top of page

第三章

六 はばたく翼


 ヤンの副官であるフレデリカの父グリーンヒル大将の死という悲劇はあったものの、クーデターは終結した。 
 ハイネセンに降り立ったヘネラリーフェが最初にした仕事は、投降した下士官から監禁場所を聞き出し解放すべくビュコックの元へと向かったことだろう。
 四ヶ月にもおよぶ監禁生活で老提督は肉体的には弱っていたが、目には強い光がありヘネラリーフェを安心させた。
「お義父さん、無事で良かった」
 気の強い娘が目に涙まで湛えている姿をビュコックは優しい眼差しで見つめると、心配いらんよとでも言うように、彼女の肩を軽く叩いた。
 内乱とその結末はビュコックの胸中に少なからず陰をおとしていたが、娘との九ヶ月ぶりの再会はそれを上回るものがある。事後処理で多忙ながらも久しぶりに家族団欒が過ごせたのだ。
 数ヶ月前ヤンから聞いていたように、離れている九ヶ月の間にヘネラリーフェが変化したことは一目瞭然だった。さすがにこれまででも両親の前で顔を作ることはなかったが、それ故本来の笑顔というものがほとんど見られなかったことを思うと今のヘネラリーフェの表情はなんと輝いていることだろう。
 戦場に出ていて性格が明るくなるというのも妙な話しではあるが、それだけヘネラリーフェの周りにいる人間がいろんな意味で魅力的だということだろう。
 再会の経緯は歓迎できるものではなかったが、束の間の親子団欒を得られたことにビュコックは感謝した。
 帝国内のローエングラム伯と貴族連合の戦闘も終息に向かっているとの情報が入り、事後処理がすべて済んではいないものの後はビュコック達に任せることになり、ヘネラリーフェはヤンに先駆けてイゼルローンへ帰還することになった。帝国での内乱がおさまればローエングラム伯は同盟へ目を向けてくるだろう。警戒しすぎて困るということはないのだ。
「また暫く帰ってこられそうにないな」
 娘の出発を前にビュコックは心底残念そうである。次はいつ逢えるのか、要塞勤務の身ではそれが何時とは予測さえもできない。
 たとえ休暇を入れられたとしても、不測の事態が起こればそんなものはただちに帳消しになってしまうのだ。ヘネラリーフェの方も里心がつくとまではいかないまでも、久しぶりの我が家であったので少々不安定になっているようだ。
 そもそもビュコックがクーデターで拘束・監禁と聞かされたときから生きた心地がしなかったのだ。艦隊司令官として冷静な判断と命令を下さねばならないと自らを鼓舞していたが、ビュコックの無事の姿を見るまではそれこそ内心かなり落ち着きを失っていた。
 無事救出したらしたで、もし義父の身に何か起こっていたらと珍しくもマイナス思考なことまで考えて、ハイネセン到着以来彼女の神経は休まることがなかったのである。
 実父、恋人に続く三度目の悲劇を彼女は無意識に想定してしまっていたのかもしれない。
「お義父さん……お義父さんが望むなら、私近くにいるわ」
 思いもよらぬヘネラリーフェの言葉にビュコックは心底動揺した。これまで彼は娘の従軍に幾度となく反対してきた。だがその度にヘネラリーフェは拒絶してきたのである。何が彼女にそうさせたのだろうか。
「またそうやって人に期待させる。相変わらずの性格のようじゃな」
 ぐらつく心をなんとか抑えながら、ビュコックはそれをあくまでも娘の質の悪い冗談であると思おうとした。そうしなければ引きとめてしまいそうになる自分の衝動を押しとどめることができなかったのだ。
「バレたか」
 ヘネラリーフェはそう言って舌をペロリと出しながら笑ったが、彼女の青緑色の瞳に涙が僅かに滲んでいたことにビュコックだけは気付いていた。
 無理にイゼルローンに帰す必要などどこにもない。むしろこれまで何度も望んだようにヘネラリーフェを退役させるチャンスである。だが、ビュコックは自らの意志でその機会を手放したのだ。
 今だってヘネラリーフェが軍人でいることには反対である。戦場という危険な場所から一刻も早く遠ざけ、女としての幸せを掴んでもらいたいとも思う。確かに息子ダグラスのことを忘れず想っていてくれることには感謝している。だが反面いつまでも息子の影に捕らわれていてほしくないとも思うのだ。
 ヘネラリーフェが未来を放棄するにはまだ早すぎる。今イゼルローンから、そしてヤン艦隊の面々から引き離すことは、再び彼女の未来を摘み取ることになるのではないのか? ビュコックはそう考えたのである。
 最前線では何が起こるかわからない。もしかしたら、明日我が娘の命が奪われるかもしれない。それでもあえてヘネラリーフェを行かせるのか……ビュコックは恐らく心が切り裂かれるほどの葛藤を繰り返したことだろう。
「久しぶりに顔を合わせて里心でもついたか? 結構甘えん坊だったんじゃな」
「お義父さんとダグが甘やかしたからよ」
 ビュコックの言葉にヘネラリーフェはこう反撃しながら、だが義父に強く抱きついた。
(確かにそうだったかもな)
 ビュコックの脳裏にヘネラリーフェがビュコック家へきて以来、夫婦と息子の三人で彼女を盛大に甘やかしたことが浮かびあがり内心苦笑した。
 あれから十年、ダグラスはすでになく、ヘネラリーフェは二一歳で閣下と呼ばれるまでになった。そして、どんな苦難にも負けない強さと優しさを持った女性に成長したのだ。
 過去を懐かしむ余裕はビュコックにも、そしてヘネラリーフェにもまだない。それでも想い出があるからこそ生きていけるのはないのだろうか。
 思えばヘネラリーフェには実母の温もりの記憶も幼い頃の思い出も皆無に等しい。物心ついたときには、出撃していった父の帰りをただ待つだけの生活だった筈なのである。そして、幼いヘネラリーフェの目の前で艦ごと宇宙の闇の中に消滅していった実父の最期。そんな過去を背負って前向きに生きろと言う方が無理な話である。
 そんな彼女に顔をあげさせたダグラスの存在と彼との想い出は、確かに一度は彼女に未来を放棄させた。だがその試練に打ち勝った今、ヘネラリーフェを支えるのはイゼルローンで彼女を待つ仲間だけではなく、ダグラスとの優しい想い出でもある筈である。
 この時初めてビュコックは気付いた。息子が逝って以来ヘネラリーフェの口からダグラスという名を聞くことがほとんど皆無に近かったことに。そして、今その名を再び聞けたことに。二人の中でダグラス=ビュコックの存在が暖かな想い出になった、それはそんな瞬間だったのかもしれない。
「どんなことがあっても、私はお父さんとお母さんの娘だからね」
 最後にそう言ってヘネラリーフェは飛び立っていった。
(そういえば、涙など見せたこともなかったのに)
 つい今し方の別れ以前に、監禁されていた自分を救出しにきたときのヘネラリーフェの目に浮かんでいた涙をビュコックは何気なく思い出した。
 もしかしたらヘネラリーフェは何か予感していたのだろうか。ビュコックは離陸するシャトルを見送りながら漠然とした不安を抱いた。気の強いヘネラリーフェが急に自分の近くにいたいと言い出したことに、そして別れ際の言葉と涙に…… 
 皮肉にも、これがビュコックがヘネラリーフェの無事な姿を見た最期となった。

 数ヶ月後、この時の不安が的中したことをビュコックは思い知らされることになる。多すぎる後悔と共に……

 

bottom of page