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ダイエット☆作戦
 

 その夜に開かれた夜会はフェザーンの名士や帝国貴族、上級軍人たちとその連れが集い、盛況なものであった。煌びやかな装いの男女が一同に会し、流れるワルツは優雅。振舞われる食事は立食形式であったが、どれも高級食材を用いた美味である。
 しかしケスラーは自分が場違いな人種であることを理解していたし、夜会の主旨も気に入らなかった。
 この夜会は戦災孤児のための資金集めを銘打ったもので、出席費と会場で集められた寄付金とが孤児の育英基金に納められることになっている。寄付をすること自体に不服はない。そうではなく、ケスラーは慈善の名を騙って、夜会を催す精神構造が気に入らなかった。結局、こういう輩は夜会に主席することによって、自身が階級構造の上部にいることを確認し、自己満足をしているのだ。本当に慈善の心があるならば、夜会などに興じることはなく、普段から寄付なりボランティアなりをするものである。
 言ってやりたいことはいくらでもあるが、招待を受けてしまった以上はケスラーも断わることはできない。そこもまた気に入らないところだった。寄付金集めを名目としているため、断われば善意の欠片もない人間と思われかねないのだ。
 ケスラーはかのハイドリッヒ・ラングを思い出していた。あの男は全く奸臣であった。福祉施設への多額の寄付ですら売名行為であったかもしれない。しかしそれが彼個人から生じたものであったことを考えれば、この夜会で集められる寄付金とラングの寄付金のどちらがより純粋なる慈善であるのか、ケスラーにはわからなかった。
 重苦しい溜息を吐くケスラーを挟み、連れの二人は可愛らしく盛り付けられたデザートに舌鼓を打っていた。
「ミミ、見て、このゼリー!中の果物を金魚に見立ててるのね。全体が金魚鉢みたいよ」
「マリーカ、この苺おいしいわ。クリームが潰れるほど大きいなんて、ちょっと不恰好だと思ったけど、これだけ甘くて美味しいなら上にのせたくなるわよね」
 マリーカとマリア・ミヒャエルは無邪気に夜会を楽しんでいる。それだけがケスラーの救いであった。愛らしい幼な妻と美しい妹を連れ出すのは、ケスラーとしては満更でもない。女性二人を侍らせる憲兵総監へ向けられる好奇の視線だって、ケスラーに微妙な優越感を与えてくれた。
 文句をつらつら並べたところで、すでに来てしまった夜会なのだ。払った金の分だけは楽しむことにしようと、ケスラーは給仕からシャンパンを受け取った。
「両手に花だな、ケスラー」
 中央で華麗なワルツを披露していたはずの男がケスラーをからかった。そのお相手はといえば、こちらもデザートに目を輝かしていた。
「ミミ、あなた食べすぎなんじゃないの?太ったって知らないわよ」
「お小言はよしてよ、リーフェ。美味しいものは美味しくいただかなくっちゃ」
 女とはいくつになっても甘いものが好きなものだと、ケスラーとロイエンタールは顔を見合わせた。彼女等の味覚に付き合ってやることはできないが、菓子の一つや二つで幸せを感じられるならば、それを見守る側もまた幸福だった。
「卿はご夫人と踊らんのか?」
