top of page

雛人形は見た!
 

 これは何かの呪いだろうか。

 帰宅したケスラーは居間の一部を占領している奇妙な物体を前に、半ば放心した。
 否、『物体』という表現は曖昧がすぎる。人形だ。人形であることはわかる。しかし『ニンギョウ』というより『ヒトガタ』。地球時代のリバイバルが流行の昨今、『ネコ型ロボット』なるネコとは似ても似つかぬキャラクターを取り巻くドタバタアニメが放映されているらしいが、これはまさしく『ヒトガタ』だ。『ヒトガタ』以外の何物でもない。
 オリエンタルと言っていいのだろうか。細面の顔に切れ長な瞳が描かれている。以前にフロイライン・ブラウシュタットから見せていただいた、『着物』という民族衣装を身にまとった人形たちだ。そう、人形たち。単体ならばレトロで趣を感じさせてくれたかもしれないが、こうも複数で構えられると、妙に存在感がある。
 いや、言葉を取り繕うのは止めよう。

 はっきり言って、気持ちが悪い。

 整然と並べられた人形たちは、一様に無表情で、誰も彼もが正面を向いている。それぞれがよくわからない物を手に持って、一体、何をしたいのか。このまま宙を浮遊しそうな、得体の知れない恐ろしさがある。

 まぁ、浮遊するなら浮遊するでそれもよし。そのまま何処かへ飛んで消えてもらえば。

 ケスラーがとりあえず人形らしいものと対面して小一時間ほどした頃、玄関からがさがさと物音がしてきた。きゃぁきゃぁと女の高い声が聞こえてくるところからして、マリーカとマリアが買い物から帰ってきたのだろう。最近のマリアは突拍子もなく帰省してきて、また突拍子もなくハイネセンに旅立っていく。ケスラーは二人を出迎えようと足を動かそうとした。
 が、どうも床から足を持ち上げづらい。
 何かがあるわけではない。しかし人形たちが己を見ている。己が人形たちを見ているはずなのだが、人形たちは己を見ている。そんな根拠のない確信が、ケスラーにはあった。人形たちが何を言いたいのかは不明だが、そんなことは当たり前だ。人形が言葉を駆使し出したら、それこそホラーだ。

 ああ、そう言えば、昔に人形が動いて人を殺しまくるホラー映画があった。あの映画では人形は包丁を振り回していたが、この人形たちが持っているのは武器なのか。

 これは棍棒だな。
 この細いのは…吹き矢だ。ニンジャ映画で見たことがある。
 それで、これは……

「人形に喧嘩売ってるんですか?」
「はっ?」
 振り向くと、そこには確かにマリーカがいたが、同伴していたのはマリアではなかった。気の強さを体現した美貌のヘネラリーフェが、両手にスーパーの袋を下げて、ケスラーに呆れた視線を投げている。後ろにはマリーカが、胸に娘を抱えて控えている。眠っているらしいエリカを寝室に置いてくると言って、居間に入らずに廊下を直進して行った。
 ヘネラリーフェは他人の住居であることをわかっているのか、いないのか。彼女らしい無遠慮さでカウンターキッチンに入り込み、買い物袋から中身を広げ出した。
「いえね、雛人形を睨みつけてるから…順番でも間違えてたかしら?」
 順番?
「豪華でしょ~。エリカとミミの二人分だからね。ちっちゃいの二つにするより大きいのを一つにしようと思って、かなり奮発したのよ」
 二人分?
「どうせ財布はロイエンタール持ちだから、もっとド派手なのにしようかと思ったんだけどさ。片すのが大変になるじゃない?片付けるのが遅れたら、その方が問題だし」
 片付けるのが遅れる?
 ケスラーにはヘネラリーフェの言が欠片も理解できなかった。唯一わかったことと言えば、この人形たちがロイエンタールの金で購入されたものだということだけ。『奮発した』ということは、結構な値段であることは予想できるが、こんな奇天烈なものを贈られたのは、果たして善意なのか、それとも金をかけた嫌がらせなのか。
 礼を言うべきか、言わざるべきか、迷ったケスラーは素直に疑問を質すことにした。知ったかぶりをして馬鹿をみるよりも、無知を晒した方がマシな結果が得られるというものだ。
「え~っとですね、フロイライン。とりあえず、この(気持ちの悪い)人形は何ですか?」
「あれ?知らない?『雛人形』っていうの。由来はいろいろあるけど…一言で言ってしまえば、女の子の健やかな成長と幸せを願うためのお祭り飾りかしら。今じゃ一概には言い切れないけど、昔は女の子の幸せと言ったら『結婚』だからね、結婚式を模した人形を飾るというわけ」
「お祭りですか」
「そ。三月三日は女の子の節句。この家には未婚の女の子が二人いるからね~」
「……」
 気持ち悪いだの、武器を持っているだの、言わなくて良かった。
 やはり、無知は無知として、素直に認める作戦は成功だったと、ケスラーは胸を撫で下ろした。

