、その真偽はとにかく、彼が妹を溺愛していることは間違いない。ロリコンだろうが何だろうが、新妻のマリーカは大切にされているようであるし、妻は妻として、妹は妹として愛しているのだろう。ロイエンタールと比較すれば、ケスラーの方がよっぽど真っ当な神経をしている。
 例えば、彼は憲兵総監だ。就任後の粛清は苛烈であったらしいが、おかげで今や憲兵は末端に至るまで従順な犬だという。だが、冷酷なだけの人間ではない。規律は守らせるが、憲兵の息抜きに目くじらを立てたところは見たことがない。彼が部下に対して厳しく対処するのは、憲兵であることを手段にして、市民に圧力をかける場合だ。総監への市民の直訴も認めている。こうなると市民に対して寛容なようにも見えるが、犯罪への対処は冷然と行われる。地球教徒への対応は部下の憲兵ですら冷や汗が止まらなかったらしい。
 例えば、彼は帝都防御司令官である。これは憲兵総監との兼任で、元帥において大職を兼任しているのは彼だけだ。帝都防御司令官の職務は多岐に渡るが、最も特徴的なのは出入国監査であろう。国務尚書他の閣僚と連携しつつ、彼は武器や麻薬の持ち込みを未然に防いでいる。また宇宙海賊への武器の横流しに目を光らせるのも彼の役割だ。こう考えてみると、彼は常に多くを背負って尚も悠然と構えている稀有な人物である。
 例えば、彼はかのオーベルシュタインとも躊躇いなく渡り合える人間だ。何かと忌避されがちなオーベルシュタインだが、ケスラーとは士官学校の同期ならしい。二人が仲良く会話というのはさすがに想像できないが、ケスラーのオーベルシュタインに対する態度には気負いを感じない、極自然体であるように見える。無言の仲というか、何かしらの共通感覚があるように思える。それはマリアを媒介したものなのか、そうでないのかは判断がつきかねるが、とにかくケスラーはオーベルシュタインを他の人間とは違う物差しではかっているのだろう。
 例えば、彼はもともとは旗艦を持つ艦隊の司令官であった。《フォルセティ》という名のその旗艦は今、国務尚書の《人狼》と共に、格納されているらしい。この《フォルセティ》が再び宇宙へ出る機会はないかもしれない。ケスラーはどんな気持ちでこの旗艦を降り、地上勤務を受け容れたのだろうか。艦隊を率いる昂揚感はヘネラリーフェにとっても格別のものである。一度それを経験したものが地上へと降りるその気持ち。それは一つの決別が必要なのではないか?
 例えば、彼は若い頃には辺境勤務が多かったらしい。これは想像に容易い。さぞや上官にとっては扱いづらい部下であったに違いない。だが、それはつまるところ、若い頃からケスラーの性格は変わっていないということだ。謹厳実直。うん。これは確かにケスラーを形容するに相応しい。しかしそれだけではない気もする。冗談が通じない人間でもないし、おおらかな一面が表現しきれていない。
 彼の外見はどうだろうか。茶色の髪に茶色の目。若白髪が目立つが、珍しいものではない。主観にもよるだろうが、色男ではない。だが不細工でもない。長身のロイエンタールやオーベルシュタインと並ぶと身長が低いようにも見えるが、実際は男性の平均を多少越えているのではないだろうか。痩せてもいなし、太ってもいない。40代にしては引き締まった身体をしている。雰囲気はあまり軍人らしくない。いつぞや彼の私服姿を拝見したが、彼に威厳を纏わせていたのは軍服効果であった。よく言っても弁護士、正直に言えば売れない作家のようであった。

 考えれば考えるほどわからない人物。
 ヘネラリーフェにとってそれがウルリッヒ・ケスラーであった。

**********

「ま、そういうわけで、直接話を伺うことにしました」
 一体どういうわけなのかわからなかったが、ケスラーは「はあ」と頷いた。
