top of page

第二章

五 絆


「それで他の艦隊司令官達がね、ヤン先輩の艦隊がイゼルローンを攻めるって聞いて、おむつも取れない赤ん坊が素手でライオンを殴り殺そうとするようなもんだなんて言って酒の肴にしていたらしいんですが」
「ふ~~ん、正確な論評だね」
 アッテンボローの言葉にヤンは気のないようなあるような、特にこれといって感情の感じられない言葉を返す。正直他人にどう言われようと気にならないのだから仕方がない。
「そ、そうですかぁ? でも第五艦隊のビュコックの爺さんが一言言ったらみんな黙ったらしいですが」
「ほぉ~~」
 気のないふりをしながらも、その脳裏には先日のビュコックとの対話が甦る。もっともビュコックにしてみれば娘絡みで関係があるからとヤンを擁護したわけではなさそうである。ビュコックはビュコックなりにヤンの才幹を見抜いていたのだろう。
「彼女、第十三艦隊に転属になったそうですね」
「さすが耳が早いな」
「情報源は本人です。なんか楽しそうでしたよ、彼女」
 そう、久々に見る穏やかな笑みを湛えた表情は心底楽しそうだった。(戦争に行くのに楽しんでいて良いのかという疑問はこの際忘れよう)そしてそれは、これから難攻不落の要塞攻略に向かうとはとても思えないようなものであった。
 そんな顔をさせたのが自分ではなかったという悔恨にも似た気持ちがないと言えば嘘になるが、それでも彼女が前に向かって歩み出したのだろうと思うと正直嬉しい。
「ヤン先輩、彼女はなかなか手強いですよ。やりこめられないようにして下さいよ」
 アッテンボローの言葉には、それでも深い愛情が込められていた。
「充分覚悟してるさ。ま、もう一人というかもう一団体強力な助っ人を一緒にスカウトしたことだし、なんとかなるだろう。吉報を待っていてくれ」
 それが人間のことを言っているのか要塞攻略の勝算を語っているのか、結局アッテンボローにもわからず仕舞いだった。
 四月、第十三艦隊はイゼルローン要塞攻略の任務を負って出撃していったのだった。

