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             人がひとり死ぬたびに
             星がひとつ落ちるという
              数え切れない伝説や
              人の話はきいている

           『星は平気でいる』フェルリン

序章


 そこにあるのは厚い氷の下で処女の眠りを貪る鉱物資源と、零下三〇度の色のない白い世界。その極寒の地では常に命のせめぎ合いが続けられていた。
 惑星カプチェランカ。帝国と同盟、おそらく半永久的に相容れないであろう国家同士の抗争はこの極寒の惑星においても例外ではなく、なんら戦略的価値があるとも思えぬ低次元の闘争は、これまでに数え切れないほどの尊い人命を雪原に散らせてきていた。
 上空からの攻撃を効率的なものとするには気象条件が悪すぎるこの惑星での戦闘手段は主に陸戦。そしてそれに従事する者はなにも陸戦部隊と限ったものではなかった。戦略家、用兵家志望といえど軍司令部からの命令により一旦配属されてしまえば、宇宙の人間と言えどこの辺境の星の地面に繋がれて戦わねばならないのである。
 宇宙歴七九三年(帝国歴四八四年)、帝国軍劣勢の戦況下でひとつの運命的な生と死のドラマが今まさにこの雪嵐の世界で繰り広げられていた。
「なかなかやるな」
「貴官の方こそ」
 緊迫した空気にそぐわない賞賛を含んだ言葉。だが一歩も譲らない、譲れない命の瀬戸際に互いは立たされていた。一方は守るべき者を持ち、もう一方はそれを持たないかわりに強い矜持を持ち合わせている。どちらにもここで散るわけにはいかない事情があった。
「名前を聞いておこうか」
 強い相手にはそれが例え敵であろうとも賞賛を惜しまない。そんな心情が言わせた問い掛けであった。
「ダグラス……ダグラス=ビュコック」
「俺はオスカー・フォン=ロイエンタール」
 最悪の状況下での一騎打ちとも言える戦闘は、危うい均衡を保ちつつ対峙するふたりに奇妙な友情を植え付けていた。だが……
「中佐!」
 その声と共に均衡が断ち切られた。呼びかけた方にしてみれば上官の危機を見逃せなかったのだろう。だが、それがこの生死のドラマにあっけなく終止符を打ったのである。
 崩れ落ちそうになる身体を気力だけで動かし、彼は均衡を崩した無礼者を死出の道連れにすべく戦斧を振り下ろし一刀のもとに切り倒した。
 それから先はまるでスローモーションの映像の世界。瀕死の身体はゆっくりと雪原に膝をつき、その身体の下にはみるみる鮮血が溢れ出し白銀の世界を緋色の花で毒々しく彩っていく。
「ダグラス!?」
 もはや敵と思うこともできず駆け寄るロイエンタールに、だがダグラスは苦笑と嘲笑を込めた口調で呟いた。
「一騎打ちの最中に無粋な奴だな。悪いが勝負はお預けだ」
 負ける気など毛頭なかったと思わせる自信満々な口調ながらも、急速に生気が失われていくのがロイエンタールにはわかった。そしてそれを止める術がないことにも。
 逝こうとする魂をただただ見守るしかない。どんなに虚しさを、そして怒りを覚えようとも、それが戦争というものであった。
 出血と激痛で意識も朦朧とし始めているだろうダグラスが、力を無くしかけた腕で胸元を探る。長い刻をかけて取り出したものは銀の小さなロケットだった。開けると澄んだ優しい旋律が風にのって流れ出す。
「これは?」
「知らないのか?『星に願いを』と言ってな、大昔のスタンダードナンバーだ。元はファンタジー映画の主題歌なんだが」
 ロケットの内側には一枚の写真。琥珀色の髪に翡翠色の瞳の少女がこちらを見て微笑んでいた。女性蔑視が甚だしいロイエンタールが思わず見取れるほどの美貌と、なんとも説明しがたい独特の雰囲気が、ただ一枚の小さな写真から読みとれた。
「惚れるなよ、俺の婚約者なんだからな」
 からかいを含んだ声音を耳にしたとき、自分が写真の少女に引き込まれそうになっていたことに気付き愕然とした。
(莫迦な、この俺が女になど)
 呆然と考え込むロイエンタールにダグラスはロケットを握らせた。
「すまんが預かってくれ。それからなぁ、もし彼女に逢うことがあったら伝えてほしいんだ」
「この無限の宇宙でそんな偶然と奇蹟が起こるとも思えんが」
 相手が女性なら尚更である。戦場で生きるロイエンタールと、ごく普通の少女が出逢う確率など万にひとつもないだろう。
「そうでもないんだな、これが。彼女も軍人を目指しているんだ。俺が帰られれば士官学校なんぞすぐにでも辞めさせて結婚するんだが、どうやらそうもいかないらしい。彼女はきっと最前線に出てくる。何せ戦争の天才の血を受け継いでいるからなぁ」
 その言葉をロイエンタールが深く考えることはなかった。彼にとってはただの今際の際の言葉であったのである。
「まあ、もし戦場で出逢ったらその時は助けてやってくれよ。結構無謀な所があってな、周りはいつもヒヤヒヤさせられるんだ。俺が帰らなければ尚更危ないことをしでかしそうで」
 激しく咳き込み、口元から鮮血が滴り落ちる。それでもダグラスは喋ることを止めようとはしなかった。
「彼女に会ったら伝えてくれ。生きろと……君は生きろと!」
(すまんリーフェ、約束守れなかった。親父達を頼む。そして莫迦なことを考えるんじゃないぞ。こんな馬鹿げた戦闘で君の命まで散らせる必要はないんだ)
「ダグラス!?」
 ロイエンタールの腕の中の傷ついた身体からガクリと力が失われた。
「リーフェ……」
 ひとつ呟いたその後、ダグラス・ビュコックがその双眸を開くことは二度と無かった。ロイエンタールの手には小さな遺品がひとつ。
『愛を込めて貴方に。ヘネラリーフェ・セレニオン』内蓋にそう綴られたそれは、だがとてつもなく重いものであった。