 昼食に立ち寄った喫茶店で、ケスラーは突撃を受けてしまったのである。追い返すほどに冷淡でもなかったので、勤務に障りがなければ別に構うこともあるまいと、ヘネラリーフェに席を勧めた。
 ヘネラリーフェとケスラー。
 奇妙な組み合わせである。
「それで、何を訊きたいのですか?フロイライン・ブラウシュタット」
「長いから《リーフェ》で構いませんけど」
「では《フロイライン》、私に訊きたいこととは?」
「……」
 この距離感。これもまたケスラーだ。彼には馴れ合いがない。境界線をはっきりつける人なのだなと、リーフェは一つ学んだ。
「訊きたいことと言うよりはね、あなたがどんな人物なのか知りたかったの」
 ケスラーはコーヒーを口にし、ヘネラリーフェにメニューを差し出した。それを受け取ったヘネラリーフェもまたコーヒーを注文したが、その間にケスラーが口を開くことはなかった。
「ねぇ、あなたはどんな人間なの?」
 まさしく直球である。ケスラーは苦笑して、カップをソーサーに戻した。
「その質問では答えようがありません。そもそも何故そんなことを考えているのですか?」
 そう言えば、なぜこんなに気になったのだろうか。ヘネラリーフェは思い返したが、理由は見当たらなかった。
「忘れちゃったわ。でも気になっているの。ウルリッヒ・ケスラーという人間がどんなことを考えているのか」
 そんな状態で直接対決とは、まさにヘネラリーフェらしい行動だとケスラーは思った。彼女の性格だと思えば不快ではなかったが、意味もなく他人を詮索するのはどうかとも思った。
 しかしヘネラリーフェが感じたように、ケスラーは『真っ当な神経をしている』ので、僚友の大切な人物を邪険に扱うことはしなかった。彼がしたのは質問の訂正要求である。
「とりあえず、もっと具体的に質問をしていただけませんか、フロイライン。自分がどんな人間かと問われて即答できる人物はいないでしょう」
「…それもそうね。じゃあ、まずミミについてどう思う?」
「どう思うも何も、ミミは妹ですが」
「それはそうなんだろうけどさぁ~」
 ヘネラリーフェは焦れた。そんな当然のことを訊いているのではない。これもやはり質問の仕方が悪いのだろうかとヘネラリーフェは悩んだが、ケスラーは彼女の意を汲んでやった。
「大切に思っていますよ、マリーカとは別の意味で。ミミには辛いことがありすぎた。その過去の倍の幸せが彼女に降り注ぐことを願っていますし、そうなるための助力を惜しむつもりはありません」
 思いの他、詩的な表現も使うのだなと、ヘネラリーフェはまた一つ学んだ。
「仕事の話も聞いていいかしら?」
「憲兵隊の話ですか、それとも帝都の防御について?」
 ヘネラリーフェは、身体を張って出るタイプの割には理知的だな感心した。ケスラーは話題を細分化し、主題を明確にし、そして的確に答えようとする。
「どちらでも構わないのだけれど。あなたは二つの役職を担っているけど、せかせかした印象がないのよ。でもどう考えたって暇なわけはないでしょう?どうしてそんなに余裕なの?」
「余裕はありませんよ。しかし大きな事件や事故がなければ、特に追いつめられることもありません。着任当初は綱紀粛正に追われましたが、今は落ち着いています。
 フロイライン、あなたも艦隊を指揮するお立場だ。こういえばわかるでしょうか。巡回中の艦隊の司令官が最大に追い込まれるのは、期せずして敵艦隊とぶつかったときです。問題が起こる前に重要なのはルーチンワークを正しく執行させることと、適度に休養を取らせることです。
 私の役目はルーチンワークをその状況に合わせて変えることと、その実践の配分と監視です。
