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第十二章

九 あなた以外に……


 ミッターマイヤーがヘネラリーフェの本心に気付いたとしても、彼の部下までもがそうとは限らない。だが、逆にその存在がロイエンタールの救いにもなる筈だった。
 ミッターマイヤーとロイエンタールは強い友誼を交わした仲だ。つまり、ミッターマイヤーがロイエンタールを弁護したところで決定的な信用には至らないとも言える。その時、客観的な立場からそうは思わなくてもロイエンタールを弁護出来うる人材が必要だった。
 バイエルラインとビューローは正にそんな役回りにうってつけだった。
「危険です、どうぞお考え直しを」
 そう言って留めようとする二人を、ミッターマイヤーは半ば強引に引き連れてハイネセンへと向かう。
 ミッターマイヤーを迎えたのは、ヘネラリーフェただひとりだった。ただ、バイエルライン達にしてみれば、まさか自作自演の演技とはこれっぽっちも疑っていなかったばかりか、どこかに彼女の意を受けた人間が潜んでいるかもれないとの思い込みから、目の前にいるたったひとりの女に何等手を出すことはできなかった。
 好都合といえば好都合だし、それでは困るといえば困るというのが、ヘネラリーフェの気持ちだろう。
ミッターマイヤーの瞳の色から、彼が自分の思惑に気付いていてくれていると悟ったヘネラリーフェは、これ幸いにと強行手段にうって出た。
「動かないでいただきましょう」
 冷たい銃口がミッターマイヤーの胸を狙っている。彼は動かなかった。ヘネラリーフェが自分を撃たないことがわかっていたからだ。だが、彼の部下は違った。上官の危険を察し、バイエルラインが自分の銃をホルスターから抜き咄嗟に撃ったのだ。
 冷たい衝撃がヘネラリーフェの胸を貫き、彼女は床に崩れ落ちた。衝撃はやがて切り裂かれるような痛みへと変化していく。自分が撃たれたのだと気付いたのは、無意識に胸を押さえた手が鮮血に彩られたことを知ってからだった。だが、これこそ計算ずくのことであった。ロイエンタールを助ける為には、自分は撃たれなければならなかったのだ。
 こういう事態を考えていながら、だがミッターマイヤーは直ぐには動けなかった。直ぐ動けばヘネラリーフェの捨て身の賭けが無駄になるとわかっていたのだ。
 胸のあたりがキリキリ痛むのをやり過ごしながら、ミッターマイヤーはゆっくりとした動作でヘネラリーフェの傍らに片膝をついて彼女を抱き起こすと、極力冷ややかにと努めながら彼女にロイエンタールの居場所を問い質した。
「ロイエンタールは何処にいる?」
 だが、ヘネラリーフェは答えない。答える必要はなかった。痛みと出血の為、声自体を出す力さえも残っていなかったという方が彼女の様子をより物語っているのだが、だが、それとは別に簡単に口を割れば、最後の最後に計画が台無しになるという想いもあったのだ。
 それに、どうせロイエンタールには危害は及ばない。それ故、見つけ出すのにどれほど時間がかかっても構わないのだ。時間がかかればかかるほど、ロイエンタール被害説はその重みを増すだろう。どうしても見つからなくても、その時はベルゲングリューンが、もっともらしく見付け出せば良いことだ。
「探せ」
 ミッターマイヤーが焦ったような口調で部下に命じた。それは演技でもなんでもなく、一刻も早くこの茶番を終わらせ、そしてヘネラリーフェの手当を……との想いからである。が、ヘネラリーフェの方はそんなことはご免被りたい心境であった。助かれば逮捕される。そうなれば尋問を受けるだろう。それは避けたかったのだ。自分が死ねば被疑者死亡のまま事は片付けられるだろう。そう……首謀者さえいなくなれば、誰も傷付かずにこの叛乱は幕を閉じるのだ。 
 ラインハルトも彼の傍に仕える者も無能ではない。現にロイエンタールを今回の叛逆騒動に貶めた元凶であるラングも既に逮捕・拘禁されている。首謀者がいなくなれば叛乱はおさまり、それでも地下で燻るラング以外の元凶を彼等なら必ず挙げるだろう。ロイエンタールは新領土の総督の任こそは解かれるかもしれないが、恐らく統帥本部総長として返り咲ける筈だ。
