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第八章

二 GRAVITY


 森の中にひっそりと佇む瀟洒な別荘の近くにミッターマイヤーは身を潜ませていた。その屋敷にヘネラリーフェがいるのはわかっている。厳しい警備がそれを物語っていた。 
「あんな厳重な警備、悪いことをしてますって自らバラしているようなものじゃないか」
 が、これまでに様々な戦場で生死をかけて戦ってきた彼のこと。警備は厳重だが、それを担っている者達が果たしてミッターマイヤーに立ち向かってこられるほど勇猛果敢な人間かどうかはまた別問題だろう。そもそも人数に物言わせる輩に限って実はそれほど強くはないのだ。
 背後に人の気配を感じミッターマイヤーの身体に緊張がはしる。咄嗟に気配を消して銃を構えた。
「ミッターマイヤー」
 聞こえるか聞こえないかくらいの小声で呼びかけられた。紛れもなく親友のものである低く響く怜悧なその声にミッターマイヤーは緊張を解くとホッと息をついた。
「ロイエンタール、来たのか。見張りはどうした?」
「殴り倒してきた」
 あっさり言うロイエンタールにミッターマイヤーは唖然とした。見張られている為に下手に動けない……だからこそミッターマイヤーに先行させた筈なのに、その無謀な行動である。言っていることとやっていることがまるで逆であった。
「彼女の為に?」
 思わずミッターマイヤーは口に出して言っていた。でなければ彼が無茶な行動をする理由がわからない。
 だがその言葉にロイエンタールは固まった。自分で自分の心を計りかねていた彼の心にミッターマイヤーのその言葉はあまりにダイレクトに響いたのだ。
「わからん……だが落ち着かん」
 自分でも思わなかったような素直な気持ちが言葉として紡がれた。それは十数年来の友人にしてもそうだろう。これまでのロイエンタールならこういう場合大抵無言を通すのだ。
「そうか……だが答えを急ぐ必要はない。彼女を取り戻せば時間はいくらでもある」
 そうだ……焦る必要はない。案外早くその答えがもたらされるかもしれないではないか。いや、もうすでにロイエンタールはそれを手にしているのかもしれない。自分自身で気付かないようにしているだけで……今夜、危険を冒してここまで来たのが何よりの証拠なのだ。
 だがミッターマイヤーは内心でそうは思ったもののそれを口に出すことはしなかった。彼は知っていた。ロイエンタールが実は意地っ張りで不器用な人間だということを……冷徹で怜悧な艦隊司令官の顔の裏に、まるで子供のような不器用な心が隠されているということを……その根底に幼い頃からのトラウマがあることもだ。
 ヘネラリーフェがロイエンタールの元に連れてこられてから初めて彼の屋敷を訪れたとき、あまりのロイエンタールの変化にミッターマイヤーは息を呑んだ。
 自分で自分の気持ちに気付いているわけではなさそうなことはすぐにわかったが、それでも無意識なところでロイエンタールがヘネラリーフェに惹かれていることが確信できた。だが彼には、己の心を受け止める為の緩衝剤となる刻が確かに必要なのだ。
「答えか……俺は性急な方ではないと思っていたが、どうやらそうではなかったらしいぞ」
 自嘲が込められた言葉の真意を計りかね、ミッターマイヤーは沈黙したままロイエンタールを見やった。ヘネラリーフェが見せたものと同じ強い決意の輝きがその金銀妖瞳に秘められていることが見て取れる。
「ロイエンタール、卿はまさか……」
「そのまさかだ。ミッターマイヤー、あの方の所に行ってくれ」
「ちょっと待て!!」
 そんなことをすれば今度はロイエンタールが窮地に追い詰められることになるではないか!? ミッターマイヤーのグレーの瞳が動揺に揺れた。
「落ち着け。自棄になっているわけではないんだ。どうしても解せないことがあってな」
 それはヘネラリーフェが考えたことと同様の、つまり今夜ヘネラリーフェを連れ去ってまで聞き出したいこととは一体なんなのだろうか? ということであった。
「あの男は俺達がいかにも恋人然と抱き合っているところを目撃している。ならば、こんな回りくどいことなどせずローエングラム公に直接密告するか、それでなくても俺に叛意ありという噂をばらまけば済むことではないか?」
 ロイエンタールの言っていることはもっともなことであった。確かにリートベルクの行動はおかしい。
「恐らく公にできないようなことをしているのだ。だから単独で動いた。俺を排除するという目的は本来の目的の為の通過点にすぎんのではないか?」