 ロイエンタールの問いにケスラーは眉を顰めた。ロイエンタールとヘネラリーフェのように優雅にとは言えないだろうが、踊れないわけではない。ケスラーだってワルツくらいは習得していたし、マリーカは宮廷に仕える侍女として、一端の貴婦人だった。
 心配なのは残されるマリアである。本人は気にしないだろうが、だからこそ心配になる。憲兵総監という鬼の居ぬ間に、どこぞの狼が彼女に近寄るとも限らない。
「ミミがいるからな」
 ケスラーのその一言だけで、ロイエンタールは合点がいった。
「フロイラインは俺とリーフェで看ていてやってもいいが…お二人のドレスは踊るには重そうだな」
 マリーカとマリアは仲良く色違いのドレスを着ていた。シンプルな形だが、よく見れば同色の糸で細やかな刺繍が施されている。一見すると豪華な印象はないが、実際は値の張る一品であることがわかる。しかしその生地がいただけなかった。ロイエンタールの目にはベルベット地に見える。繊細な光沢が美しいが、どう考えても重そうであった。
「ああ、やはりそう思うか?実はあれで軽いんだ。見た目はベルベットなんだが、新しく開発された生地らしい。軍服の礼装に使うケープもあの生地に切り替えれば、かなり楽になるんじゃないか?」
 普段からケープを着用しているロイエンタールには当たり前の重さとなっていたが、ケスラーには偶さかに使用するケープの重さがずっしりと感じる。
「見た目は本当に変らんな」
「単価もあまり変らなかった。耐火性は落ちるが、そもそもケープに火がつくような状況で、生地の耐火性を云々するのも非現実的だろう」
「まったくだ」
 男たちの色気のない会話の中身を知らず、ヘネラリーフェは唇を尖らせた。
「なぁに、ミミとマリーカをじろじろ見てんの?」
 いくら寛容な私でも、浮気を推奨しているわけじゃないのよ。
 ヘネラリーフェとて本気で疑っているわけではなかったが、こうして偶に釘をさすことは重要なコミュニケーションの一つだ。
「誤解ですよ、フロイライン。我々が話していたのは二人が着ているドレスの生地のことです」
 マリーカとマリアは揃って首を傾げ、スカートを摘んだ。なるほどベルベットよりも柔らかそうだ。
「軍用ケープもその生地に替えてみてはどうかと話していたんだ」
「ふーん」
 ヘネラリーフェも知るとおり、ベルベット地のケープは重い。だが、別に彼女が使用するものではない。ヘネラリーフェが興味を示したのは生地の重量ではなく、ドレスのデザインだった。
「それ、私も着てみたいかも」
 ヘネラリーフェはロイエンタールの趣味からして、割りに露出の大きいドレスを着用することが多い。そのことに不満はないが、今日のマリアたちのような淑やかなデザインのものが嫌いなわけではないのだ。ただどちらが似あうかと言えば、それは前者であろう。多少大きく露出があった方が、ヘネラリーフェの健康的な美しさが映える。
「似合うとも思えんが」
 ロイエンタールは正直にそう言ったが、そんなことはヘネラリーフェ自身もわかっている。ちょっとした興味本位だ。
「今度、お屋敷に持って行ってあげるわよ、リーフェ。閣下も、生地はそのときにご見聞くださいませ」
 あんまり視線が浮つくようだと、いつかリーフェに射殺されますよ。
 ころころと笑うマリアは、相変わらず微妙な毒吐きであった。