 組織と呼ばれるものは大小様々ありますが、それらが円滑に動くには多かれ少なかれこういった役目を負う人物がいるものです。それが組織の頂点であることが最も好ましいことではありますが、そうであらねばならぬわけでもありません。上部構造にそのシステムがあればいいのです。……黒色槍騎兵隊を例にすれば、トップはビッテンフェルトですが、オイゲンのような存在があるからこそ、隊として機能するのです。
 つまり、私はシステムさえ確立してしまえば、そのシステムの中に私自身ですらはめ込まれて、あくせくする必要はないわけです」
 ヘネラリーフェはケスラーの言わんとするところがわかるような気はした。要はヤン艦隊にムライが必要であったのと同じことだろう。ムライは『こうるさいおっさん』であったが、彼は確かにヤン艦隊を繋げるピースの一つであった。
「あなたは以前は艦隊の司令官だったわよね」
 ケスラーは片眉を跳ね上げた。本日ケスラーが示した最大の表情変化であった。
「そうですね。その話が聞きたいのですか?」
「まだあるわ。あなたと軍務尚書の繋がりよ。あなたの軍務尚書への態度は他の元帥たちとは違うように思えるわ」
 ケスラーは煙草を吸ってもいいかと問うた。ヘネラリーフェの了承に取り出された煙草は、オーディンでもフェザーンでも、どこでも手に入るありふれたものだった。銘柄に拘りがあるのかないのかは定かではないが、ロイエンタールのようなブランド志向はないらしい。
 灰皿を手元に引き寄せながら、ケスラーは「それらの何が疑問なのですか?」と促がした。
「士官となったからには大艦隊を率いるのは至上の喜びではない?」
「そうかもしれません」
「地上勤務に移ったのは何故?」
「それが勅命であれば」
「軍務尚書を憎らしく思うことはない?」
「時々はありますよ。私も人間ですから」
「時々?」
「時々です。彼が僚友であることに変りはありません」
 ヘネラリーフェはますますケスラーという人間がわからなくなる気がしてきた。それは彼女の顔に出ていたのかもしれない。ケスラーは灰に留意しつつ、ヘネラリーフェを見遣った。その表情はまるで相談にやって来た生徒を迎える養護教諭のようであった。
「フロイライン、あなたが真に何を訊きたいのかは私にはわかりませんが、今の問いに限って言えば、あなたは私の価値判断を問いたいようだ。そう理解しても構いませんか?」
 ヘネラリーフェは頷いた。そう換言されればそんな気もしたし、違うような気もしたが、一番の目的はケスラーを知ることであったから、聞いて損はないはずだった。
 ケスラーは短くなった煙草を灰皿へ押し付け、二本目を取り出した。
「旗艦を降りるのに、困惑がなかったとは言いません。宇宙か地上かと言われれば、正直な気持ちでは宇宙を取るでしょう」
「でもあなたは降りたわ。勅命だから仕方ないのかもしれないけれど」
「そう、勅命です。しかし私に選択がなかったわけではありません。私は私の意志で地上へ下りたのです」
 ヘネラリーフェは矛盾しないだろうかと首を傾げた。勅命の中に選択可能性があるとすれば、それは反逆ではないか?そんな彼女の疑問ですら、ケスラーにはお見通しであったらしい。ケスラーは逆にヘネラリーフェに切り替えした。
「連合艦隊の指揮官を拝命するとき、フロイラインに迷いはありませんでしたか?」
「そりゃあ、ずいぶん迷ったわ」
「つまり、そういうことです」
 火を点けられた二本目から立ち上る紫煙はケスラーとヘネラリーフェを分かつ溝のようであった。ヘネラリーフェにはケスラーの真意がわからない。ケスラーが地上に降りたことと自分が迷ったこととどんな共通点があるというのだろうか。
「フロイライン、迷いというのは選択の余地があるから起こるのです。我々の職業内での話に留まるならば、それらの悩みの多くは欲求と当為との間に起こる迷いです。つまり、自分がしたいこととするべきこととの間に差が生じるのです。もちろん、当為の中だけでも迷いは生じるでしょう。しかしこの話は別にしましょう。少なくとも私が地上勤務を選ぶにあたっての迷いは欲求と当為によるものなのですから」