 そこまで計算しつくしてのヘネラリーフェの行動だった。だから、悪戯に助けられてはかえって困るのである。だが、ロイエンタールの想いはそれを許さなかった。
 ヘネラリーフェの躰を抱き上げるミッターマイヤーの腕が、彼女の躰から流れる血潮で真っ赤に染め上がる。出血は留まることを知らず、ミッターマイヤーを濡らし続けた。
「リーフェ!?」
 背後からかけられた声に、ミッターマイヤーは一瞬声を失った。ロイエンタールだったのだ。恐らくベルゲングリューン辺りを問い詰めたのだろう、血濡れのヘネラリーフェの姿に、彼は一瞬で事態を把握したようだった。
 殊更にすべてをミッターマイヤーの部下の前でぶちまける愚を犯さなかったのは、彼が自らの保身を考えたわけではなく、ヘネラリーフェの気持ちを思いやったからだろう。それでも、正気を無くしかけたとも思える呼び掛けだけで十分すぎるほどだった。
 バイエルラインとビューローは、蒼白になってヘネラリーフェに駆け寄るロイエンタールを呆然と見やり、そしてミッターマイヤーは内心で舌打ちをした。
 ロイエンタールがここに現れたのは、ベルゲングリューンが動いたわけではなく、ただミッターマイヤーの部下が優秀すぎただけのことであった。だから、見つかるのが早すぎた場合を考慮にいれなかったのがこの状態を呼び込んだ最大の原因だろう。
 だが、これで良かったのかもしれない。遅くなればそれだけヘネラリーフェの命の危険が高まる。そうなれば、ロイエンタールの身は助かっても彼は一生自分自身を許さないかもしれないのだ。ミッターマイヤーはそう思いなおし、ヘネラリーフェのグッタリとした躰をロイエンタールに預けた。
「どういうことだ。何だこれは……リーフェ、お前何をした!?」
 さすがにヘネラリーフェの尽力を無にするとばかりに、ミッターマイヤーがロイエンタールを押し留めようとしたが、だがロイエンタールは聞き入れなかった。自分の身などどうでも良いのだ。今更保身を考えるくらいなら、ミッターマイヤーに言われたあの時、皇帝の元に参上し身の潔白をたてる道を選んでいた。
「医者を……医者を呼べ、ミッタマイヤー!!」
 悲痛な叫び声が木霊する。そんなロイエンタールの頬に、力を無くしかけた華奢な指が渾身の力で伸ばされ触れた。
「医者はいらない……」
 荒い息の下でそう言うと、ヘネラリーフェは微笑んだ。なんの曇りもない、清々しいほどの微笑……
「なぜ俺を助けた」
 掠れた声が尋ねる。こうなってもまだ、ロイエンタールは彼女の自分への気持ちを計れずにいたのだ。
「言った筈よ……貴方を殺すのは私だと……こんな馬鹿げた策略に貶められては困るの……貴方には私が殺すに相応しい男でいてもらわなくちゃ……」
 強がりだった。そうじゃない、そうじゃないのだ……だが、ヘネラリーフェはそれを口に出さず、ミッターマイヤーの方を見やり、聞き取れるか取れないかの微かな声で話し掛けた。
「一連の叛逆事件の主犯は私……ロイエンタールに罪はない。あの金髪の孺子にそう報告して下さい。捕虜上がりの反逆者なんてもっともらしくて信憑性が高いでしょ? このまま私が逝けば被疑者死亡で片付けられるし、傷つく者はいなくなる」
「では誰が俺を殺すのだ?」
 ロイエンタールの言葉にヘネラリーフェは力のない苦笑を浮かべた。
「そうね……最期の最期に肝心なことを忘れるところだったわ。私って馬鹿ね」
 それだけ言うと、ヘネラリーフェは意識を失った。結局ロイエンタールはヘネラリーフェの本心を知ることはできなかっのだ。
 今更訊くまでもないと思うのは、ミッターマイヤーが二人に近い存在であり、それでいて第三者でもあるからだろう。
「バイエルラインもビューローも、ここで見たことは他言無用だ。一切忘れろ。もし洩らしたら……俺は卿らを殺す。いいな、忘れるな。ウォルフガング=ミッターマイヤーに二言はない。もし他人にこのことを一言でも洩らせば必ず殺してやる!!」
 傷ついたヘネラリーフェの手当の為にロイエンタールは彼女を抱き上げ医務室へ向かい、その場にはミッターマイヤーとその部下だけが残されたが、そこでミッターマイヤーは、普段の公明正大な人物像からは想像もつかないほど苛烈な言葉を吐き出した。
 ヘネラリーフェの心を無にしたくなかったのだ。その為には俺は罪人になれる……ミッターマイヤーの決意はそれほど固かった。