**********

 後日、マリアは約束どおりに件のドレスを持参して、ロイエンタール邸を訪れた。まだ寝ているというヘネラリーフェを起こしに、ロイエンタールは寝室へと渡り、マリアは執事からテラスへと誘われた。穏やかな天候の日であったので、客間よりも外でお茶を頂いた方が気持ちが良さそうだった。
 執事はこの客人が好きであった。いや、初老の男であるから色恋のことを指しているのではない。フロイライン・ケスラーは平民の出身で、洗練された所作など持ってはいなかったが、礼を失するということもない。実に素直に感情を露にするが、不快さは感じさせない。この女性が訪問すると、屋敷全体が明るくなるような、そんな気がしていた。ヘネラリーフェとはまた別の魅力を感じる。
 振舞われた紅茶を美味しく飲み干し、マリアは「もう一杯いただいてもいいですか?」と笑顔を浮かべた。執事は「はい」と返事は短かったが、二人の間に流れる雰囲気を形容するならば『ほのぼの』といったところか。
 ……つまり、執事が感じたマリアの魅力とは、威厳の欠如こそその源泉であった。
「待たせて申し訳ない、フロイライン」
「お待たせ、ミミ」
 ようやく起床のヘネラリーフェを連れて、ロイエンタールがテラスへと戻ってきた。日も高いこの時間までご就寝の事情は聞かない方が良さそうである。首もとの赤いしるしをマリアは黙殺することにした。
「とりあえず、この間のドレスを持って来たから、着てみたら?」
 マリーカのでは小さいだろうから、自分のドレスを持って来たと、マリアは足元の持参した紙袋を持ち上げた。ロイエンタールがそれを受け取り、ヘネラリーフェへと手渡される。
「本当に軽いですね。あのドレスがあれだけ軽いなら、ケープも軽量化できそうだ」
 ヘネラリーフェが「着てみる」と言って、別室に消えた後、ロイエンタールとマリアは和やかに午後のティータイムを楽しんだ。
 一方のヘネラリーフェ。
 彼女の顔は姿見の前で赤くなったり青くなったりと忙しない。それというのも…
「上がらない?」
 ファスナーが上がらないのだ。布地が引っ掛かったのではない。引っ掛かるとしたら肉だ。贅肉とは思えないし、思いたくない。だが、どんな理由にせよ、ファスナーが上がらないのは現実だった。
 身長だけで考えれば、マリアの方がヘネラリーフェよりも高い。数センチ程度の差しかないが、マリアの方が高いのだ。だが、どうやら横幅はそうではなかったらしい。ヘネラリーフェはそっと溜息をついた。メイドに手伝ってもらわなくて良かった。こんなことがバレたら、憤死してしまいそうだ。
 しかし普通に考えれば、おかしいことではなかった。マリアはショーモデルである。少しでも高く、そして細く見せるために、かなりの減量をしている。業界では当然のスタイルかもしれないが、日常を考えればマリアが痩せ過ぎなのである。
 ヘネラリーフェは試着を諦め、ドレスを紙袋に戻した。そしてテラスに戻ろうとしたが、その足は寸前で止まった。穏やかな日差しが差し込むテラスで交わされる、二人の会話が漏れ聞こえる。
『リーフェ、少し太ったんじゃありません?』
『そうだろうか?』
『子供の成長と同じです。いつも一緒だとわからないものですよ、そういうことは』
『なるほど。言われてみればそうかもしれません』
 ヘネラリーフェは硬直した。そして怒りが湧き起こる。一般人の感覚からすれば、マリアがガリガリなのだ。ちょっと太ったくらい何だと言うのだ。ヘネラリーフェの体型は十分スレンダーだ。
 だが、同時に反省もした。シャーテンブルグ要塞では激務に追われて、体型の維持など考えることはない。その上、ロイエンタールのもとに帰って来てからは、解放感に浮かれて惰眠を貪り、好きなものを好きなだけ食べるという生活。太ったとしても不思議ではない。
 ヘネラリーフェは相反する感情を無理に押し込めて、テラスへと足を進めた。
「あら、着てこなかったの?」
 ドレスを袋に詰めて戻って来たヘネラリーフェに、マリアは残念そうであった。確信犯であったとすれば、相当の悪女である。ヘネラリーフェは必死で笑顔を取り繕った。着たいと言い出したのは自分だ。ミミに悪意があったわけではない。そう、内心で言い聞かせて。
「わかってはいたことだけど、絶望的に似合わなかったわ」
「そう?でも生地はよかったんじゃない?デザインの問題でしょ」
「そうね。軽いけど透けないところがいいわね」
 さも、デザイン以外の問題はなかったように装いながら、ヘネラリーフェは決意した。
 今日からダイエット開始である。

