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第十章

六 白き流砂


 同年も改まった一月一九日、ヤン艦隊はイゼルローン要塞を放棄してハイネセンへと向かった。追撃を望む声も多く出たが、ロイエンタールはそれに関しては許可せず、イゼルローンへの進駐を果たす。労せずして要塞を手に入れたのだ。それだけでも十分な勝利だった。譲られた物なら悪びれずに貰っておく……彼はこう考えたのである。
 ヤン艦隊の置き土産である爆弾解体、端末へのデータの入れ直しなど、とにかくイゼルローンへの進駐に伴う雑務に忙殺されながらも帝国軍の要塞としての機能をほぼ回復させたロイエンタールは、2月になってウルヴァシーに建設された軍事拠点において、その前に既にビュコック率いる同盟軍本隊と一戦交えたローエングラム公率いる帝国軍本隊と合流を果たす。
 二月になり、ヤン艦隊による帝国軍補給部隊への度重なる攻撃が相次ぎ、ついにローエングラム公ラインハルトはある決断を下した 提督達の参集したホールで、ラインハルトの瞳が提督のひとりに向けられる。
「ロイエンタール、卿は艦隊を率いてリオヴェルデ星域に赴き、そこの敵補給基地を攻略すると共に周辺航路を征圧せよ」
 ロイエンタールが返答を呑み込んでラインハルトを見返すと、若い独裁者は低く笑って見せた。そう、これは擬態だった。ヤンがラインハルト自身を決戦の場に引きずり出そうと画策するなら、それに乗ったと見せかけヤン艦隊を引きずり出し網にかけるつもりなのだ。その為には、ラインハルトが孤立する必要があった。その為に諸提督達を自らの元から引き離す必要があるわけで、つまり総司令官自身が囮になるということだ。
 こうしてまずミッターマイヤーが四月四日に艦隊を率いてエリョーセラ星域へと進発し、ロイエンタールは翌四月五日、リオヴェルデ星域へ向けて侵攻していった。
「皮肉なものだな」
 ミッターマイヤーが出発する前日、双璧は暫し語らいの場を持った。そう……あまりに皮肉な成り行きであった。ロイエンタールが侵攻を命じられたリオヴェルデ星域は、こともあろうに惑星カプチェランカに近いのだ。
 近いといっても無論宇宙空間のことだから、お隣の家に歩いて行くような訳にはいかない。が、艦隊旗艦クラスの戦艦なら、恐らく半日もあれば行き来することができる距離だろう。
「ところで彼女はどうしている?」
 ミッターマイヤーが気がかりを口に出した。トリスタン内で同盟兵と熾烈な白兵戦を繰り広げたことはミッターマイヤーにも既に知らされている。その際に、僚友の退路を確保する為にヘネラリーフェがロイエンタールを人質にとったこともだ。
「さしものロイエンタール閣下も彼女には敵わなかったと見える」
 からかいを含んだ口調でミッターマイヤーが言ったが、ロイエンタールは別段怒った風もなく、ただ苦笑ともとれる笑みを浮かべただけだった。
 変われば変わるものだとミッターマイヤーは妙な感嘆を覚えた。
 別に普段にしても怒りっぽいなどの感情の起伏が見られることは一切ない。それどころか冷淡過ぎるほどの反応が返ってくるのが普通だ。からかわれて苦笑するなんてことは絶対にあり得なかった。そもそも、からかおうと思ったこともないし。が、ミッターマイヤーは直ぐに表情を改めてロイエンタールに向き直った。自分とロイエンタールの間では笑って話せることでも、事が事なだけに深刻な問題でもあるのだ。
 司令官を人質にとられて、ロイエンタールの部下達がヘネラリーフェをそのまま見過ごすとも思えない。彼の目の届かない所で報復されることが予測されるのだ。
「あれから部屋に閉じこもってダンマリだ」
 ロイエンタールがヘネラリーフェの様子を端的に伝える。
「部屋から出てこないのか?」
「と言うより、出さないようにしている」
 下手に部屋から出せば、それこそ危惧したように兵に何をされるかわからないからだ。
「これからどうするつもりだ?」
 尤も気がかりなことをミッターマイヤーは訊いてみた。
「どうしたものかな……」
 まるで他人事のような返事だ。だが、本当にどうすれば良いのかわからないのだからどうしようもない。
「憎んでいる筈なのに殺してはくれず、帰れと言っても帰らず、もうどうすれば良いのかわからん」
 弱音という本音が出た。それでもヘネラリーフェを愛している。どれほど憎まれようと、もはや彼女なしの人生など考えられぬほどに……
「なあ、ひょっとして少しは脈があるのではないか……?」
 何気なく言ったミッターマイヤーの言葉を聞いて浮かれるほどロイエンタールは自信家ではない。ことにヘネラリーフェに関しては……
「気休めにしか聞こえんな、それは」
 ダグラス=ビュコックを殺したという事実が覆されぬ限り、どうやってもヘネラリーフェが心を開いてくれぬだろうとわかっているのだ。
「行ってみるかな、カプチェランカに」
 ポツリと呟いてみた。それはまるで自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。行ってどうなるものでもない。だが、ダグラスの最期の言葉を伝えることはロイエンタールとってのヘネラリーフェへの義務でもあった。
(伝えなければ)
 最期の言葉を、最期の想いを、あの白い世界で一言一句洩らすことなくヘネラリーフェに伝えよう。そんな決意を残しロイエンタールは旅立ったのだった。

