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第二章

三 急流


 統合作戦本部での騒動の一部始終を、ラウンジの二階から見下ろしていた人間がいた。統合作戦本部長シドニー=シトレ元帥の次席副官を務めるアレックス=キャゼルヌ少将と、他ならぬあのヤン=ウェンリーである。
 寄せ集めの半個艦隊に言い渡された最初の命令は、あのイゼルローン要塞の攻略であった。その為の物資の相談と言えば聞こえは良いが、蓋を開けてみれば士官学校の先輩と後輩の密談である。
 キャゼルヌとヤンは士官学校の先輩・後輩であり、そもそもキャゼルヌは今日の艦隊結成式でのヤンの遅刻と訓辞に対して暖かな(?)賛辞を伝えるべく彼をラウンジに誘ったのである。
「らしいと言えばらしいが、前代未聞のことだな。司令官が結成式に遅刻したのもあの演説の内容も」
 キャゼルヌの言葉に頭を掻きながら、ヤンは寝坊した所為で頭の中がパニックを起こしていたんだと弁解した。もっともあまり説得力はない。寝坊などしていなくても、ヤンはあの手の演説が苦手なのである。
「用意する物資があったら遠慮なく言ってくれ。袖の下なしで話しにのるぞ」
 騒ぎが起こったのはそんな会話の最中であった。
 陶器の砕ける音と怒声、それに続く凛とした女の声。そして……
「あれは?」
 ヤンは視線を騒ぎの中心に向けたままキャゼルヌに問い掛けた。
「薔薇の騎士か」
 帝国からの亡命者の子弟で編成された白兵戦部隊で類い希なる戦闘能力持つ連中だが、どの艦隊も扱いかねているのだとキャゼルヌは説明した。つまりは軍の跳ねっ返りであるらしい。
「あっちは?」
 ヤンの視線の先にはヘネラリーフェがいた。
「あれは……」
 まさか知らないのか? という意味合いのものと、どう答えたものかという迷いが一瞬沈黙を生む。それに気付いたヤンが訝しげな瞳でキャゼルヌの方に視線を戻した。無言の催促を受けてキャゼルヌは仕方なく口を開いた。
「ビュコック提督の秘蔵っ子と言えばわかるか?」
「あれが……」
(アッテンボローの言っていた)
 それ以外にもヘネラリーフェの噂は一応耳にしたことがある。元は帝国貴族、しかも侯爵家の姫君であること、そして母方からゴールデンバウムの血を受け継いでいること。悪意を持った噂も勿論あった。
『いずれ同盟に反旗を翻すさ。何せ母親は皇帝陛下の従姉妹姫だからな。つまり彼女は筋金入りの専制国家の人間ってことだ。俺達も寝首を掻かれないように気を付けなくてはな』
 なんの根拠もないただの噂であるが、あまり気持ちの良いものではない。特にヤンにとっては面識がなくとも後輩であるアッテンボローの想い人である。そのことがそれらの悪意を含んだ噂に嫌悪感を抱かせていた。
 視線を再び階下へ戻す。毅然として凛とした気を纏うヘネラリーフェに、だがヤンはどこか危うげなものを敏感に感じ取った。勿論それはアッテンボローから聞かされていた知識があったからこそかもしれない。だが、実際彼女を目の当たりにしたこの時、事態が如何に深刻であるかをヤンは察知したのである。
 ヘネラリーフェの一種独特の雰囲気に、これまでに漏れ聞く功績などのデータの断片を重ねていく。(彼の記憶力からすれば『断片』でも致し方がなかった)
 ヤンの判断は早かった。
「さっきの物資の話しなんですがね、帝国軍の軍艦を一隻調達して下さい。それと軍服を二〇〇着程。それからあのローゼンリッターを我が艦隊に」
「ローゼンリッターを!?」
 驚愕するキャゼルヌにヤンは更に追い打ちをかけた。
「そして……彼女を」
 ヘネラリーフェの運命が急速に動き出した瞬間であった。
「彼女ってブラウシュタット大佐のことか?」
 キャゼルヌらしくない冷静さを欠いた質問である。他に誰がいるのかという風情でヤンは頷くと珍しくも力説した。イゼルローン攻略に彼女の能力は不可欠だと。
 ヘネラリーフェのアスターテでの功績はいくら噂に疎いヤンでも耳にしている。ラウンジでの一件で、少なくとも彼女はお飾りの士官などではなく階級に見合った能力を備えているということもわかった。勿論大の男相手に堂々と渡り合った気性も気に入ったのだが。
「是非彼女を我が艦隊に」
 頑固者だということは重々承知していたが、まさかヤンが女性士官一人にここまで拘るとはキャゼルヌは思いもしていなかった。これが恋愛沙汰ではないということだけは彼にもわかるのだが、いったい彼女の何がヤンを惹き付けたのだろうか。確かにラウンジでの一件ではキャゼルヌも彼女に盛大な拍手を贈りたい気持ちになりはしたが。
「わかった、なんとかしてみよう」
 だがあまり期待するなと釘を差すことをキャゼルヌは忘れなかった。彼女は第六艦隊の残兵ではあるが、既に第五艦隊への配属が決まっているのである。
「第五艦隊?」
「そうだ。彼女はビュコック爺さんの、つまり父親の艦隊に所属することになっているんだ。果たして転属に頷いてくれるのか……いや、これは命令でなんとでもなるが、それ以前にビュコック中将が聞き入れてくれるのかという問題もある」
 ビュコックという老兵は私心で動くような人間ではない。だが、ことは娘の命にも関わることなのである。自分の知らない場所で自分ではどうすることもできないまま娘を失うより、例え戦況が最悪であっても自分の傍で……と彼が考えてもキャゼルヌ自身は多分ビュコックを非難する気にはなれないだろうと思っていた。しかも二年前に息子を亡くしていれば、娘に執着するのも尚更であるとも思えるのだ。
 俺が駄目ならお前さんが直接ビュコック提督を説得しろと最後に付け加え、キャゼルヌは立ち去った。 
 だがキャゼルヌの心配を余所にことは意外な方向に流れたのである。

 

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