**********

 翌朝、ロイエンタールは寝室に差し込む朝日に夢の淵から掬い上げられ、無意識に横に眠る存在を引き寄せようとした。
「…?」
 珍しいこともあるもので、ヘネラリーフェはすでにそこにいなかった。彼女が横たわっていたはずのシーツも冷たく、ベッドから抜け出てからの時の経過を思わせる。ロイエンタールとしては寂しい目覚めであった。
 どこに行ったのかと階下に下りれば、執事が朝食の準備をしている。いつもであればヘネラリーフェ用にフルイングリッシュの豪華な食卓になるはずが、そこに並べられているのはサラダとフルーツ、それにヨーグルトである。ロイエンタールが問い質せば、執事もまた困惑しているようであった。
「何でも今日からはこのメニューになさるそうでして…」
 そう言うからには、ヘネラリーフェ自身の指示なのだろう。
「そのリーフェはどうした?」
「お庭にいらっしゃいませんか?」
 ロイエンタールが庭に下りると、ヘネラリーフェは上下スウェット姿で芝生に座り、身体を折り曲げていた。薄っすらと汗をかいている様子からして、ずいぶん身体を動かしたようだった。
「おはよう、ロイエンタール」
「…何をしている?」
「見てわかんない?身体を動かしているのよ」
 そんなことが聞きたいのではない。しかしヘネラリーフェは黙々とストレッチを続けていた。
「……テーブルの仕度が整いそうだ。適当なところで切り上げろよ」
 ロイエンタールは深く追究するのをやめた。ヘネラリーフェという女性は、いくら付き合っても不可解な存在で、突拍子もないことをすることですら日常茶飯事なのである。その一つ一つを理解しようなどとしてはロイエンタールの身がもたない。とりあえず、危険なことをしていなければ、放っておく。それこそロイエンタールが学んだ、ヘネラリーフェとの付き合い方であった。
 普段の量を考えれば明らかに足りない朝食を、ヘネラリーフェはゆっくりと咀嚼しながら平らげる。添えられる飲み物もオレンジジュースではなく、ミネラルウォーターとブラックコーヒー。常にコーヒーのみのロイエンタールは「俺に付き合う必要なんてないぞ」と気遣ったが、ヘネラリーフェは「別にあなたに付き合ってのメニューじゃないわよ」と取り合わない。
 ロイエンタールはヘネラリーフェの奇行に眉を寄せたが、朝から神経を苛立たせるのも馬鹿馬鹿しい。せっかくの休日であったので、どこかへ行こうかと誘いをかけた。
「ごめん、今日は駄目。これからジムに行くから」
「はああ?何しに行くんだ?」
「ジムに行ってピクニックをするわけないでしょう。身体を動かすに決まっているじゃない」
 何を馬鹿なことを言っているのよ。
 ヘネラリーフェはコーヒーを飲み干し、「じゃあ、いってきます」と言って、ロイエンタールの頬に唇を寄せた。その唇は音を立てて離れていったが、ロイエンタールは納得がいかなかった。
「…何なんだ、一体」
 振られた男がテーブルに残された。