 ロイエンタールほどの男にかかれば、リオヴェルデ星域の敵補給基地攻略と周辺航路の征圧という任務は容易なことだったようだ。同盟の補給基地は容易く彼の手に落ちた。
 周辺航路の征圧に関しては、惑星や補給基地の攻略のように一撃で済ませるという訳にもいかず、結局その辺りでタイムラグが生じた。だが、それがロイエンタールにとって好都合だったのは言うまでもない。
 任務に私情を挟むなど言語道断。自分自身でもそう思っていた。が、こればかりはそんな自分の心に目を背けるしかなさそうである。さすがに旗艦一艦で動くわけにもいかず、ロイエンタールは護衛艦を伴いカプチェランカへと向かった。
 どこまでも続く極寒の白い世界は、五年前のあの頃と少しも変わっていないように見える。苦い想い出が甦った。艦外に連れ出すことはさすがに出来よう筈もなく、ロイエンタールはヘネラリーフェを旗艦の展望室へと連れ出した。勿論、呼ぶまで誰も近付くなと部下達に固く言いつけて……
「…………」
 初めて見るカプチェランカの白い景色……ヘネラリーフェはガラス一枚挟んだ死の世界を無言で眺めていた。
(ここでダグは……)
 でもどこか信じがたい現実。宇宙空間の戦闘では、死んだと聞かされても死体という現実が目の前に突き付けられるわけではない。だから、今この場に至ってヘネラリーフェは自分がダグラスの死を心のどこかで信じていなかったのだと初めて悟ったのだ。
「あの日は嵐だった……」
 ロイエンタールの大きくもなく小さくもない低い声が、誰もいない展望室に静かに響き渡る。淡々とした口調がかえってもの哀しさを醸し出していた。
 嵐だった……先も見えぬ程の白い薄闇。その中で、互いの戦斧の刀身が激突し飛散する火花が両者の瞳を灼く。双方が白兵戦技術の粋をつくして戦斧の刃で相手の肉体を薙ごうとしたが、苛烈な攻撃と完璧な防御との均衡は容易に破れなかった。それを破ったのは立った一言、上官を気遣う部下のたった一言だった。
「互角だった。あの時声が掛けられなかったら、恐らくヴァルハラに赴いていたのは俺の方だっただろう」
 所詮言い訳に過ぎない。ダグラスは死にロイエンタールは生きているのだから。
「ダグラスが倒れたとき、俺は奴が他人とは思えなかった。そうだ……味方以上に頼もしい敵だった」
 友誼さえ感じた。そしてそれは多分ダグラスも同じだったのだろう。だからこそあのロケットをロイエンタールに託してくれたのだ。生きて欲しいと心から願った。だが運命の女神は片方にしか微笑んではくれなかった。だからせめて……
「聞いてくれ、リーフェ。生きろ……君は生きろ。こんな馬鹿げた戦闘で命を散らせるんじゃないぞ! これがダグラス=ビュコックの最期の言葉だ」
 反応はないかに見える。だが、ロイエンタールは静かに流れる銀の雫を確かに彼女の頬に認めた。
 静かな……静かすぎる慟哭。声を押し殺し、肩を震わせるヘネラリーフェにロイエンタールは更に言葉を続けた。
「何を言っても俺がダグラスを殺したことに変わりはない。だから俺を憎めばいい。憎んで、憎んで……俺を憎むことで生きろ。お前にはダグラスの分まで、いや、亡き父上の分も合わせて三人分生きる必要があるのではないのか? 確かに生の強要はできない。だが、ダグラスのことを愛しているなら……死ぬな、リーフェ! 心を殺すな」
 ダグラスの、そして父レオンの想いまでもがヘネラリーフェの心に流れ込む。
(ダグ……レオン……)
 不意にヘネラリーフェの躰が力を失って床に崩れ落ちた。強い、強すぎる想いがない交ぜになり、受け入れるヘネラリーフェの心が過負荷を起こしたのだ。そしてその中には恐らく無意識にロイエンタールへの想いも含まれていたに違いない。
 意識を無くして眠るヘネラリーフェの顔は、全てを受け入れたような安堵感を漂わせているようにも、そしてなにもかも捨て去ってしまった悲哀を秘めているようにも見える。ロイエンタールには、そのどちらかなのか判断することができず、ただただ彼女の眠りが安らかであるよう祈ることしかできなかった。

 

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