「話がこじれてきた気がするのだけれど」
「いいえ、簡単なことです。私は欲求として宇宙にいたかった。しかし当為としては地上に降りるべきだった。そう言っているのです」
「それは違うわ。勅命なのだからあなたな地上に降りなければならなかったのよ」
 ケスラーは哄笑を耐えるように低く笑った。ヘネラリーフェはケスラーに馬鹿にされたような気がしてならなかった。
「勅命であったことは確かです。ですがそれは『誰かが地上に降りなければならない』という状況を示すにすぎません。降りるのはロイエンタールでもビッテンフェルトでも、誰でもいいのです。しかし、『誰が地上に降りるべきか』と問いを替えれば、それは私です。私に、他者が期待することです。だから勅命を受けたのは私なのです。
 自分を無能とは言いたくないものですが、私は艦隊の司令官としては良くても中の上くらいでしょう。陛下が私にお声をかけてくれたのも、艦隊戦による実績が理由ではありませんでした。陛下が私に与えた役割は艦隊の司令官ではなかったのです。
 私の言おうとしていることがおわかりになるでしょうか、フロイライン。
 組織ではそれぞれに役割があるのです。この役割を果たすことが、組織の成員資格の一つなのです。組織の成員でいたいのに、自分の欲するところと役割が違う。それによって、勅命は私に困惑をもたらしたのですよ」
 ヘネラリーフェは脳内でケスラーの言葉を整理して、また一つの疑問を投げかけた。
「でも、あなたは自分の意志で降りたのだと言ったわね」
「そうです。表面的には勅命ですが、内面で納得がなかったわけではない。私は私の意志で、当為を選んだのです。
 これが私の価値判断だとすれば、オーベルシュタインのことも理解いただけるのではありませんか?人間は善意だけでできているわけではありません。善意だけでできているとすれば、そもそも軍人なんて職業は成り立たないでしょう。社会だけではありません。人間で構成された組織内部でも同じことです。ですから、暗い部分を担う者は必要なのです。オーベルシュタインはそれを自身の役目として引き受けているにすぎません。
 ……オーベルシュタインがお嫌いですか、フロイライン?」
 ヘネラリーフェは頬杖をつき、オーベルシュタインが自分を見る姿を想像した。1ミクロンの友好さも感じない。適当にこの場を繕うことはできたが、真摯に受け答えをしてくれるケスラーに倣って、ここは正直に答えるのが筋だろう。
「嫌いとは言わないけれどね。好きなんて絶対に言えないわ」
「それが当然です。オーベルシュタインと私がフロイラインに取る距離。それが我々の役目です。
 しかしフロイライン、あなたは実のところ、我々を理解する必要はないのです。なぜならあなたは組織の外の人間だからです。あなたは陛下のご友人であらせられるし、階級も頂いている。だが、帝国軍組織の中で役目を担ってはいない。だが連合艦隊の司令官として、同盟の役目は担っている。あなたのもつ成員資格は帝国のものではない、同盟のものです。オーベルシュタインが感じる危惧とは、同盟の成員が帝国の成員になりすますことへの危惧なのですよ。
 もちろん、オーベルシュタインがどれほど本気で疑いを持っているのかは、オーベルシュタイン本人にしかわからないことです。ですがそれをあなたが気にかける必要はありません。嫌いなら嫌い。それでいいのです。あなたは我々の僚友ではないのですから」
 何だか嫌な言い方だと、ヘネラリーフェは思った。ケスラーはつまるところ、ヘネラリーフェを拒絶したのだ。しかし、何と言い返すべきだろうか。二者択一で帝国人か同盟人かをはっきりしろと言われれば、確かにヘネラリーフェは同盟人だった。だからこそ、逆説的だがロイエンタールとの絆は深いのだ。