 その後もヘネラリーフェの奇行は続いた。毎朝6時には起床し、庭で身体を動かす。食事はキリギリスのように野菜と果物が中心になり、ロイエンタールが執務の間はジム通い。偶に刀を持ち出して、庭の竹を切り倒す。ストレスが溜まっているのだろうとも思うが、だったら肉でも魚でも食べればいいではないか。
 そんな調子のヘネラリーフェに、今度はロイエンタールのストレスも溜まる。一日を身体を鍛えて過ごすヘネラリーフェは、夜は早くから就寝モードに入り、ロイエンタールの相手をしてくれないのだ。健全な男性として欲求不満を訴えたとしても、責められるものではないだろう。
 こうなるとお互いの悪循環が始まる。それぞれがイラついて、些細なことにも喧嘩になる。ヘネラリーフェがいるところで、ロイエンタールが漁色に再び手を染めることはなかったが、僚友と呑んで帰ることが頻繁になり、それを待ちきれずにヘネラリーフェはご就寝。ロイエンタールがベッドに潜り込み、翌朝にはすでにヘネラリーフェは起き出している。互いに喧嘩をしたいわけではないので、口数が減り、屋敷の執事の溜息だけが増えていった。
 そんな生活がしばらく続いたある日。
「リーフェが倒れた?」
 執事からの連絡に、統帥本部から地上カーを爆走させ、運ばれたという病院へと飛んで行けば、ヘネラリーフェはベッドに横たわっていた。その横で看護婦が点滴の準備をしている。過去の病歴もあり、ロイエンタールは気が気でなかったが、医者が顰め面で言った一言に脱力した。
「栄養失調です」
「……は?」
 これほど間抜け面を晒したロイエンタール元帥を知る者が、他に誰かいようか?医者は苦笑して、もう一度「栄養失調です、閣下」とのたまった。
「このご時世に栄養失調だと?」
 ロイエンタールは半信半疑で、更に聞き返す。
「いつの時代でも、女性には多いことですよ。無理なダイエットでもなさったのではありませんか?」
 ダイエット。
 ロイエンタールはようやくヘネラリーフェの行動の意味がわかった。しかし、なぜそんなことを思いついたのかはわからない。ヘネラリーフェの華奢で、美しい肢体はロイエンタールが十分知っている。減量の必要があるようにも思えなかった。
「とりあえず、点滴栄養だけしておきます。主治医の方がお屋敷にはいらっしゃるようですし、連れて帰られても問題はないかと思いますが…これを機会に健康診断でもしていかれますか?三日程度の簡易入院で全身の診断ができますよ」
 ヘネラリーフェが嫌がろうとも知ったことではない。全身くまなく調べさせる!と、ロイエンタールは大きく首肯した。