 さて、発進直後からヤン艦隊旗艦ヒューベリオン内では周りの思惑とはかけ離れた、見ようによってはコミカルな攻防戦が展開しようとしていた。
「よっ! お嬢ちゃん」
「な、なんであんたが此処にいるのよ!」
 後ろから馴れ馴れしく肩を叩かれたと思ったら、目の前に二度と見たくないとその存在さえも記憶層から抹消していた最悪の顔が現れていた。
「そう毛嫌いしなさんな。今日からは同僚だ」
(同僚だぁ~~?)
 楽しい職場は一転してお先真っ暗な場所へと転落して……いくわけがない。嫌いな人間の一人や二人、いや一〇〇人や二〇〇人適当にあしらえなくて、艦隊勤務などできよう筈がないのである。
「そ、それはそれは。今後とも宜しくお願いしますわ、シェーンコップ大佐」
 語尾にハートマークでも付いてそうな極上の『計算され尽くした』笑みをひとつ残してヘネラリーフェはさっさと彼の前から立ち去った。残された方は、漏れ出る忍び笑いを抑えるのに必死といった体であり、まさに余裕綽々であった。(腹抱えて笑ってる姿を御想像下さい)
「まったく、飽きさせんお嬢ちゃんだ」
「楽しそうだね、シェーンコップ大佐」
 背後からかけられたその声にシェーンコップは表情を引き締めた。相手は自分をこの艦隊にスカウトした張本人ヤン=ウェンリーである。もっとも表情を引き締めたといってもこの男のことだから上官を敬うといった類のものからはほど遠い。そもそもヤンのこと、そして今回の作戦遂行に関してすべて納得しているわけではないのだ。
「何かご用ですかな?ヤン提督」
 恭しい口調の割には表情が不謹慎だなとヤンはまるで他人事のように考えていた。不敵な笑みとでもいうのだろうか。見る者が見れば嘲笑されているととれなくもないだろう。
「イゼルローン攻略に関して相談したいことがある。艦橋まで来てくれないかい?」
 まさかその為にわざわざ呼びにきたのだろうか? 仮にも艦隊司令官が、である。少々変わっているとは聞いていたが、ヤン提督という人間はいったい? 表情を変えずにいることがこんなに難しいことだったとは……シェーンコップは内心動揺した。
「ついでに彼女も一緒に連れて来てくれ」
 最後に難題を押しつけてヤンは先に行くとばかりに艦橋に戻ってしまった。結局シェーンコップはヤンに対して何も言えないまま取り残されたのである。
 ヤンはイゼルローン攻略に関しての相談と言った。ならば、今この場でなくとも質問に答えさせる場は設けてもらえるだろう。その時に辛辣な嫌味のひとつも浴びせてやればいいのだからと自らに言い聞かせながら、ひとまず命令を実行するところから始めることにして彼はヘネラリーフェを追った。
 既に飼い慣らされていると内心思わなくもなかったのだが……
 数十分後、半ば無理矢理引きづられるヘネラリーフェと引きずるシェーンコップがヤンの前に参上した。
「フォン=シェーンコップならびにフォン=ブラウシュタット参上いたしました」
 理由も告げられず強引に引っ張ってこられたヘネラリーフェはその場に来てようやく用向きがヤンからのものであったことを理解したらしい。憮然とした表情が幾分か和らいだ。
(ったく、そうならそう言えっていうのよ)
 おかげで余計な体力を使わされてしまった。しかもこの先は精神的エネルギーを使い果たしそうな気配なのである。
 ヘネラリーフェに第十三艦隊の司令部を司る人間で嫌いな人間はいない。だが、苦手とする人間はいた。ムライ准将である。
 ムライという人物は、少々独創性に欠くものの綿密で整理された理論と確かな判断力を持つ人物である。どちらかというと無秩序および非良識の人間の吹きだまりである十三艦隊のいわば歩く良識と秩序といったこところだろうか。口やかましくはあるものの陰湿ではないし、勿論悪い人間ではない。この人がいなければ恐らくこの艦隊は機能しないとまで言われている。
 それ故なのだろうか、ムライは敵以上に味方にその厳しい眼差しを送っていた。
 同盟軍ではシェーンコップ率いる薔薇の騎士連隊にまつわるある風聞がまことしやかに囁かれている。
 ローゼンリッターの歴代の連隊長は一二名。そのうち四名は帝国軍との戦闘で死亡。二名は将官に昇進した後退役。そして残り六名は我が軍を裏切り帝国軍へと走った。今度の出兵でも一三代連隊長が裏切るかも知れぬと……
 そして今ひとり、ヘネラリーフェに関してのヤンも知る通りの悪意に満ちた噂。
『帝国の皇帝陛下の血を引くお姫様はいずれ我らを裏切るやもしれぬ』
 勿論ムライはこんないい加減な風聞に振り回されるような人間ではない。だが無視もできないのが彼の人柄であった。無用な危険は排除しておくに限るのである。 
「もし噂通りに私が七人目の裏切り者になったらどうします? いや、私だけじゃない。こっちのお嬢ちゃんもですな」
 ムライの目をものともせずシェーンコップが問い掛けた。
(私まで引き合いに出さないでよ)
 喉元まで出かかった言葉をヘネラリーフェはかろうじて呑み込んだ。ヤンの返事がやはり気になったのだ。義父からは自分はヤンの第十三艦隊に望まれた結果の転属だと聞いた。だがそれは所詮ヤンだけが望んだことであった。つまりヘネラリーフェのような人間でさえも彼の幕僚の反応が気になったのである。
「困る」
 だがヤンの返答はただその一言だけであった。
「そりゃお困りでしょう。ですが困ってばかりですかな? 何か手を考えておられるのでしょう?」
 ヤンの真剣な表情にシェーンコップは苦笑で返したが、返事はまたも困惑を誘うものであった。
「特に考えてない」
「それでは我々を全面的にお信じになると?」
「ああ」
 隣にいる男の無礼千万の口調がいつしか気にならなくなっていた。ヤンの返答に明らかに困惑しているだろうことが見てとれたからである。そしてそれは自分自身もそうであった。ここまで自分を、そして彼を信じる根拠はなんなのだろうか? 自分自身のことである筈なのに、ヘネラリーフェはその時冷静な傍観者となっていた。
「そこまで我々を信じる理由をお聞きしたいですなぁ」
 誰もがみな、ヤンの答えを息をのんで待っていた。
 どうやらヤンは統合作戦本部内での例の騒ぎの時、あのラウンジに居合わせたらしい。つまり、ヘネラリーフェの威勢の良い姿は思いっきり目撃されていたのである。
「過日私は貴官達がトリューニヒト派の将校と衝突する場に居合わせてね。貴官達にシャンパンの一杯も奢りたくなった。それが理由かな」
「たったそれだけの理由で?」
 それだけ言うのがやっとであった。それだけで、あの僅か十数分の出来事だけで目の前の男は自分達を信じ、要塞攻略上最も重要な役目を与えようとしているのか。ヘネラリーフェは自分の躰から余計な力が抜け出そうとしていることに気付いた。
(私は今まで何を肩肘張っていたんだろう)
 軍人らしくない容貌と雰囲気を纏った若い司令官は、だが魔術師と言われるだけのことはある、とてつもなく大きな人間であったのだ。ヘネラリーフェはシェーンコップをそっと盗み見た。そして、彼自身もヤンの返答に満足しているであろうことを確実に読みとった。
 ヘネラリーフェの視線に気付いたシェーンコップが幾分皮肉っぽい笑みを彼女に向けた後で返したヤンへの言葉は、幕僚達を、そして何よりヘネラリーフェを十二分に納得させ且つ安堵させるものであった。
「期待以上の答えはいただいた。かくなる上は微力を尽くしますかな。永遠ならざる平和のために。な、お嬢ちゃん」
 隣のヘネラリーフェの髪をクシャリと書けば聞こえは良いが、かなり乱暴に掻き乱しながら、シェーンコップは気障な態度で言い放った。どうやらかなり気に入られてしまったようである。ヘネラリーフェにしてみればいい迷惑なのだろうが。
(ヤン提督の前じゃなきゃ好き勝手させないのにぃ!)
 髪を掻き乱す乱暴な手を振り解きたくなる衝動をかろうじて抑えながら、ヘネラリーフェはその場の雰囲気につられ、ついつい笑みを浮かべていた。かなり引きつってはいたが……
 完璧にシェーンコップの玩具にされていた。

 

bottom of page