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第十二章

十 予感


「お前、死んだことになっているぞ」
 イゼルローンに戻ったヘネラリーフェは、未だ傷が癒えずベッドの住人と化していたが、そんなヘネラリーフェに対してこんな悪趣味なことを言ってのけるところが、ヤン艦隊のヤン艦隊たる所以だろう。 
 ロイエンタールの叛逆事件は終わった。事件は被疑者死亡で、結局誰も傷付けることなく鎮圧されたのだ。ロイエンタールは、思った通り新領土総督の任こそ解かれたが、結局お咎めなしとなり、その後統帥本部総長として返り咲きいて帝都フェザーンに帰還したらしい。
 被疑者死亡……そう、公式にはヘネラリーフェが叛乱の首謀者として罪を一身に背負い、そして死亡したとされていた。すべてミッターマイヤーの取り計らい。だが、そもそもそれを企てたのはヘネラリーフェ自身だった。
「お人好しだな、お嬢ちゃんは」
 シェーンコップはそう言って笑ったが、だが、彼こそが一番ヘネラリーフェの心を知っている人間かもしれなかった。
 ところでイゼルローンには、もうひとり怪我人がいる。というか、いた。そう、暗殺されかかったヤンである。が、彼は危険な状態を脱し、車椅子ながらもほぼ健康を取り戻し、ヘネラリーフェを見舞ってくれた。
「相変わらず無茶をやってのけるね」
 彼はそう言って笑ったが、実は笑ってばかりもいられないことに既に気付いていた。
 今回の叛乱騒ぎでこれまで均衡を保っていた静けさが再び壊されたのだ。ヤンの傷が癒えれば直ぐにでも皇帝ラインハルトと会見の場を持つ筈だったのに、それは今のところ宙に浮いたままだ。もしかしたらもう一戦交えなければならないかもしれない。ヤンはそう考え、内心で深い溜息をついた。
 皇帝がどう出てくるのか、そしてできることなら何事も起こらずこのまま銀河が静穏な静けさを取り戻してくれたら……ヤンはそう願わずにはいられなかった。
 
 宇宙歴八〇一年、新帝国歴三年の初頭に生じた一連の「ハイネセン動乱」は、当初それほど深刻な事態を惹起するものとは考えられていなかった。
 だが、小規模ながらも頻発する旧同盟領での暴動や騒乱、物資流通システムへの妨害、そして何よりもフェザーンの航路局に保存してあった膨大な航路データが何者かの手によって消去されるという事件が起きると、さしものラインハルトも看過するわけにはいかなくなった。そうこうするうちに旧同盟領でおける秩序の混乱は、意外な方向に波及していく。
 この際帝国軍の全力を挙げて旧同盟領に徹底的な支配体制を築きあげ、更にはイゼルローン要塞に拠る共和主義者達を掃滅すべしという声があがったのである。そして、銀河帝国上層部で、対イゼルローン主戦論が台頭するのに呼応するかのように、イゼルローンでも対帝国決戦の気運が上昇しつつあった。
 決戦か否か……療養中であるヤンにイゼルローンの全権を委ねられているユリアンが決断を下し得ぬまま二日ほどを過ごすうちに、旧同盟領の混乱は沈静化と反対の方向へ、さらに速度を加えつつ進んでいくようだった。
「一戦交えましょう、帝国と」
「そうか、それもいいさ」
 決意したユリアンに、シェーンコップが賛同した。変化を待ち、変化が起きた今、これに乗じて変化の幅を大きくするのも立派な戦略だと賞賛したのだ。こうして、イゼルローンに不穏な気配アリという報告が、まずハイネセンに駐在するワーレンにもたらされる。表面的な平穏の日々が過ぎて、本格的な兵乱が銀河を包み込もうとしていた。
「戦うの、ユリアン?」
 問い掛けるヘネラリーフェにユリアンは強く頷く。
「じゃあ、私も戦うわ」
 今度こそ自分で選択した結果だった。凛とした笑みが口元に浮かぶ。これでヘネラリーフェの復帰も決まった。あとは舞台に向かうだけだ。
 