 ケスラーが不在のとき、マリーカと二人でお茶でも飲んでいるのか。ヘネラリーフェは勝手知ったる他人の家とばかりに、次々と冷蔵庫やら戸棚やらを開け閉めし、買い物してきた食材を詰め込んでいく。ケスラーは、プライベート空間がどうのこうのと気にするような繊細な人間ではなかったので、ヘネラリーフェの動向を気に留めることはなかった。
 とんとんと廊下に足音が跳ねる。マリーカが戻って来るのだろう。
「とりあえず、ロイエンタールに礼を伝えてください」
「はいは~い」
 ヘネラリーフェの手がひらひらと振られる。
 彼女には恩を着せようとか、見返りを期待しようとか、そんなつもりはないのだろう。純粋に、イベントが好きなのだ。戦場を生き抜いてきた彼女は快楽を愛していて、それはロイエンタールとの関係だけを指すのではなく、楽しいことを楽しむことが好きなのだ。おかしな言い回しだったが、生の喜怒哀楽を満喫するヘネラリーフェには相応しい言葉のように、ケスラーは思った。

「かわいいでしょ~雛人形。私も買ってもらっちゃった☆」

 アレを『かわいい』と表する感性は理解不能だったが。

 

**********



 夕食後、エリカを風呂に入れてやるのはケスラーの役目だ。マリーカは脱衣所で、バスタオルを持って待ち構えている。最近のエリカは這い這いを覚えて、放っておくと濡れたまま室内を這いずり回るので、ケスラーとマリーカのリレー作業は住環境を快適に維持するため、必死のものとなる。
 この日も、マリーカは脱衣所で二人の入浴を待っていた。エリカはお風呂が好きならしく、歓声が浴室に響いていた。
「ほら、のぼせてはいけないからね。あがるよ、エリカ」
 聞こえてきたケスラーの声に、マリーカはバスタオルを用意した。これにエリカをくるんで、居間までダッシュするのが、マリーカの日課だ。マリーカは子供まで産んだというのに、未だにケスラーの裸体に慣れることがない。偶に自分でもおかしいと思うのだが、エリカを受け取るとき、ケスラーの全裸が恥ずかしくてたまらないのだ。
 今日もマリーカは逃げるように脱衣所を出ていった。いつまでも初心な妻の背中に向けて、ケスラーが笑みを零したのも知っている。それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。大好きなお風呂からあげられて愚図る娘をあやして、マリーカは羞恥心を誤魔化した。
 雛壇の前で、オムツを穿かせ、寝巻きを着せる頃には、ケスラーも居間に戻って来た。手荒い仕草で頭を拭きながら、幼児用の薄い麦茶を用意するのが、ケスラーの次の任務。出来上がったそれを受け取り、エリカに飲ませながら、マリーカは雛壇を見つめた。
 見れば見るほど、豪華な雛壇だ。
「ミミもフェザーンに来れればよかったですね」
 エリカとミミの幸せな結婚を祈る飾り雛だ。マリーカは「ミミにも見せてあげたかった」と言って、息を吐いた。
 ケスラーは風呂上りのビールに喉を鳴らしつつ、首を傾げた。
「来月には来るらしいから、そのときにでも見れるだろう」
「無理ですよ。四日には片してしまいますもの」
 ケスラーは更に首を捻り、よくわからないといった表情で妻を見た。
「ミミが来てから片付ければいいし、ここまでデカイと仕舞いこむのも億劫だな。そのまま放置しておいてもいいんじゃないか?」
 夫の発言に、マリーカは眉を跳ね上げた。知らないのかもしれないが、ここは一言、釘を刺しておかなければならない。
「雛壇は節句が終わったら早く仕舞わないといけないんですよ。そうしないと、女の子の婚期が遅れるんです!」
「……」
 ケスラーの顔は器用に歪んだ。何を言えばいいのかわからないのだ。
 はっきりきっぱり、エリカがどこの馬の骨ともわからぬ男に嫁ぐ姿など、想像したくない。しかし、マリア・ミヒャエルは流石にそろそろ考え始めてもいい頃だ。エリカがマリアの年になってもふらふらしていれば、それはそれで心配だろう。それでも、手放したくないという気持ちがないわけでもない。エリカもマリアもずっと自分のところにいればいい。そんなことを考えてしまう。
 沈黙したケスラーを、マリーカはじーっと見つめていた。ケスラーの考えていることなどお見通しだ。
「どうせ『結婚なんてしないで、ず~っと家にいればいい』なんて考えているんでしょう」
「あ、いや、そういうわけじゃ」
「自分は若くて可愛い奥さんを貰っておいて、妹や娘の結婚はお祝いできないの?」
「そうじゃないんだが…」
 幼妻に頭の上がらないケスラーだった。