 憮然とするヘネラリーフェに、ケスラーは微笑んだ。ヘネラリーフェは戦術センスに富んだ、稀有な女性であったが、ケスラーには妹と同じに見えた。年齢だけを考えれば、ヘネラリーフェはマリアよりさらに二年若いのだ。
「…何かに迷っておられる?」
「えっ?」
「いえ、私の思い違いならそれで構いません」
 ケスラーはカップに残った冷めたコーヒーを飲み干した。それを見て、ヘネラリーフェは自分のコーヒーが一口も飲まれぬままに冷めてしまったことに気が付いた。冷静なつもりで、実はケスラーの話に熱中していたようだった。
「別に大きな問題を抱えているわけじゃないわ。でも日常のどこにだって迷うことは存在しているんじゃない?それともあなたはもう迷うことなんてないのかしら?」
「私だってまだまだ迷うことはありますよ。ですが、迷うということはある意味では幸せなことです」
 ケスラーの言葉はどうも謎掛けが多すぎる。ヘネラリーフェは眉を寄せて、ケスラーに換言を求めた。
「先ほど申し上げたとおり、迷いにあるのは選択の余地なのです。
 フロイラインは最初にミミについて質問なさいましたね。私はあなたとミミが重なることがよくある。ですが、あなたとミミとでは決定的に違うことがある。それはミミには自己決定が、つまり選択が少ないということです。フロイラインにも選択ができなかったときがおありだと思いますが、自身で選んできたことも多くおありだ。ヤン・ウェンリーとのことにせよ、ロイエンタールとのことにせよ。
 ミミは常に時勢に流されてきた。ミミがどう思っているのかはわかりません。自分で選んだのだと言うかもしれませんね。だが、ミミは私の見るところ、主体的な行動選択をしてきたわけではないようだ。彼女のエポックメイキングは生死に関わるものがほとんどですから、生を優先せざるを得なかったというのもあるかもしれませんが、ミミ自身の性格的なところもあるでしょう。
 フロイラインとミミ。どちらがいいとか悪いとか、そういう話ではありません。人間は意志の強い人間もいれば弱い人間もいて、置かれる立場もそれぞれに異なり、それらが共存して社会を形成しているのです。自己決定の能力には差異があります。しかし、選択の可能性は等しく与えられるべきだと、私は思っているのです。
 私がミミをフェザーンに呼び寄せたいことはご存知でしょう。私はそれを無理に強制することができます。でもそれよりも、私は彼女に選択可能性を差し出したいのです。
 迷いとは縛られることではありません。自由であることの証拠にすら成り得る、人間に許された行動なのです」
 ヘネラリーフェの返答も聞かぬまま、ケスラーは伝票片手に立ち去っていった。ヘネラリーフェはしばらく呆然として、我に返ったときには自分の伝票も消えていることに気付き、ケスラーがフェミニストなことをさらにまた学んだ。

**********

 軽い気持ちでいたのに、随分と深刻な話をされてしまった。その上、あんなに饒舌な人間だとは想像もしなかった。しかも、一番にヘネラリーフェを落ち込ませたのは、あれだけしゃべらせながら、結局ウルリッヒ・ケスラーを表現することができない自分だった。
 小さく唸りながら夕食の子羊を見つめるヘネラリーフェに、ロイエンタールは不信な目を向けた。
「どうした、羊は嫌いだったか?」
 そんなわけはない。同じメニューが以前にも出されていたし、それをヘネラリーフェは綺麗に平らげていた。
「あぁ、ごめんね、ロイエンタール。ちょっと考え事」
 そう言ってナイフとフォークを動かし始めたヘネラリーフェに安堵しつつ、ロイエンタールは言付けを思い出していた。
「そう言えば、ケスラーと何かあったか?」
「…うん。ちょっとお話ししただけよ」
