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第十三章

五 抱擁


 その夜、イゼルローンの士官クラブで二人の男が差し向かいで呑んでいる光景が目撃された。それは絶対に相容れないであろうロイエンタールとシェーンコップ……
 二人はただグラスを口に運ぶだけだった。会話も何もない、あるのは冷然とした気と沈黙だけ……だが、標準時間が夜半を指し示し辺りが静けさに包まれる頃、互いの口唇から一言だけ漏れ出た言葉がある。
「あいつを頼む……」
 たった一言の呟きともとれるそれには、だが心底ヘネラリーフェという女性への想いが深く重く込められていた。ヘネラリーフェを挟んでの奇妙な友情が、この男達の間に確かに芽生えたのかもしれない、それはそんな瞬間だった。
 シェーンコップの方が先に席を立った。士官クラブを出ると……
「まだ起きていたのか?」
 ヘネラリーフェが少し心配げな表情で佇んでいる。まさか殴り合いの喧嘩になりはしないだろうが、あの二人が顔を付き合わせて大人しく呑んでいられるのだろうかという危惧を持て余したのだろう。そんなヘネラリーフェに苦笑すると、シェーンコップは彼女の頭をポンと軽く叩いた。まるで心配はいらんよとでも言いたげに……
「今夜が最後だろ? あの男の傍にいてやれ。じゃ、おやすみ」
 ヘネラリーフェの耳元に囁きかけるとそのまま彼女の頬に軽く口付け、憮然とした苦笑を浮かべたヘネラリーフェを残し夢魔の優しい腕に抱かれるべく彼はサッサと立ち去っていった。
 嫌いではないが、好きでもない。言いたいことは山ほどある。だが、ヘネラリーフェが選んだ男だ。
「言われるまでもなく、無事にあんたの元に送り届けるまで、ちゃんと守ってやるさ」
 自嘲とともに呟かれた言葉であった。

 ひとりグラスを傾けるロイエンタールを、ヘネラリーフェは背後からそっと抱き締めた。
「起きていて大丈夫なのか?」
 時間的なものもあるが、ヘネラリーフェの躰を気遣っての言葉だった。
「シェーンコップ中将、なんだって?」
 答える変わりにヘネラリーフェは言葉を紡いだ。
 別に答えが欲しい訳じゃない。シェーンコップがロイエンタールに何を言ったかなど、わざわざ聞く必要もないだろう。ただ、なんとなく……沈黙が嫌なだけだったのかもしれない。
「別に……」
 そっけない答え。ヘネラリーフェはクスリと忍び笑いを零した。そっけない返事でも彼が返答してくれたことで安堵している自分に気付いたのだ。自分に素直になるとはこういうことなのか……愛する人が傍にいて、そしてたった一言、いや、言葉などなくても十分に満たされている。ダグラスが生きている時には確かに感じ取っていた筈のその心と温もりを、だがこの数年の間にすっかり忘れ去っていたようだ。
 ヘネラリーフェのひそめた忍び笑いに気付きロイエンタールが彼女を振り返ったが、ヘネラリーフェはロイエンタールの肩に顔を埋めるようにしておりその表情を伺い知ることはできず、彼は背後から回されたヘネラリーフェのしなやかな手の上から自分のそれをそっと重ねることしかできなかった。
「そろそろ休んだらどうだ?」
「一緒じゃなきゃ嫌」
 ストレートな言葉に今度はロイエンタールが苦笑を洩らした。そもそもロイエンタールに対してはずっとストレートな物言いをしていたヘネラリーフェである。しかし、まさかこういうことを言い出すとはロイエンタールも想像していなかった。なにせ彼女がロイエンタールに言うことといえば罵詈雑言が殆どだったのだ。
 『馬鹿』『アホ』『大嫌い』『顔も見たくない』『スットコドッコイ』『女たらし』『女の敵』etcとにかくありとあらゆる悪口雑言を浴びせられていたように思う。もっともその度に意趣返しというのだろうか、ヘネラリーフェがどれほど嫌がろうが無理矢理力ずくで抱いていた事実を思えば、ロイエンタールの狼狽はおかしなものでもある。ヘネラリーフェが言わなければ、恐らくロイエンタールの方が……
 夜は静かに更けていく。明日、いや既に今日になっているが、それぞれの目的に向けて出発する二人に残された時間はあと僅かしかなかった。