 

**********



 頃は新緑眩しい五月。
 端午の節句は男の子のお祭りだけど、美味しいものは見逃せない。ヘネラリーフェは柏餅を土産に、マリア・ミヒャエルを訪ねた。定番のこしあん、つぶあんもいいが、味噌あんも美味い。ちょっと買いすぎたかしらと思いながら。
 少しずつショーの仕事を減らしているらしいマリアは、その土産にもろ手を上げて喜んだ。マリアのフラットはお世辞にも綺麗とはいえない(というより、散らかし放題だ)が、その点は軍社会の乱雑な世界で生きるヘネラリーフェだ。たいした問題にもならない。
 室内に招かれたヘネラリーフェはしかし、思いも遣らぬものを目の当たりにして、土産を手から滑り落とした。それをマリアがナイスキャッチ。「お餅が潰れちゃうじゃない」と唇を尖らせる。
「お餅なんてどーだっていいのよ!あんた、何よ、あれ!?」
 ヘネラリーフェは居間にでで~んと居座る雛壇を指差して叫んだ。
 七段飾りの馬鹿でかい雛壇は、狭い居間をさらに圧迫して、床面積の四分の一を占めている。が、この際その大きさもどうでもいい。
 問題は…そうだ、餅だ。餅はどうでも良くはない。今日は柏餅を食すのだ。柏餅が絶品な、端午の節句なのだ。なんだって桃の節句と端午の節句を同時に味わうことになるのだ?
 動転するヘネラリーフェを前に、マリアは何を勘違いしたのか破願して見せて、くふくふと笑った。
「すごいでしょ~『お雛様』って言うんだって。兄様がね、『女の子の幸せを祈る縁起物だから、ずっと飾っておきなさい』って。わざわざフェザーンから送ってくれたの」
「でれでれしてんじゃないわよ!あんた、あれが何だかわかってんの!?」
「え~、だから『お雛様』だって言ったじゃない」
「…(あのハイパーシスコン男)!!!!!」

 フェザーンに帰ったらまず、奴を絞め殺してやろう。
 ヘネラリーフェの決意は固い。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------

またいただいてしまいました♪
みのりさん作の、今度はリーフェとミミとケスラーのコラボ作品です(#^.^#)
ロイエンタールは出てきませんが、しかし財布の紐を他人の為に緩めるとは、どうした風の吹き回しなのでしょう?ケスラーのパパっぷりにも笑えますね。
お風呂を入れるのはともかくとして、麦茶の用意までしてくれちゃうなんて、なんて良いパパなんだ!!
世のパパ、ケスラーを見習って下さい(笑)
みのりさん、ありがとうございました。
お返しは、後日に(#^.^#)

bottom of page