**********

 ヘネラリーフェが目覚めると、そこは自分がいたはずのジムでも、ロイエンタール邸でもなかった。真っ白な壁が取り囲み、窓から差し込む夕日で茜色に色づいている。
 ここはどこだろうかと見回そうとしたが、どうも腕が動かしにくい。視線を這わすと点滴が繋がれており、そろそろ投与が終わりかけていた。
「目が覚めたか?」
 聞き知った声に横を向けば、ロイエンタールとマリア・ミヒャエルが並んで座っていた。
「どうなってるの?」
 再発でもしただろうかと、ヘネラリーフェは己の不幸を呪ったが、そんなヒロイズムを満たしてくれるような話ではなかった。
「栄養失調だ」
「だそうよ、リーフェ。戦災孤児に寄付する前に、自分がちゃんと食べなさいよ」
「……」
 告知を偽っているわけでもなさそうだった。つまり、本当に栄養失調で自分は倒れたのだろう。再発でなかったことはめでたいが、なんて馬鹿馬鹿しい理由だろう。ヘネラリーフェは肩を落とした。
「まったく!いらぬ減量などするから、こんなことになるんだ」
 ロイエンタールは憤怒の形相で腕を組んだが、それもまたひとつの愛情表現であることは明らかだった。どうでもいい相手に対して、ロイエンタールは怒りを覚えたりはしない。剥き出しの感情を向けること。それ自体がロイエンタールの親愛の証であった。
 マリアは点滴が終わったことを確認し、ナースコールをかけた。ほどなくして看護士がやって来て、針を引き抜き、ヘネラリーフェにいくつかの問診をした。ヘネラリーフェは目覚めたばかりで、少し血の巡りが悪かったが、気分は悪くなかった。看護士は問診票への記載を終えると、面会時間だけ確認して退出していった。
「ダイエットをしていたの?そんな必要なさそうだけど」
 小悪魔だ。
 ヘネラリーフェはマリアを呆れた様子で見上げた。
「リーフェは十分にスレンダーじゃない。なんでダイエットなんてしようと思ったの?」
「痩せる必要がどこにある?胸がしぼんでも知らんぞ」
「そうよ~。私なんて、胸の開いたドレスを着るときはパットをどうやって隠すか、いっつも悩んでいるんだから」
「ああ、あれはパットでしたか」
「どれのことを指しているのか存じませんが、想像しないで下さい、閣下」
 殺す!
 ヘネラリーフェはとうとう爆発した。
「あんたたちが言ったんでしょう!どうせ私は太りましたよ!それを言っておいて、減量の必要はないってどういう意味!?」
「…そんなこと言ったか?」
「…そんなこと言ったしら?」
 語気も荒く叫んだヘネラリーフェに、ロイエンタールとマリアは顔を見合わせた。ヘネラリーフェにはそんな息の合った二人の様子すら腹立たしい。
「すっ呆けてんじゃないわよ!この間、テラスで話してたでしょ!!」
「「テラス?」」
 二人は揃って首を傾げた。そんな話をしただろうか?
「ミミが言ったのよ。『リーフェは太った』って」
 ロイエンタールに恥辱の限りを尽くされたときだって、これほどの屈辱を感じたことはない。ヘネラリーフェは泣きたくなった。
 ところが、マリアはふいに吹き出し、我慢できないとばかりに笑い出した。よじれる腹を押さえ、ヘネラリーフェの横たわるベッドサイドを何度も叩く。その目尻には涙が浮かんでいたが、泣きたいのはヘネラリーフェの方だ。ロイエンタールはと言えば、こちらも笑っていた。ヘネラリーフェに遠慮したのだろうが、口元を隠してはいるものの、頬の筋肉が痙攣しているのがわかる。
「何よ、二人して!」
 ヘネラリーフェの震える声に、マリアは必死で笑いを噛み殺し、目尻の涙を拭った。
「ごめん、ごめんね、リーフェ。
 あのね、それは誤解なのよ。確かに《リーフェ》が太った話はしていたんだけど…」
「《リーフェ》は《リーフェ》でも、お前じゃない」
「猫の《リーフェ》の話をしてたのよ」
「……」
「テラスから庭を見ていたら、猫の《リーフェ》がいてな」
「それを見て、私が言ったのよ。『《リーフェ》は太ったのではありませんか?』って」
「~~~~~~!!」
 ヘネラリーフェは頭まで毛布をかぶり、丸まった。
 こんな話があっていいものだろうか!
 一人で怒って、一人で怒鳴り散らして、頓珍漢なことを言っていたのは自分だったなんて!!
 マリアの笑い声が聞こえる。ヘネラリーフェはくぐもった唸り声を上げたが、マリアの笑いを止めたのは看護士の警告であった。
「他の患者さんの迷惑になりますから、お静かに願います」
「はーい」
 良い子のお返事を返したマリアは、ベッドの上で丸まるヘネラリーフェを上掛けの上からぽんぽんと叩いた。
「明日からはちゃんと食べなさいな」
 面会時間の終了を知らせる放送が流れる。夕日も半分以上が沈みかけていた。顔の半分だけ、もそもそと出して、ヘネラリーフェは二人を伺った。顔が赤いのは夕日のせいにしてしまおう。
「お前はこのまま入院だ。せっかくだから健康診断を頼んでおいた。このまま全身看てもらえ」
 ヘネラリーフェは不服であったが、何も言い返せなかった。心配をかけたことはわかりきっていた。ヘネラリーフェが言ったことは、彼女にとって更に深刻なことだった。
「あの、あのね。……今回のこと、誰にも言わないでね」
 これほど可愛いおねだりを、ロイエンタールは聞いたことがなかった。マリアもまた頬を緩める。しかしマリアはやはり余計な言葉を吐いた。
「吹聴はしないけどね、リーフェ。閣下は『縋る部下を振り切って、地上カーを爆走させた』そうだから、あんまり期待しない方がいいと思うわよ?」
 邪気のない笑みを浮かべるマリアの言葉にヘネラリーフェは絶句した。

 人の噂も75日。しかし75日経つ前に、シャーテンブルグ要塞に逃げ出したかった。

 


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キャアキャア、またまたいただいてしまいました♪
みのりさん作の、今度はリーフェとケスラーロイエンタールとミミとのコラボ作品です(#^.^#)
しかし、リーフェがダイエットとは、相変わらず突拍子もないことを考える女だ(笑)
みのりさん、ありがとうございました。
お返しは、後日に(#^.^#)

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