 二月、最後の戦いの最初の火蓋は切って落とされ、それはワーレン艦隊の完全撤退によって勝利に終わり、彼等はイゼルローンに帰投した。
「皇帝のむ向こう臑に蹴りを入れてやったぞ!」
 誰が叫んだのかは不明だが、その叫びに応じて歓声が爆発し、白く五稜星を染め抜いた黒ベレーの大軍が宙を乱舞する。無論そのお祭り騒ぎの中心にはヘネラリーフェもいる。だが、そこにいるヘネラリーフェは三年前のあの彼女ではなかった。
 お祭り騒ぎは彼女のもっとも得意とすることだった。だが、彼女の心のどこかに、自分はイゼルローンを裏切ったのだという想いがあったのだ。
 いつかどこかで、ヤンに、そして僚友達に詫びなければ、この罪を贖わなければ……そんなことを、笑顔の裏側でヘネラリーフェは考えていた。

 五月末に生じた帝国軍とイゼルローン革命軍の全面衝突は、表面的な事象だけを順列整理すれば、不運でささやかな偶発事からもたらされたように見える。だがそれは急速に流れを早め、両軍を決戦の場へと駆り立てた。
 出撃を前にヘネラリーフェは一艦の巨大な戦艦を見上げていた。
「これを私に?」
 ヘネラリーフェの旗艦であったニュクスは、既に失われている、だが、ヘネラリーフェには司令官として艦隊を指揮してもらわねばならない。それには旗艦が必要だろう。ユリアンは、ビュコックから譲渡された戦艦をヘネラリーフェに旗艦として贈ったのだ。その艦はニュクスとは同型艦だった。
「確か艦名はタナトスだったと……」
「タナトス」
 ヘネラリーフェが艦名を低く呟く。
 あまり縁起の良い名ではない。タナトスとは、古代ギリシャ神話で死魔を意味するのだ。だが、それは夜の女神ニュクスの息子とされている神の名でもあった。
「ありがとう、ユリアン……ありがたく使わせてもらうわ」
 ヘネラリーフェがユリアンを振り返って微笑んだ。
 死魔……なんと自分に相応しい名だろう? この時彼女は自分自身こそが死魔の誘惑に取り付かれていた。
 その時、ヤンがヘネラリーフェを呼んだが、それは彼女を現実の世界に呼び戻すには十分すぎる呼びかけだったことだろう。
「あまり無茶しないように。それから馬鹿なことも考えないように」
ヘネラリーフェからの攻撃を受けて以来、ずっと危惧していることをヤンは釘として彼女に刺す。ヘネラリーフェのことだから、きっとこの戦いでイゼルローンを裏切ったことへの罪を贖おうとするのは目に見えていた。ただ、それだけがヘネラリーフェに釘を差した理由ではない。実はヤンはビュコックからヘネラリーフェの病のことを訊かされていたのだ。
 ハイネセンでバイエルラインに撃たれたあの時、その所為で出血を止めるのに時間がかかったということも訊かされていた。彼女に怪我は厳禁なのだ。できることなら出撃させず要塞の自分の傍らに置いて監視したかったが、逆にヤンが出撃しない以上、ヘネラリーフェの存在は前線に必要不可欠だった。
 渋々釘を差すだけで彼女を見送ったヤンだったが、彼の釘が一体どこまで通用するのかは本人にも疑問だった。が、ここにいる誰の言葉よりも恐らくヤンの言葉が一番容れてもらえる可能性が高いのも事実なのだ。つまり、ヤンにできないことは他の人間にもできないということでもある。だが、曖昧に頷いただけでヘネラリーフェは出撃していった。この時点でヘネラリーフェは自身が無事でいることを考えていなかったのかもしれない。

 

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