 ヘネラリーフェが助かったのは恐らく奇蹟だろう。バイエルラインの撃った銃弾は、ヘネラリーフェの左鎖骨下を貫いていたのだ。あともう少し手当が遅れたら出血多量で命は失われていただろう。ただそれは、ヘネラリーフェの病の所為で出血を止めるのに時間がかかった為の危険と言えなくもなかった。
 目覚めたヘネラリーフェの顔のすぐ横にロイエンタールの寝顔があった。意識の戻らないヘネラリーフェに付き添って、そのまま突っ伏して寝てしまったのだろう。こんな状況でロイエンタールの顔を見るのは実は二度目だなと苦笑が漏れた。
 ハイネセンで彼を庇って傷付いた時も、ロイエンタールはこうしてヘネラリーフェに付き添っていてくれたことを思い出したのだ。
 その横に別の人物を認め、ヘネラリーフェは一瞬照れたような、それでいてバツの悪い表情をした。
「お義父さん、お義母さん」
 思えば心配の掛け通しだ。特に今回は、同盟に与した者には何等関係のない事態だった。連絡を受けた夫妻はさぞ驚き、心配したことだろう。しかも一時は命まで危ぶまれた重傷なのだ。
「ごめんなさい」
 どうしても知らぬ顔ができなかったのだと、ヘネラリーフェは呟いた。放っておけば確実にロイエンタールは自らを破滅させていた。だから、見捨てられなかったのだと……好きとか嫌いとかではなく、自分が後悔するような生き方だけはしたくなかった。
 だが、その行動こそが真実の心を現しているではないのか? ビュコックはそう思ったが、敢えてそれを口にはしなかった。してもヘネラリーフェが自分で気付かなければ意味がないのだと思いなおしたのだ。
 総督府内の混乱に乗じてビュコック達はミッターマイヤーにここに案内されたらしい。今日のところはミッターマイヤーの為にも早く立ち去った方が良いだろうと、ビュコック夫妻はそっと病室を後にした。
 それを見送ったヘネラリーフェは微かな溜息をつくと、眠るロイエンタールの髪にそっと指を絡ませた。その感触にロイエンタールが目を開ける。このシチュエーションも二度目である。二人の視線が絡み合った。
「私、助かっちゃったんだ……」
 ポツリと呟かれた言葉にロイエンタールは苦笑すると、改めて問い掛けた。
「あんな無茶までしてのけて……何故放っておかなかった?」
 そうすればローエングラム王朝初の叛逆者として自分は逝く筈だった。勿論最初からミッターマイヤーに負けるつもりなどない。自分は皇帝と戦いたかった。だからその為にはミッターマイヤーを倒さねばならなかったのだ。
 だが、今こうしてヘネラリーフェと対してみれば、それもある意味自分の我が儘だったのだと思い知らされる。戦闘を繰り広げる限り、犠牲は絶えず付きまとう。ロイエンタールひとりで戦争をするわけではないのだ。
 彼は皇帝に叛逆したのだから、彼のもつ艦隊は既に彼のものではなかったが、それでもロイエンタールについてきてくれる者は多かっただろう。そんな人間達を死地に追い込まねばならないのだとしたら、それは矜持という我が儘でしかない。
「何故、俺を助けた?」
 再度ロイエンタールが問い掛ける。微かな声が彼の耳に流れ込んだ。
 「私、貴方が……」
 動かされた口唇をロイエンタール自分のそれで塞いだ。待ち望んでいた筈の答えを自らで拒んだのだ。
 「嫌いよ……貴方なんて大嫌い……」
 ヘネラリーフェの澄んだ青緑色の双眸から涙が一滴零れ落ちた。

 ヘネラリーフェをイゼルローンへ帰す。その言葉はロイエンタールの口から放たれた。だが、自分ではそれを実現することは難しい。
 叛逆事件の混乱で、ハイネセンの艦隊はその機能をほぼマヒさせていたし、そんな事件があった後に如何に『被害者』とはいえ、艦隊を自由に動かすことは憚られたのだ。結果的にこれにはミッターマイヤーが尽力することなる。
 傷も癒えぬままヘネラリーフェが義父母に付き添われてハイネセンを発ったのは、宇宙歴八〇〇年(新帝国歴二年)もそろそろ暮れようとしている頃であった。
 自覚した筈なのにどこか憎しみも残したままの、それは別れだった。ヘネラリーフェは、ついに己の心に素直になることなくロイエンタールの元を離れたのである。

 

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