「良いのか?」
 ベッドの端に腰を下ろしたヘネラリーフェを抱き締めながら、ロイエンタールが囁いた。
「ゴチャゴチャ言ってないで、さっさと抱きなさいよ」
 おいおい、あまりに単刀直入すぎやしないか? 最後の夜という臨場感たっぷりのシチュエーションながらさすがのロイエンタールも瞬間唖然としてその後クスクスと笑いだした。忍び笑いの微かな吐息がヘネラリーフェの耳元をくすぐる。ヘネラリーフェがロイエンタールの背に腕を回した。
「これまで人が散々嫌がっても腕ずくで抱いていたくせに、今更何後込みしているのよ」
「それを言われると身も蓋もないな」
「もう時間がない……抱いて、次に逢う時まで貴方を忘れないように……」
 その言葉に背中を押されるようにして、ロイエンタールの優美な指がヘネラリーフェの顎にかけられ彼女を上向かせた。潤んだ青緑色の双眸が彼の金銀妖瞳を見上げる。
 口唇がそっと重なり合った。最初は啄むような軽いキス。それが舌を絡ませあった強く深いものに変化していく。ヘネラリーフェの口の端から飲み下しきれなかった唾液が銀色の雫として伝い落ち、ロイエンタールは一旦口唇を離すとそれを己の舌で舐めとった。そのまま再び、今度は角度を変えて深く口唇を合わせる。二人はきつく抱き合いながらベッドに倒れ込んだ。
 素肌を掌でなぞるようにしながらロイエンタールはヘネラリーフェの衣服をそっと細い肩から脱がせた。彼のしなやかな手が、口唇が、戦闘でつけられた疵痕の残る、だが滑らかなヘネラリーフェの白皙の肌を滑り降りていき、理性を解き放った彼女は心を戒めることなく極自然に素直に彼の腕の中で躰を開き、そして悶え乱れていった。
 ロイエンタールの愛撫に溺れ、淫らな濡れた吐息を洩らすヘネラリーフェの姿に彼は見とれた。愛撫を施され散々に乱れ喘ぎ、琥珀色の柔らかな髪を振り乱し、華奢なその肢体をほのかな薄紅色に上気させながら仰け反るヘネラリーフェはなんと美しいのだろうと……そしてそうさせているのが自分だという一種陶酔にも似た優越感。
「ロイエンタール……ロイエンタール……」
 我を忘れて愛欲に身を任せるヘネラリーフェの艶やかな声が蒼い薄闇に旋律として流れる。細くしなやかな腕が強くロイエンタールに絡みつき抱き寄せた。
「きて……」
 艶めかしい囁きが零れた。目尻に涙を滲ませた翡翠色の双眸がロイエンタールを見つめている。瞬間ロイエンタールの胸がドキリと高鳴った。なんとか保たせていた理性が砕け散りそうになる。だが、そんな彼の口から放たれた言葉は、ロイエンタールらしい意地悪なものであった。
「駄目だ……」
 何故と言おうとした口唇がロイエンタールによって塞がれた。息もできないような激しい口付けにヘネラリーフェの意識が朦朧とし始める。
「いい加減ロイエンタールは止めてほしいな」
 掠れた声から彼自身もまた高ぶり余裕のないだろうことが伺い知れるが、口調と表情には余裕を浮かべながら彼はヘネラリーフェの耳を舐りながら囁いた。
「………酷…い…嫌……お…願い……早…く……」
恥も外聞もなく懇願するヘネラリーフェの様相にロイエンタールは薄く嗤うと、今度は首筋を舌で愛撫しながら言葉を吹き込んだ。ヘネラリーフェの肢体がピクリと跳ね上がる。
「俺の言っていること、わかるな?」
 返事はない。ロイエンタールは躰の位置をずらすと、足首から上にむけてなぞるようにしながら大腿の内側に掌をすべらせる。そしてそのまま脚を押し広げるとヘネラリーフェの敏感な秘所にそっと舌を這わせた。
「やっ……あぁっ……」
 途端にヘネラリーフェの腰が妖しく揺れ、背を大きく仰け反らせた。きつくシーツを握り締め必死に淫らな責め苦をやり過ごし耐えようとするものの、緩慢に与えられる快感に悲鳴にも似た喘ぎが桜色の可憐な口唇から迸る。
「辛そうだな……だが俺はこのままでも一向に構わない」
 サディスティックな囁きと同時に、舌に加えて優美な指が彼女の秘所を辱める。艶のある冷酷な声と言葉と行為にヘネラリーフェの精神が屈服した。いや、すでに正気を失っていたのかもしれない。
「……ロイ……オスカー……」
「良い子だな」
 夜が明ければ今のことなど忘れて、いや、そもそも覚えていないのかもしれない。だがロイエンタールは端麗な口元に満足気な笑みを浮かべた。

 

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