「ロイエンタール、無事か!?」
聞き慣れた親友の声が耳元に流れ込んだ時、帝国軍劣勢の戦局にはなんら変化は見られず、死の危機に直面しているのが一人から二人に増えたにすぎなかった。
 周囲を敵に完全に囲まれたまさに絶望的な状況の中で、だがロイエンタールは奇妙なほど冷静だった。
(まだ逝くわけにはいかない)
 少なくともダグラスから託された言葉を写真の少女に伝えるまでは……皮肉にも、敵佐官の婚約者という全く縁も縁も、それこそ正体さえもわからぬ女性の存在と万にひとつもないだろう確率こそが今のロイエンタールを無意識な部分で支える唯一の希望であった。
 戦斧は冷気を裂き同盟軍兵士を氷の泥濘の中に切り倒していく。さらにエネルギーカプセルが空になるまで粒子ビームを撃ちまくり、逆手に握った銃身で敵を殴り倒す。だがいつしか戦斧は失われ、血染めの銃身も曲がって役に立たなくなり、ロイエンタールとミッターマイヤーは早すぎる死を覚悟した。
 戦果をあげるのも負け戦の時には考えものである。少しばかり相手を殺しすぎた代償は、投降したところで捕虜などという人道的な手段で治まるはずもなく、つまり許してもらえそうにはなかったのである。
 ミッターマイヤーは心の中で妻に別れを告げ、ロイエンタールはつい今し方失ったばかりの仮初めの友との再会を確信したその時、轟音とともに帝国軍の大気圏内戦闘機が急降下し、同盟軍のただなかに極低周波ミサイルを撃ち込んだ。
 舞い上がる氷片と土砂がただでさえ弱々しい太陽の光を完全に遮り、レーダーを攪乱された同盟軍の包囲の一角が崩れる。そんな混乱と暗黒の中でふたりはようやく脱出することができたのだった。

