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第二章

六 MISSION


 五月一四日、第十三艦隊の命運を賭けたヤンの詭計は動き出した。
「提督、準備は完了しております。いつでも出撃のご命令を」
 イゼルローン要塞に駐留する帝国軍艦隊も同盟軍の動きに痺れをきらしているようだが、どうやらそうなのは彼等だけにとどまらずシェーンコップ達も同様のようである。ヤンは苦笑を浮かべると彼等に出撃目命令を下した。
「で? 俺達を砲撃する艦隊の指揮官はお嬢ちゃんってわけか?」
「何か不服でも?」
 どういう成り行きでこういうことになったのか。シェーンコップの変装を手伝いながらヘネラリーフェは冷淡に聞き返した。ヤンにしてみればふたりは作戦上のコンビであるわけで、要は意気投合でもしてくれればとでも考えたのかもしれない。逆にヤンのことだから何も考えてないとも言えなくもないのだが。
「本気で撃つなよ」
「本気出さなきゃ相手に演技だと見破られます」
 片や余裕の体で悠然と構え、片や感情こそ押しとどめているもののかなり険悪なムードを漂わせつつ、それでも準備は着々と整えられていった。付け加えると、ヘネラリーフェの険悪ムードには、これから遂行される作戦で自分の負う責任の重さにいささか緊張しているという点も含まれていた。
「よしじゃあ行くか。お嬢ちゃん、感動の再会まで暫しのお別れだな」
 シェーンコップという男が自意識過剰なのか、はたまたただ単にヘネラリーフェをからかって面白がっているだけなのか、ヘネラリーフェは判断に迷った。自身家だというのはわかる。そして恐らくそれが実力に裏付けされたものであろうことも。そして何よりもヤン=ウェンリーが見込んだ人物なのであるが、そのあたりどうも素直に受け入れられない。 
 出逢いからして最高のシチュエーションであったとはお世辞にも言えないだけに、ある種わだかまりが残っているのかもしれなかった。少なくともヘネラリーフェには……である。
「大佐」
 出て行きかけたシェーンコップが歩を戻しながらヘネラリーフェを呼んだ。先刻までのからかいを含んだような口調でないことが、ヘネラリーフェに正常な返答と態度をとらせる。
「はい?」
 振り向いたところで華奢な腕を掴まれ、強引に逞しい胸に引き寄せられた。
「ちょっ!?」
 恥知らず!! そう叫ぼうとして、だが思いもよらぬ彼の冷静な声音に封じられた。
「期待させて悪いが、俺はお子様は相手にしないんだ。それより、お前もう少し肩の力を抜け。そんなに力んでいたら勝てる相手にも勝てんぞ」
 子供扱いされたことに怒るより、精神状態を見抜かれていることの方にヘネラリーフェは動揺を覚えた。ことあるごとに彼女に絡む男は、だが所詮ひとまわり近く年上の大人の男性であったのだ。
 返す言葉も見つけられないヘネラリーフェの額に軽く口付けを残すと、固まる彼女を余所にシェーンコップは悠々と出撃していった。
「な、なんなのよ~~」
 緊張どころか身体中の力が抜け、ヘネラリーフェはヘナヘナと座り込んだ。そんなときにヤンからの出撃命令が下る。
 スクリーン越しのヤンの顔をヘネラリーフェはまともに見られなかった。あきらかに動揺が顔に出ていると自分自身でわかっていたのだ。
「どうかしたのかい?」
 シェーンコップから投げつけられた短い一言と、触れるか触れないかの額への軽いキスに完全に調子を狂わされていた。冷静な顔が作れない。会話が計れない。
 訝しげなヤンをなんとか誤魔化すと、落ち着けと自分自身に言い聞かせながらヘネラリーフェは大きく深呼吸をした。
 今は余計なことを考えている場合ではないのだ。これから自分はシェーンコップ達の乗る巡航艦を追撃する『ふり』をするのだ。ひとつ間違えば彼を、彼等を宇宙の藻屑にしかねない。胸の鼓動がなんとか正常の拍動を打ち始めたことを確認して、ヘネラリーフェはヤンの待つ艦橋へと上がっていった。
「お手並み拝見といくよ、大佐」
 何事もなかったかのようにヤンがヘネラリーフェに声を掛けた。ヘネラリーフェの様子の異常さに気付いていたのか、まったく気付いていないのか。ともかく表面上にはまったくいつも通りのヤンにヘネラリーフェは感謝した。
「作戦を開始します。全艦全速前進」
 ヘネラリーフェの号令で第十三艦隊は一斉に動き始めた。
 帝国軍の巡航艦を追撃する様はどう贔屓目に見てもリアリティ溢れていた。つまり第十三艦隊は『役者』としての才能を見せつけたのである。
「なかなかやるじゃないか、あのお嬢ちゃん」
 巡航艦内ではヘネラリーフェに対して少々ひねくれた賞賛が浴びせられていた。
 これはフリなどではなく、大真面目に自分達が追撃を受けているような錯覚さえ覚える。だが巡航艦には出撃前に細工した被弾痕は多くあるものの、それ以外は新たに傷付けられた箇所はなかった。要するに敵に囲まれて砲弾雨霰状態に見せながら、ヘネラリーフェは天才的なタイミングのはかり方で、巡航艦への被弾をゼロにしていたのだ。
「これはこの先お嬢ちゃんと呼ぶのは失礼かな」
 シェーンコップが口中で小さく呟いたとき、作戦の第一段階は成功を納めようとしていた。巡航艦が要塞内への入港を果たしたのである。ここからはローゼンリッターのハッタリに総てがかかっていた。
