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第十二章

十一 THANATOS


 五月三一日、シェーンコップはユリアンに対して大胆な提案をした。帝国軍総旗艦ブリュンヒルトに兵を送り込んで皇帝ラインハルトを倒すというのだ。
 総旗艦に肉薄すれば、皇帝の身を害することを恐れて帝国軍は迂闊に手を出せない。戦術と言うよりは賭けの要素が大きいが、好機を逃せばチャンスは永遠に来ないかもしれないのだ。
 ユリアンの心は揺れながら収斂していく。決定打は、だがヘネラリーフェの言葉だったろう。
「行こう、ユリアン」
 ヘネラリーフェはブリュンヒルトの内部を知っていた。彼女なら、突入するユリアン達を無謀に飛び込むよりは安全に艦橋に連れていくことができるかもしれない。
 シャーンコップはだが、そんなヘネラリーフェを止めにかかった。艦隊戦ならいざ知らず、白兵戦となればそれだけ負傷の確率が高まるのだ。勿論、この中でヘネラリーフェの病を知っているのは彼だけである。それ故、彼はそれを口に出すことはできなかった。
「ありがとう」
 結局何も言えないままヘネラリーフェもブリュンヒルトに突入することになった。総旗艦ユリシーズの艦橋を立ち去り際、すれ違うシェーンコップにヘネラリーフェはこう囁いた。
 裏切り者である筈の自分を気遣ってくれるシェーンコップ、そして出逢ってから変わらず妹のように可愛がってくれる彼への感謝の心が込められたそれだが、シェーンコップは素直すぎるその言葉に、逆に嫌な予感を覚えたのだった。 
「装甲服を着ないのか?」
 強襲揚陸艦でなく、分艦隊旗艦タナトスを突入させることにした彼等は、ヘネラリーフェの乗艦で突入の準備を始めた。が、どういうわけかヘネラリーフェは軍服のままだ。怪訝な顔でヘネラリーフェを見やったシェーンコップにヘネラリーフェは弱く笑って言った。
「さすがにそれを着るだけの体力がね……」
 自分の躰の体力の低下を、このときヘネラリーフェは目一杯思い知らされていたようだ。
 人間もうだめだと思い座り込んでしまったら、もう二度と立ち上がることはできない。そしてそれが死を意味することを、彼女はだが知っている。
 他の艦にブリュンヒルトへの攻撃をかけさせ気を逸らす間にヘネラリーフェの確実な指揮の元、タナトスは少しずつブリュンヒルトに迫っていった。