「まったく酷い戦いだったな」
 その夜ふたりは基地内のバーで生還の祝杯をあげた。互いの部隊の生存者はほぼ全滅状態。身体の血は香料入りのシャワーで洗い流したが、精神にこびり付いた血はそうもいかず、結局それを洗い流すのに大量のアルコールを必要とした。 
 最初はとりとめのない話をしていた筈だった。が、いつのまにやら先程の戦闘の話題になっている。思い出したくもないことの筈なのにこれも軍人の性なのか、どちらにしても皮肉なものである。
 そんな中、ミッターマイヤーはロイエンタールが何かを手の中でもてあそんでいることに気付いた。
「何だそれは?」
 見せられたそれは銀色の小さなロケットだった。目で問うと好きにしろと金銀妖瞳が無言の光を帯びる。 
そっと開けてみた。戦場には不釣り合いな澄んだ音色が微かに流れ出す。
「星に願いをか……どうしたんだこれ?」
 ミッターマイヤーがこの曲を知っていたことに少々驚きを感じながらも、それを口に出すことはせずロイエンタールはロケットを手に入れた経緯をざっと説明した。
「そうか」
 そう言ったきりミッターマイヤーは口を閉ざした。いたたまれなさを感じていることだけはわかる。軍人でいる限り、そして戦場にいるからには人の死に直面するのはごく当たり前のことである。それが敵ならば尚更感情など持てるはずもない。今までも、そしてこれからもそれは変わることはないだろう。
 だが、今回ロイエンタールが直面した一兵士の死は、理性ではわかっていても感情的にはなかなか割り切ることのできないものであった。
 今際の際の恋人への言葉、そして写真。それらが現実としてあまりにリアルにロイエンタールに覆い被さってきていたのだ。
「なんて言うのかなぁ、この娘普通の女の子じゃないような気がするな。上手く説明できないんだが」
 ロケットの中の写真を見つめながらミッターマイヤーが呟く。ナチュラルウェーブの琥珀色の髪、翡翠を思わせる深く澄んだ青緑色の双眸。男ならば誰でも惹き付けられずにはいられないだろう美貌は、だが一種独特の雰囲気に包まれていた。
 冷たくも暖かくもとれそうな何とも不可思議な女性。清冽・優雅・静穏、どんな言葉も似合いそうで、それでいて今ひとつしっくりこない。いや、外見的にはどれもピッタリの言葉なのだが、滲み出る内面の何かがそれらの言葉の邪魔をするのだ。
「この娘、良くも悪くも他人に影響を与えそうだな」
 何気なく言った言葉だった。だが、それこそ未来を予見する言葉だったとは、聞かされた方は勿論のこと言った本人でさえも想像していなかったに違いない。
「それにしても綺麗な娘だな。恋人を失ってこれからどうするんだろうな、この娘」
 ミッターマイヤーの脳裏に愛妻エヴァンゼリンの顔が浮かんだ。今日の戦闘で、本気で永遠の別れを覚悟した最愛の女性。その女性の姿とロケットの中の少女の姿が重なる。
 もう戦死の知らせは受け取ったのだろうか。そして慟哭の真っ直中にいるのだろうか。見ず知らずの人間でありながらそんな事を考えずにはいられなかった。
「ふん、女なんて男を裏切るために産まれてきたようなものだ。この女だってわからん。死んだ恋人のことなどさっさと忘れて他の男と……そうに決まっている」
 アルコールの力を借りてロイエンタールは己の生い立ちを吐露した。それは初めて聞くロイエンタールの闇の部分であり、深刻な女性不信と漁色の根元とも言える過去であった。
(そうとばかりは言えまい?)
 内心ではそう思うものの、ロイエンタールの激情をただ黙って受け止めることしか術を見つけられぬミッターマイヤーであった。
 親友の話を聞きながら、時折ロケットの中の少女のことを考える。そんな奇蹟は万にひとつも起こる可能性などないと思いつつ、だがもしロケットの中の少女とロイエンタールが出逢うことがあったら、未来はどうなるのだろうか?
 憎み合うかもしれない。だが、逆もまた然り。愛憎はひっくり返せるものだとミッターマイヤーは信じていた。

『帰ったら結婚しよう』
 約束を果たすことなく逝った男の訃報が同盟首都ハイネセンにもたらされたのは、それからすぐのことであった。

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