 別に疚しいことがあるわけでもないのに、ヘネラリーフェは言い澱んだ。ケスラーの言葉を上手く飲み込めていないような、そんな気がしていた。この子羊のように美味しく頂けたらいいのにと、ヘネラリーフェは埒もないことを思ってしまう。
「ケスラーがお前に伝えて欲しいと言ってな。何だったか…今日の話は自説であって、お前にはお前の説があるだろうから考え込まないでくれとか。ケスラーと一体何の話をしたんだ?」
 ロイエンタールならば、組織の内部の人間ならば、ケスラーをどう表現するだろうか。ヘネラリーフェは沸き起こる疑問をそのままぶつけることにした。
「何かを話したかったわけじゃなくてね、あの人がどんな人間なのか知りたかったのよ。ねぇ、ロイエンタールはケスラー元帥をどう思う?」
「ロリコンだ」
 即答だった。ヘネラリーフェは「真面目に訊いているのよ」とロイエンタールを睨んだ。ロイエンタールは何を真面目に考える必要があるのか皆目わからなかったが、とりあえずヘネラリーフェの期待に応えることにした。
「喰えない御仁だとは思う。だが、背中を預けるにあれほど安心できる奴はいないだろう」
「ミッターマイヤー元帥はどうなるのよ?」
 本当に真面目ならしい。
 ロイエンタールは食事を続けながらも、ヘネラリーフェに対して真剣な眼光を向けた。
「ミッターマイヤーとは意味するところが違うかもしれんな。だが、ケスラーは絶対に裏切らない。
 俺にしてもミッターマイヤーにしてもお前にしてもだ、基本的には前線に立つのをよしとする人間だ。前線は死亡率も高いが、武勲も目立つ。だから前線指揮官は出世しやすいとも言えるだろう。だが言うまでもないと思うが、戦争は前線だけでするものではない。後方支援なしに前線での勝利などあり得ん話だ。例えばアイゼナッハやメックリンガーだ。俺は自分を卑下するつもりはないが、俺やミッターマイヤーの昇進が速かった理由の一つは前線指揮官だったからだと自覚はしている。奴らは本来もっと評価されて然るべきなんだ。
 ケスラーも同じだ。艦隊指揮官ならば誰だって前線で武勲を立てたいだろう。だが、ケスラーは早くから旗艦を降りた。誰かが首都を守らねばならん。ケスラーは為すべきことを為す人間だ。自身の為すべきことが、前線ではなく地上にあることを奴はわかっていたんだろう。そういう人間は組織を裏切らないものだ」
「……ケスラー元帥も同じようなことを言ってたわ。組織には役割があるって」
「そうだ、役割だ。憲兵総監なんて偉そうに聞こえるが、軍人として考えれば奴は自己顕示欲に薄い人間だ。そうでなきゃ、誰が旗艦から唯々諾々と降りたりするか。
 だが、リーフェ。そのケスラーと話をして、お前はどう思ったんだ?」
 リーフェは逡巡したが、やっぱり上手い表現は出てこなかった。
「わからないのよ。真摯に応答してくれたんだけど、どうも私は拒絶されたみたい。でも、その拒絶ですら役割ならしいわね。
 謹厳実直ってだけじゃないことはわかるんだけど」
 ロイエンタールは喉元で笑いを堪えていた。ヘネラリーフェは疎外感を感じていた。組織に属さない人間が理解しようなどとは傲慢なのだろうか。
「何を思っているのか知らんがな、リーフェ。全ては憶測にすぎん。結局ケスラーは《喰えない》奴なんだ。奴を理解している人間がいたら俺も会ってみたい」
「この子羊のようにはいかないってわけね」
 ヘネラリーフェは溜息を吐き、また一片ステーキを口に入れた。

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キャアキャア、またいただいてしまいました♪
みのりさん作の、今度はリーフェとケスラーとコラボ作品です(#^.^#)

みのりさん、ありがとうございました。

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