 ならば……ミッターマイヤーに戦慄がはしる。ならばヘネラリーフェの身がどうなっているのかという心配も少々意味合いが違ってくるではないか? 公にできない、だがヘネラリーフェの身柄の拘束が絶対条件であったなら、逆に本当の意味で手段を選ばないのではないのだろうか。或いは、秘密を守るため彼女の命さえも……
「リートベルクは、だが俺達があの方に助けを求めることができないと思っている。いや、事実俺もそう考えていた。だが、もはやそんな次元で片づけられる事態ではないな」
 だが、そうしたらヘネラリーフェはどうなるのだろう? この事件を公にしてしまえば、ヘネラリーフェの身元も白日の下に晒されてしまう。そうなれば……
「それは……それは俺の責任だ」
 自分で蒔いた種はやはり自分で刈り取らねばならない。どんな結果になったとしても、これは自分のやり遂げるべき責任だろう。自業自得とも勿論言えた。
「とにかく、これ以上リートベルクをのさばらせるわけんはいかん。卿は公のところへ行け」
 だがミッターマイヤーは冷静な声でロイエンタールに言った。
「ロイエンタール、卿がそう決意したなら俺も協力は惜しまない。俺は一度お前に命を助けられているしな。こんな時でもなければ恩も返せん。だが、だからこそこの一件、俺に任せてもらえないか?」
 リートベルクのような小者の為にわざわざ元帥閣下の手を煩わせる必要もないだろうし、やはりこの問題には緩衝剤が必要であると判断したのだ。
自らを闇の中に落とし込もうとする破滅的で自虐的なロイエンタールを光の世界に導いてくれるかもしれない、 
 いや、既にそんな兆候は顕著に現れているが、そんな奇跡のような存在の女性をやはりむざむざと失うわけにもいかない。これは私人ミッターマイヤーとしての意見だが……
「それは構わんが、一体どうする気だ?」
「リートベルクは卿の弱味を握ったと思い込んでいる。そしてだからこそこのことを上官であるローエングラム公に相談できないでいるとも……そこを突くことには俺も賛成だ。だが相談の相手を変える。俺はこのことをキルヒアイスに言ってみようと思う」
 確かにラインハルトに直接ぶつけるよりキルヒアイスを通した方が事が穏やかに運べそうではある。
 リップシュタット戦役の最中、ブラウンシュバイク公が惑星ヴェスターラントへの核攻撃を敢行させ、それは彼等の仲に一度は亀裂を生じさせた。
ラインハルトはオーベルシュタインの進言を容れ、苦言を呈するキルヒアイスを友人ではなくひとりの部下として扱おうとしたのだ。
 それによって、ラインハルトの傍で唯一キルヒアイスだけが許されていた銃の携帯をも認められなくなった。そして……
 暗殺者の銃が火を噴いたその時、キルヒアイスは銃ではなくその身でラインハルトを守り抜いた。それによって彼は瀕死の重傷を負い、その代償として幼なじみの二人に生じた亀裂は治癒したのだ。
 その後のオーベルシュタインの再三の進言を無視し、ラインハルトは自らの分身にも等しいキルヒアイスを遇し、彼の言うことには必ず耳を傾けるようになった。
 キルヒアイスの性格から、彼がラインハルトに取って代わりたいとか絶大な権力を欲しているわけでないことは一目瞭然だ。温厚で控えめでミッターマイヤー以上に公明正大な彼は年若いながらも誰からも慕われ人望も厚い。
 彼だけが苛烈な、そして氷のようなラインハルトの激情を押しとどめられるのだ。その彼なら……
「わかった……卿に任せる」
 ロイエンタールの言葉にミッターマイヤーは任せておけと頷いて見せた。
「ロイエンタール、卿はこれからどうするつもりなのだ?」
 無茶無謀は私の専売特許……そんな言葉がロイエンタールの脳裏の浮かびあがる。
 自分が考えていることはそれ以外の何物でもないのだ。
「こうしていてもしょうがないしな。奴らが何を考えているか探るためにも捕まってみようかと思う」
 それはまさしくヘネラリーフェの専売特許的な策ではなかろうか? 一緒に暮らしていることで、彼女の悪しき影響を受けてしまったのだろうか……
 しかし、ロイエンタールという男が勝算もなしに無謀な行為にはしるとはミッターマイヤーには到底思えなかった。
 いや、自分の事に対しては危険にも無頓着なのであまり自信はないが。だがミッターマイヤーはくれぐれも無茶はしないようにと念を押すことで、ロイエンタールの策を承諾したのだった。
 そして二人は別々の方向に向かって行動を開始し、十数分後、邸内は俄に騒然とし始めた。

 

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