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第十二章

四 熾烈


「顔色が悪いな」
 ロイエンタールのそんな言葉に耳を貸そうともせず、ヘネラリーフェはイゼルローン要塞攻撃の作戦を説明し続けた。
 五重の陽動、それこそヘネラリーフェの作戦である。あまりに見事なそれに、ロイエンタールは内心でヘネラリーフェに賞賛を浴びせたが、それを口にすることはなかった。それよりも、彼女のあまりに白い頬が気になったのだ。
 ロイエンタールは立ち上がると、机の反対側に発つヘネラリーフェに近付き随分痩せ細ってしまった感のある華奢な肢体をそっと抱き締める。抗うかと思ったが、予想に反してヘネラリーフェはロイエンタールの腕を拒もうとはしなかった。
「少し熱があるな」
 額に口付けた時、ロイエンタールはヘネラリーフェの体調の変化に気付いた。取り立てて熱すぎるというわけではない。言うなれば微熱の範囲だろう。戦闘を前に高揚したり緊張したりすれば誰にも見られるものでもある。
 だが、白すぎる顔色と生気のなさがロイエンタールに警鐘を鳴らした。どこか変だった。ヤンを攻撃しなければならないということを差し引いても、このヘネラリーフェの様子はあまりに弱々しかったのだ。そして、ヘネラリーフェ自身はロイエンタールのその言葉も腕も振り払うこともできずにいた。
 気分が沈んでいると言うだけでは説明出来ない不快感が彼女を襲っていたのだ。頭痛、目眩、倦怠感、それらが絶えず全身を苛む。ぶつけた覚えもない青痣も、実は気がかりな要因であった。
 だが、ヘネラリーフェは精神を気力だけで引き上げた。既に戦端は開かれている。ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。ビュコックの命の代償分だけは働かねばならなかった。
「大丈夫です」
 そうは言うものの顔色は決して大丈夫ではなく、だが確かにロイエンタール自身も悠長なことをしていられる身ではない。既に総旗艦ブリュンヒルトへ移乗するシャトルも準備されており、これ以上皇帝の元へ参じるのを伸ばすわけにもいかなかった。仕方なく今はヘネラリーフェの言をいれ、ロイエンタールは彼女を伴ってブリュンヒルトへと向かったのだった。
 戦局は刻一刻と変わっていく。だが、帝国優勢の状況には変わりがなかった。五カ所同時の陽動はヤンに手痛い一撃を与えたのだ。戦術・戦略レベルではどうであれ、ヤンには人員・艦艇の量が圧倒的に不利ときている。が、それでも魔術師と謳われるだけのことはあり、再三にわたって帝国軍を翻弄した。そう……狭隘な回廊に大兵力を投入し、一四日にわたって戦火を交えたにも関わらず、帝国軍は少数の敵を圧倒しえなかったのである。
 突如帝国軍が後退を始めた。
(リーフェに何かあったか?)
 ヤンは追おうとはしなかったが、心の中にある暗然とした想いが広がっていくことを押しとどめられなかった。

 総旗艦の艦橋で苛烈に指揮をとり続けるヘネラリーフェをロイエンタールは彼女の隣でただ見つめることしかできなかった。変調はだが思いのほか早くきた。ヘネラリーフェの足下がぐらついたのだ。 咄嗟に抱き留める。そんなロイエンタールの腕を払い退けながらヘネラリーフェは尚命令を下そうとした。
「もういい、もうやめろ!!」
 皇帝の御前であることも忘れ、ロイエンタールは絶叫した。これ以上、ヘネラリーフェに指揮をとらせるのはあまりに残酷だ。何よりも彼女の様子は尋常ではなかった。ヘネラリーフェを抱き締めたままロイエンタールがラインハルトに向き直る。口を開こうとした瞬間、その台詞を引ったくられた。
「もうよろしいでしょう、ラインハルト様?」
 キルヒアイスだった。そもそもこの戦いは無益だったのだ。自由惑星同盟は滅びた。
 元々ヤンが出奔したのには帝国側の彼に対しての不備がある。確かにレンネンカンプを死に至らしめたのはヤンだし、自縊とは言えそんな死に方をしなければならないほどレンネンカンプは悪人ではなかった。だが、ヤンと話し合う度量を帝国は持つべきだったのではないのか? キルヒアイスはそうラインハルトを諭した。
 それにヘネラリーフェにこれ以上戦わせるのはやはり酷だ。かつての上官を、そして僚友を裏切るというだけでも彼女の心にかかる負荷は重いものなのに、どう見ても万全ではない体調では尚更無理があるというものだ。ロイエンタールが止めなければ恐らく自分が止めに入っただろう。
「ヤン=ウェンリーとお話ください」
 キルヒアイスはそう言うと、真摯な眼差しでラインハルトを見つめた。いつでも間違ったことを言わないキルヒアイス。そうだ……ラインハルトのしていることは、皇帝としてではなく、武人としての欲求からだ。戦いたい、戦ってあの高揚感を味わいたい。そんな心が彼を銀河へと駆り立てた。
 ラインハルトが黙って頷く。
「わかった、ヤン=ウェンリーと話し合おう。だが、話が折り合わなかった時は、予はあの男を叩きつぶす」
 ラインハルトの最大限の譲歩だった。その時は従います……キルヒアイスはそう言って笑った。
 停戦は決まった。その瞬間、ヘネラリーフェの躰は力を無くし、ロイエンタールの腕の中に崩れ落ちた。緊張が途切れたという類のものでないことは、その顔色が証明している。

 戦場から離脱し、イゼルローン要塞に帰投しようするヤン艦隊に、ラインハルトから停戦を求める通信文が送られたのは五月一八日のことだった。だが、驚愕と悲劇はまだ終わっていなかった。

 

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