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第七章

七 乱反射


 事態は急激に動き出した。ヘネラリーフェが予測したよりも早く……
 リートベルク伯爵と顔を合わせたその日のうち、つまりあの男のことをようやく思い出したその日の夜にヘネラリーフェに逮捕の手が伸びたのだ。
 リートベルクとしては相手に手を打つ時間を与えることなく事を運ばせたと得意満面のようであったが、思ったより早かったとは言え(明日の朝と思っていたのが半日早まったくらいだ)そもそも予測済みの事態であり尚且つ覚悟していたことでもあったので、自分でも驚く程ヘネラリーフェは冷静だった。
 そして幸運なことがひとつ……逮捕されていて幸運というのは些かおかしな表現かもしれないが、ともかくこの逮捕劇にリートベルク伯爵本人が個人的に動いたことは幸運だった。
 確かに彼が手段を選ばぬ人間だということに恐怖がないと言えば嘘になる。だが、彼自身がロイエンタールの邸宅に乗り込んで来たということは、つまり軍部はまだ関与していないと判断できるのだ。 他の人間ならともかく、仮にも上級大将の私邸である。叛逆の疑いがあったとしてもおいそれと踏み込めるものではない。
 軍部がヘネラリーフェを逮捕するというのなら、正当な手続きを踏んだ上で憲兵隊を送り込ませるか、或いはローエングラム公の名でロイエンタールが直接出頭を命ぜられるか、そのどちらかの筈なのである。
 少なくともラインハルトは勿論のこと諸提督達すら信用していない男に逮捕の指揮をとれと命ずる輩はローエングラム元帥府には存在しない。オーベルシュタインなら或いはありえるかもしれないが、彼が知り得ているならそれこそ憲兵隊を出動させるだろう。
 恐らくリートベルクは完璧を期すために事を公にする以前にヘネラリーフェとロイエンタールとの関係を明白にするつもりなのだろう。その調書と彼女の身柄を決定的な証拠としてラインハルトに送りつければ簡単に事は済む。
 そしてその証拠などそれこそどうとにでもなるのである。ヘネラリーフェに自白させるのもよし、捏造するのもよし……彼女が口を割らないとは微塵も考えていなかった。言わないなら言わせればよいのだ。例え虚偽の言葉であっても……
「久しぶりですね、ヘネラリーフェ・セレニオン……」
 リートベルクの侮蔑の眼差しと嘲笑の口元がヘネラリーフェに嫌悪感を抱かせたが、表面上は寸分も顔色を変えることなく彼女は冷ややかな眼差しで彼を一瞥したのみであった。あの双璧ですら驚嘆させたヘネラリーフェの精神力である。昔ならいざ知らず、一々こんな男の挑発に乗るほど彼女はお子様ではないのだ。
 だがそんな不遜な態度は、大人になりきれていない男の自尊心を大いに傷付けたようだ。いきなりヘネラリーフェの襟首を掴むと、耳元に囁くように毒を吹き込んだ。
「良いのかな? そんな態度をとって。まったく昔と少しも変わらないね、君は。その妖しすぎる眼差しといい、人を小馬鹿にしたような薄笑いの口元といい……」
 ヘネラリーフェと並べばどんな見目麗しい宮廷の姫君でもたちまち霞んで見えるほどの美貌を持ちながら……この私が花嫁にと望んでやったにもかかわらず……
「逆らわなければ助けてやらなくもなかったが」
 助けて、そしてどうしようというのだ? 十数年前の計画通りヘネラリーフェを妻として伯爵家に迎え、そして一生をかけて飼い殺しにするとでもいうのだろうか。
「お前に助けられるくらいなら殺された方がマシね」
 それこそ小馬鹿にしたようにクスクスと嗤いながらヘネラリーフェは冷たい声で言い放った。挑発しているようにも見えたが、案外本心かもしれない。リートベルクとはまた違った意味でヘネラリーフェはかなり自尊心が強い。いや、この場合、気高いと言うべきかもしれない。
「その強情がいつまで続くかな?」
 小動物をいたぶる獣のような目をしながらリートベルクはヘネラリーフェの華奢な躰を背後に控える部下に向かって乱暴に突き飛ばした。
動けるようになったとは言っても、そもそも死にかけたほどの傷を負っていたヘネラリーフェである。その乱暴な扱いに彼女の躰が悲鳴をあげた。
「痛ッ……」
 思わず漏れ出た苦鳴にリートベルクの口元に残酷な笑みが浮かんだ。
「ほぉ~~ どこか怪我をされているようですね」
 丁寧な口調がこれからおこる凄惨な責めを思い起こさせる。
「連れて行け」
 ヘネラリーフェの腕を後ろ手に捻りあげ、部下は乱暴に彼女の躰を車に押し込む。
「ロイエンタール上級大将閣下。いずれ貴官にも尋問させていただくことになりましょう。が、今日のところは退散させていただきますよ。ああ、そうそう、妙な行動を起こそうなどと考えないように。後悔するのは貴方の方ですよ」
 勝ち誇ったような高笑いを残して、リートベルクはヘネラリーフェを連れ去った。
 どうやらヘネラリーフェを助けようなどとは思うなと釘を刺しているつもりらしい。今日のいかにも恋人然とした演技を信じているのだろうか? それが吉と出るか凶と出るかはまだわからないが、間違った情報を疑いもせず切り札に使おうとする輩に勝利はない。
 ただロイエンタールの置かれた状況はかなり厳しい。さすがにローエングラム公に全てを話して助けを求めるわけにもいかない。数年前ミッターマイヤーを救うべく動いたときと比べると救う相手に問題がありすぎた。
「さて、どうしたものか……」
 ぐずぐずはしていられない。らしくもなく、ロイエンタールに焦りが生まれた。リートベルクの様子からヘネラリーフェに拷問が加えられるだろうことは明白だ。いつまで保つかとかそういう問題ではない。とにかく落ち着かなかった。