「どうやら上手く入り込めたようですね」
 旗艦ヒューベリオンの艦橋に、ひとまず安堵の空気が流れ込む。だが、作戦はまだまだこれからが本番だった。囮を使って混乱させ要塞駐留艦隊をあらぬ方向におびき寄せたのだが、そろそろその計略に気付く頃であったのだ。艦隊が要塞に戻ってくるまでの所要時間は約二時間。第十三艦隊が要塞内に全艦入港するに必要な時間は一時間半。つまり、あと三〇分で総てを終わらせなければならないのだ。
「あと三〇分か。それじゃぁそろそろいこうか」
 ヤンの言葉に艦隊副司令官であるフィッシャーが頷き、さらに彼はヘネラリーフェに頷いて見せた。
「敵が妙な動きをしています!! 主砲の射程ギリギリに展開しながら一隻ずつ突出しては下がるのを繰り返しています」
 難攻不落の要塞内は今や大混乱の渦中にあった。その混乱に乗じて、ローゼンリッターが反撃を開始する。要塞内は鮮血に彩られつつあった。シェーンコップの自信は鼻持ちならない自意識過剰などではなく、やはり確かな実力からくるものであったのだ。 
 一瞬の隙を縫って帝国軍人にコンピューターをロックされるというピンチを招きながらも、不敵で冷静な指揮官はそんな危機を本人曰くいとも容易く打破した。
 さて、その頃ヒューベリオンではヒットアンドアウェイを繰り返す自軍の動きに、ムライが感嘆の声をあげていた。
「見事な艦隊運動ですが、どういう意味があるんですか?」
 問われた人間は無言のまま副司令官を見やった。いきなりふられた副司令官は、その艦隊運動の直接の指揮官を無言のまま見やった。無言の催促を受けた指揮官はというと、これまた深刻さを感じさせない口調でサラリと言い放った。その言葉を聞く限りでは彼女に先刻までの緊張の色を見い出すことはできない。シェーンコップによって与えられた筈の動揺は、逆に彼女の精神を落ち着かせたらしい。
「特に意味はないんですけど……振りは大きければ大きいほど良いかと思って」
 これにはさすがのヤンも唖然とせずにはいられなかったが、同時にヘネラリーフェの才能を思い知らされる結果ともなった。
 ヘネラリーフェの答えと落ち着きに影響されてか、まだ総てが終わったわけでもないのに艦橋には和やかな雰囲気が漂ったのである。
 そろそろ駐留艦隊が戻ってくるだろうタイムリミットを間近に控えて、だが要塞にはこれといった変化はみられず、少なからずヤン以外の人間は落ち着きをなくしかけていた。これ以上時間がかかれば、要塞へ帰還中の敵軍からの攻撃を免れない事態になりかねないのだ。そんな緊迫した状況が何十分か過ぎた頃、凍結していた状況が動いた。
「ブイが浮きました!! 入港指示です」
 作戦成功を現す入港表示を目の当たりにし、ヤンを始め第十三艦隊の面々は歓喜に包まれた。帝国軍の要塞駐留艦隊への同盟軍による二度に渡る要塞主砲の発射によって、イゼルローン攻略戦は七度目にして同盟軍の勝利で終幕したのである。
「お疲れさん、お嬢ちゃん」
 かけられた言葉に、ヘネラリーフェは最初は躊躇いながら、だが数瞬後には素直に応じていた。
「シェーンコップ大佐も」
 どういう風の吹き回しだ? とでも言いたげにシェーンコップの表情に苦笑が加わる。つい数時間前までのヘネラリーフェが突っ慳貪で取り付く島もないといった風情であったことを思うと、少々ぎこちなくはあるものの格段の変化である。
 シェーンコップにしてみれば、意地を張り頑なに閉じた心をなかなか開いてくれないことを思えば、こちらの方がよっぽど歓迎できる事態なので文句を付ける気にもならないのだが。
「見直したぞ、お嬢ちゃん。大した才能だな」
 自分への惜しみない賞賛にヘネラリーフェは己の敗北を悟った。いや、シェーンコップがヘネラリーフェ相手に勝敗を決しようなどと思ったわけではないので、これはあくまでもヘネラリーフェの個人的な気持ちの問題である。
 自分が今のシェーンコップだったとして、相手の功績を自分は素直に褒め称えることができるのだろうか? そう考えたときヘネラリーフェはシェーンコップのヤンとはまた違った大きさを目の当たりにしたのだ。
 同時にお嬢ちゃんと呼ばれることに反抗した自分の幼さに恥ずかしさが涌き上がった。結局シェーンコップが言うように自分は所詮お子様なのである。
 大きな手がヘネラリーフェの髪をクシャクシャと掻き乱した。無骨かと思われた手の意外に優美な感触に思考を引き戻される。青緑色と褐色、双方の視線が絡んだ。
「今日は打ち上げだな。一緒にどうだ?」
「お供します」
 グラス片手に時には楽しげに、そして時には哀しげに、二人の会話はその夜遅くまで続いた。ヘネラリーフェは恐らく自分の総てをシェーンコップに告げたのだろう。
 受動ではなく、これは明らかにヘネラリーフェが自分自身で歩み寄って得た友情であった。二人の関係はどこか兄妹を思わせる。いや、師弟関係かもしれない。ともかく、第十三艦隊はヘネラリーフェにとっての運命となっていた。

 使命を終えて帰還した十三艦隊の面々はそれぞれ仲良く昇進を果たす。同日、退役願いを提出したヤンはそれを正式に却下され、かわりに中将への昇進を言い渡された。

 

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