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第十一章

二 残照


 ラインハルト・フォン=ローエングラム、若き帝国の独裁者は、歓喜の声と共に惑星ハイネセンに降り立った。
「ジーク・カイザー、ラインハルト!!」
 彼に従った数千万の兵達が口々に叫ぶ。
帝国軍に接収されたホテルの一室で、ヘネラリーフェがある客を迎えたのは正にそんな時である。これまで張りつめていたものが全て崩れ落ちたような、そんな脱力感の中にヘネラリーフェはいた。
 窓から見える景色は帝国軍人が歓喜にざわめくそんな様相で、だがその興奮さめやらぬ世界も彼女にはまるで別世界のことのようで……街の喧噪は確かに耳に入ってくるのに、だが、ヘネラリーフェは静寂の中にいた。
 何も考えられず、動く気にもならず、ただボンヤリと過ごすヘネラリーフェは、部屋の扉が軋んだ音をたてたことを気にもとめず、また振り返ろうともしなかった。
「リーフェ……」
 不意に懐かしい声で呼びかけられ、ヘネラリーフェはノロノロと顔を上げ振り向いた。
「お……とう……さん……」
 ヘネラリーフェの青緑色の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出す。一年……たった一年しか経っていないのに……それでも何十年も逢っていなかったような、そんな気さえする。
 そして、何よりも心細かったのだと漸く悟ったこの一年。その間、一度も忘れたことのない義父ビュコックの顔がそこにはあった。
「お義父さん……お義父さん、お義父さん!」
 何度も呟きながら、ヘネラリーフェはビュコックの胸に飛び込んだ。言いたいことは山ほどあるのに言葉になってくれない。ただ幼子のように泣きじゃくることしか今の彼女には出来なかった。
「生きていてくれて本当に良かった……どれ、よく顔を見せておくれ」
 ビュコックの両手がヘネラリーフェの頬をそっと包み込み、彼女の顔を上向かせる。だが、ヘネラリーフェは咄嗟に俯こうとした。懐かしさの後に、急に恥ずかしさが込み上げたのだ。恥ずかしかった……例えようもなく。生き恥を晒し続けたこの一年が、そして自分の身に起きたことが……
「ごめんなさい、お義父さん……私生き残っちゃった……」
 これだけ言うのが精一杯だった。あとは涙で声にならなかったのだ。捕虜になった女がどんな仕打ちをうけるか、恐らくビュコックとてそれくらいは承知していただろう。だが、それよりもヘネラリーフェが、娘が生きていてくれたことの方が彼には大切だった。亡き息子ダグラスが愛し、自分達夫婦が慈しんだヘネラリーフェが生きていてくれた……それは彼にとって何よりも大きな幸せだったのだ。
「何を言う……お前が生きていてくれれば、もう何もいらんよ」
 背後からその様子を見守っていたロイエンタールが声を静かに掛けた。
「どうぞこのまま彼女をお連れ下さい」
 手続きは済ませてある。そしてここはヘネラリーフェが自らの故郷と心に決めたハイネセンだ。彼女をロイエンタールの手元に引き留める理由はなくなっていた。同盟自体も国家としての存続は認められた。戦争犯罪人としてビュコックが裁かれることもなかった。ビュコック自身は罰するなら自らをと投降したのだが、ラインハルトがそれを退けたのだ。
 ヤンはバーミリオンでラインハルトと会見し退役を申し出、同様にビュコックも表舞台から身を引いた。ロイエンタールの言葉通りにできるとしたら、彼にとってこれ以上の幸福はないだろう。死んだとばかり思っていた娘と余生を送れるのだ。
「閣下のご厚情に感謝致します」
 ビュコックはそう言うと、深く一礼しヘネラリーフェを伴って妻の待つ自宅へと帰って行く。立ち去り際、ビュコックがロイエンタールに何事かを囁いたことにヘネラリーフェは気付かなかった。
 去り際ヘネラリーフェはロイエンタールを振り返り、だが何も言わず義父に促されるままに立ち去った。ただその青緑色の双眸にはなんとも説明し難い光が揺蕩っており、そしてそれは本人にさえ説明がつかないものであることだけは確かだった。

 懐かしい我が家では、義母が今か今かとヘネラリーフェの帰りを待ちわびていた。ビュコック同様絶望視していた娘の命だけに、今朝入ったロイエンタールからの通信は俄に信じ難いものさえあったのだ。
 だが、娘ヘネラリーフェの顔を見た途端それらは霧散した。
「無事で良かった……リーフェ」
「お義母さん……お義母さん!!」
 一年ぶりに見る義母の身体は一回り小さくなってしまったように思える。それでも抱き付いた胸は暖かくて懐かしかった。
「怪我は大丈夫? 身体の調子は? 少し痩せたんじゃないの?」
 矢継ぎ早に繰り出される義母の質問にひとつひとつ答えながら、ヘネラリーフェは笑った。心配性なのは相変わらずのようだ。でもそれがまた嬉しくて……今は生きて再会できた幸福を少しでも長く味わっていたかった。
 翌日からは大変だった。なにせ、退役したことを良いことにヤンやシェーンコップやアッテンボロー達が、監視する帝国兵の存在など何処吹く風とばかりにドヤドヤと尋ねて来たからだ。と言っても、イゼルローンへ赴任する以前にはよくあった光景である。ともかく、ビュコック家に久々に賑やかさが戻ってきたのであった。
 そんな中、実はビュコック本人は自宅を不在にしていた。行き先も告げずに朝から出掛けてしまったとビュコック婦人は大して心配した様子もなくヘネラリーフェに告げたが、一体何処に行ってしまったのだろう? 義母が言うには昼食までには戻ると言っていたというが……再会の感動で僚友達にモミクチャにされながら、ヘネラリーフェはそんなことを考えていた。 
 来客を告げるホームコンピューターの音楽が流れたのは、正午を少しまわった頃だっただろうか……義父の帰宅だとばかりにドアを勢いよく開けたヘネラリーフェは、そこに立つ人物を見た途端凍り付いたように動きを止めたのだった。

 

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