 最初にそれに気付いたのは、ロイエンタールだった。ヤケに近いところに敵艦がある。ある予感が彼を襲った。
(あれは……)
 ニュクスと同型艦だ。ロイエンタールは自らで端末に腕を伸ばした。予測は確信にかわり、ロイエンタールは兵に警告を発する。
「敵はこの総旗艦に突入するつもりだ、一気に撃ち落とせ!!」
 しかし、ヘネラリーフェの判断の方が一瞬早かった。
「今だ、突っ込め!!」
 鈍い衝撃と共に、タナトスはブリュンヒルトの艦体に突入を果たしたのである。それは六月一日のことであった。
「そこにいるのか、リーフェ……?」
 小さな呟きがロイエンタールの端麗な口元から漏れ出た。
 タナトス……それはギリシャ神話で死魔を意味する。そして夜の女神ニュクスの息子だ。それだけで十分だった。そこにヘネラリーフェがいると知るのには……死魔とはまた皮肉な巡り合わせだ。これ程ヘネラリーフェに、そして自分に相応しい名はないだろう。
 ヘネラリーフェは必ず己の前にやってくる。殺す為に……その為に、あの別れの時、彼はヘネラリーフェの言葉を塞いだのだ。彼女なら今度こそ自分を殺してくれるだろう。ヘネラリーフェこそロイエンタールにとっての死魔なのだ。
 艦橋のモニターに侵入者達が映し出される。そこにヘネラリーフェがいた。離れて半年……一日も忘れたことのない、彼女の青緑色の双眸、白皙の肌、そして長く靡く琥珀の髪が、ロイエンタールの目を釘付けにする。
「卿らは予を謀ったようだな。叛逆事件の首謀者は死亡したのではなかったのか?」
 突如、ラインハルトの冷ややかな声がロイエンタールとミッターマイヤーの耳に流れ込んだ。ハッとしたのはミッターマイヤーの方だろう。ロイエンタールは答えなかった。というより、恐れてなどいなかったのだ。
 既に捨て去ろうとした命だ。それが、はからくもヘネラリーフェのお陰で生き延びてしまった。だがあの時彼女を手放さねば彼女にもらった命を生かすことも、そして彼女自身が生きることもできなくて。そんなヘネラリーフェにもう一度逢えるのなら、その時は自分の破滅するとき……そう思い、そしてそうなっただけのことだった。
「どのような厳罰もお受けします」
 そう言うミッターマイヤーの言葉をロイエンタールが遮る。
「ミッターマイヤーに罪はございません。すべては小官の不徳のいたすところ……ご存分に処分ください」
 だが、ラインハルトは笑った。
「もう良い」
 半年も前に終わったことを今更むし返してもどうしようもあるまい。それに、叛逆したとはいえ、それは巧みな策略に填った結果でもあるのだ。それにロイエンタールは出撃していない。
 そう、ヘネラリーフェの尽力で最悪のケースは免れているのだ。だから極端な話し、ただ噂に振り回されただけとでも処理できる代物でもある。
「終わり良ければすべて由ということにしておこう。だが次からはこうはいかぬぞ」
 侵入者に関しては、ロイエンタールとミッターマイヤーの任せる旨をラインハルトは伝えた。
「ここまで来られたら彼等の話を聞こう」
 だが、そうでない場合は、そもそも逢う必要などあるまい……こう言って皇帝ラインハルトは高らかに笑って見せた。
  
「痛っ」
 脇腹を押さえながら微かに漏れ出た呻き声に、シェーンコップはヘネラリーフェを見やった。彼女は何事もなかったかのような表情でそれを向き直らせたが、どこまで誤魔化しきれるのかわかったものではない。だが負傷したと知れては、恐らく彼のことだから強引にでも彼女を艦に引き返させようとするだろう。それでは足手まとい以外の何者でもない筈だ。
 それに、この巨大なビュリュンヒルトの艦橋まで無事にユリアン達を送り届けなければ、そもそもヘネラリーフェがついてきた意味がなくなる。それに、逢わなければならなかった。ロイエンタールに逢うのだ。その時こそ、自分が彼を愛しているのか、それとも憎んでいるのかがきっとわかる。殺したいのかそうでないのかが……いや、そうではない。
 彼ならきっとヘネラリーフェを殺してくれるだろうから、だから自分は走り続けているのだ。自らの罪を自らで贖う方法として、ヘネラリーフェには死を選ぶことしかできなかったから。その想いで、ヘネラリーフェは意識を鼓舞していたのだ。
 脇腹の激痛は絶え間なく全身を貫き、出血の所為で時折足下がふらつく。今頃きっと軍服の下のシャツは血でグッショリと濡れていることだろう。霞む目で、だがヘネラリーフェは敵を倒し走り続けた。返り血で全身が朱く染まっていく。髪も白い肌も、その色に染まっていた。もう少し……あと少しで艦橋に辿り着く。そうすれば、自分の役目は終わる。
 大きな武勲とは言えないかもしれないが、それでも仲間の役にはたてただろう。捕虜でいたことも役にたつことがあるものだと、内心でヘネラリーフェは苦笑した。
 目の前に長身の人間が壁のように立ちはだかる気配を感じ、重い躰をノロノロと動かしてヘネラリーフェが顔をそちらに向ける。刻が冷ややかな気を纏って止まった。
 銃口の向こうには鋭く輝く蒼と、暗く沈んだ黒の二色の双眸……それは逸らされることなく、ヘネラリーフェの青緑色の瞳を真っ直ぐに射抜いている。
(来たんだ、ここまで……自分の意思で、貴方の前に……)
「やはりお前だったな、リーフェ……」
 低く響く声がヘネラリーフェの耳に微かに流れ込んだ。

 

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