(あの女が傍にいないから?)
「莫迦な……」
 思わず声に出して呟いていた。自分自身で浮かべたその想いを振り払おうとする。
 違う……断じて違う。事が急展開したことでただ精神が高揚しているだけだ……そう思おうとするものの、そうすればするほど連れ去られたヘネラリーフェの顔が脳裏に浮かび上がる。
「落ち着け……今はあいつがどこに連れて行かれたかを突き止めることが先決だ」
 自分の気持ちは後からゆっくりと考えれば良い……そう自分に言い聞かせることで、ロイエンタールはようやく平素の冷静な司令官の顔を取り戻した。
 今すぐに動くことは得策ではない。どうせリートベルクのことだ、それとなくロイエンタールの動向を見張らせているに違いない。
 うまくいけば良いが……咄嗟に車に取り付けた発信器が見つからないことを祈りつつロイエンタールは一旦屋敷の中に戻った。
 暫く誰も近付かないようにと執事に伝えると彼は書斎に籠もった。発信器の電波を追うべく端末を立ち上げながら卓上の電話の受話器を取り上げる。
 ヴィジホンではなく旧式のプッシュホンだ。彼ほどの高級将官になると軍事的、政治的な機密事項に関わることが多くなる。その為、盗聴やハッキングに供えて大抵ヴィジホン以外に旧式の電話を備えておくのが常であった。今回も盗聴されたりする危険性が全くないわけではなく、ロイエンタールは念には念を入れミッターマイヤーにその電話を使って連絡を入れた。
「動き出したか……」
「ああ」
 内心の焦りを冷徹な表情の下に押し隠し、短く返答をする。
 恐らく元帥府直轄の機関にヘネラリーフェを連行することはないだろうというロイエンタールの見方は当たった。どうやら彼等の車は山の中へと向かっているらしい。発信器の電波を追いながら行き先の予測を端末で計算する。出されたデータからロイエンタールはある一軒の別荘を弾き出した。
「卿は見張られているのだろう?」
 ミッターマイヤーにしてもあまり自由に動けるとは思えなかった。双璧をひと括りで見ているであろうリートベルクが、ミッターマイヤの動向に注意を払っても何等不思議はないのだ。だがロイエンタールは数瞬考えてその考えを払拭した。
 理由は、まずひとつにリートベルクが単独で動いていることが挙げられる。彼が元帥府の高級官僚だったとしても、公的ならともかく私的に動かせる人員には限りがある。公的な権力を行使すれば今回の一件がラインハルトの耳にも入り、下手をすれば決定的な証拠を掴む以前に独断で動いたことを問い詰められる可能性も捨て切れない。
 今ひとつは、恐らく彼はヘネラリーフェがロイエンタールにとって特別な、つまり恋人だと思っているということだ。さすがに私的すぎる内容にリートベルクは目的を変更せざるを得なかっただろう。最終的な目的は目的として、恐らく今回は標的をロイエンタールだけに絞ったと見ても良いだろう。
「あの男は頭が良い……そこが狙い目だ。きっと自分の手腕に酔っている。そこを突けば或いは」
 ロイエンタールは端末が弾き出したデータをミッターマイヤーに知らせると、後から追いつく旨を伝え先に追ってくれるよう依頼した。
 ヘネラリーフェは見かけはどうあれあの歳で、しかも女性でありながら少将にまで上り詰めた有能な軍人である。その辺の貴族のボンボンと比べるのは失礼だが、内心はどうあれ外観的には捕虜になったことにも、そしてロイエンタールの仕打ちにも動じなかった彼女が、彼等にそう簡単に屈する筈がない。
 そもそも司令官として何度も熾烈な激戦の渦中に立っているのだ。どれほどの尋問を受けようとも、戦場と地上では精神的に追い詰められる度合いが違いすぎる。そう信じて……いや、信じたかった。
 帝国軍将官と同盟軍将官、対局に位置する相容れない人間でありながら、だが今この時、ロイエンタールとヘネラリーフェはまさしく同じ目的を持つ戦友であった。それがかつての彼とダグラスの短い遊戯を思い起こさせ、ロイエンタールは口元に微かに苦笑を浮かび上がらせたのだった。
(少しの間耐えてくれ)
 問題は彼女を助け出した後どうするかということであった。あまりに騒ぎを大きくしてしまうと……自分自身が蒔いた種ながら、刈り取るのは至難の業だ。自嘲を込めた忍び笑いが端麗な口元から零れた。
「俺も覚悟を決めた方が良さそうだな」
 保身を考えているわけではない。そんなことを考えるような男ならそもそもヘネラリーフェを手元に置きはしなかった。
 ヘネラリーフェの決意を秘めた強い眼差しが脳裏に甦る。
 リートベルクに捕らえられたとき、ヘネラリーフェが自身の保身を考えあの男に協力すればロイエンタールを陥れることなど造作もないことだったろう。そうすればこれ以上ロイエンタールに服従を強要されることなく、そして今現在のリートベルクならヘネラリーフェを軍部から隠し通すことなど容易いことの筈であった。それで全てを終わらせることができた筈なのに……だが彼女はそうしなかった。
 ケリを付けると言っていた。そして覚悟を語った彼女のあの強さと潔さ……それはロイエンタールに覚悟を決めさせるに十分なものだった。
 ロイエンタールが書斎の窓から外を窺う。研ぎ澄まされた鋭敏な感性が、彼を見張っているだろう者達を捉える。満月に近い煌々と降り注ぐ衛星の光が雲によって阻まれ、辺りは漆黒の闇と静寂に包まれる。戦闘開始のそれは合図であった。

 

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