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第三章

二 憧れ


 初対面の人間に対してユリアンが持った印象はそれぞれ異なっていたし反応も様々であったが、その中でも特に彼がヘネラリーフェを眼前にしたときはなんとも形容しがたいものであった。いや、逆に態度がはっきりしすぎていたとも言えるのかもしれない。
「貴方がユリアン? よろしくね」
 穏静な口調と共に差し出された優美な手を握り返しながらも、ユリアンは自分の胸が高鳴るのを自覚した。
 まず深い青緑色の双眸に惹き付けられた。優しく微笑んではいるが、その瞳に深い憂いが揺蕩っていることに果たしてユリアンは気付いたのだろうか? とにかく目の前の女性から目が離せなくなっていた。
(こんな華奢で可愛らしくて綺麗な人が艦隊司令官だなんて)
 落ち着いて観察してみてまずそう思った。若さにももちろん驚いた。(なにせ二〇歳である。もっとも一二月になれば二一歳なのだが)ヤンから聞いてはいたが、この若さで少将閣下だなんて同盟史上始まって以来だろうし、それ以上に彼女の実力の程がわかるというものでもある。
 もっともヤンにしたって外見上はとても軍人には見えないのだし、加えて地位を思えば年齢的にはかなり若い。さらに彼にいたっては戦略や戦術では魔術師ぶりを発揮してもその他のこと、例えば家事や運動能力に関しては果てしなく才能がゼロに近いことを思えば艦隊司令官を外見で判断することはできないだろう。
 この時点でユリアンの持っているヘネラリーフェの知識といえば、彼女がヤンにとってなくてはならない部下であること、そしてビュコック提督の養女であることと元は帝国貴族出身であるということのみであった。
 世が世なら帝国の新無憂宮でお姫様として扱われていただろうとやけに楽しそうにヤンが話していたことをユリアンは思い出したが、確かに目の前の女性の容姿を見ればお伽噺に出てくるようなお姫様のような装いが似合うであろうことは断言できる。
 が、それはあくまでも外見的なことであり、ここから先の彼女の内面についてはユリアン自身の目で確かめるしかないのだが、ひとまず第一印象は良好を通り越していたことだけは間違いない。年齢よりはしっかりしていると見られるユリアンも、所詮は一四歳の少年だったのである。
「ここにいたのか、お嬢ちゃん」
 少年が恐らく憧憬であろう眼差しをヘネラリーフェに向けていたその時、その憧れの対象であるべき女性を背後から抱き竦めようとする不埒な人物が現れた。もっとも、あくまでも抱き締め『よう』としただけであり、達成する前に間一髪すり抜けられていたのだが。呆然としたのはむしろユリアンの方であった。
「いい加減抱き付くのはやめていただけませんか? シェーンコップ准将」
「そう怒んなさんな。挨拶だよ、単なる。それに抱き付く前に避けただろうが」
 いささか憮然とした表情で苦言を洩らすヘネラリーフェが実は本気で怒っていないこと、そしてシェーンコップの方が単に女たらしの性でその行為に走っているわけではないことはユリアンにも一目瞭然であった。ただ、こんな最前線でこういうやり取りを目撃するとは思っていなかったため、別の意味で目の前の光景は信じられなかったのである。
 変といえば、階級で言えばヘネラリーフェの方が上であるのに、敬語を使っているのは彼女の方ということにもある。まあ、これは年齢から見れば目上なのは明らかにシェーンコップの方であるし、彼はこの要塞の防御指揮官でもあるので深く考える必要もないのだが。
 それはともかくとして、シェーンコップとヘネラリーフェのジャレあいとでも言えそうな光景を見るうちに二人に対して微笑ましさが感じられ、ユリアンはこれまでの緊張が解けるのを感じた。
「ユリアン=ミンツとはお前さんか」
 言っていることと行動が伴わない、つまり間一髪すり抜けられたヘネラリーフェを再び背後から抱き竦めながらシェーンコップはユリアンに目を向けた。
 ユリアンのシェーンコップへの印象はヘネラリーフェとはまた違った意味で良いものであった。帝国貴族出身と聞いてはいたが、堅苦しい人間ではないようであったし、気さくで冗談も言うし話しもわかる。だが、甘い人間ではないということだけは人一倍感じられた。
 話しの合わない奴、話しても無駄な奴、と思われたらその途端見放されるのではないかと考えると、やはり気は抜けないと緊張が甦る。もっともそんな緊張がどこか心地良いものにも感じられた。
「射撃と白兵戦は俺が教えてやろう」
 ユリアンにとっては名誉あるこの約束を口にして、シェーンコップはヘネラリーフェの髪を乱暴に掻き乱して立ち去った。
(あれ? ブラウシュタット少将に何か用があったんじゃないのかな?)
 ユリアンの疑問はもっともであるが、当のヘネラリーフェの方は掻き乱された髪をおさえながら、憮然とした表情の中にも微かな苦笑を浮かべていたにすぎなかった。
 毎度毎度のことなので、一々目くじらを立てていられないということもあるだろうし、ユリアンが立ち入るべき問題でもないため彼はこれに関しての思考を閉じた。ただし、あくまでのシェーンコップとヘネラリーフェの関係に関して考えるのをやめたに過ぎなかったのだが。
「じゃね」
 ユリアンの真摯な眼差しは、軽く手を振って立ち去るヘネラリーフェにのみ向けられていた。
「目がハートになっているぞ、ユリアン」
 背後からかけられた声にユリアンは赤面しながら振り向いた。こうやってからかう人物に心当たりがあるとすれば、要塞内では今のところ一人しかいない。
「アッテンボロー提督」
 アッテンボローはヘネラリーフェのことを質の悪い冗談が得意だと言うが、そういう本人こそそれを最も得意とする人物であろう。ある意味ヘネラリーフェはアッテンボローの影響を受けていたと言えなくもないのだ。
 だが軍人としてはやはり傑出した人物である。アムリッツァで第十艦隊が全滅を免れたのはアッテンボローの功績であり、その大胆で的確な指揮ぶりはヤンも賞賛している。
 その辺りはユリアンもヤンから聞かされており、それ故司令官としてのアッテンボローとヤン家に来て冗談ばかり言っている彼の姿にややギャップを感じなくもなかった。
「あいつは、なかなか手強いぞ」
 いつになく真面目な声に、ユリアンはアッテンボローとヘネラリーフェがタダ単に知己であるということ以外に何かあるのではないかと瞬間考えた。
 心の奥底に何かあるだろうということを漠然と感じながらも、だがアッテンボローの本心にはまだ一四歳であるユリアンには気付けなかった。これがシェーンコップあたりなら一目瞭然であっただろうに。
「いいかユリアン、女の外見に惑わされるなよ。あいつはなぁ、豪華なドレスの下に下駄を履くような人間なんだぞ」(↑この時代に下駄なんてあるのか?)
 最初から言うつもりの言葉だったのか咄嗟に差し替えたのか、どちらにしてもこの言葉にユリアンは最初戸惑いを覚えたものの、優雅なドレス姿の下に下駄を履いて舌を出すヘネラリーフェの姿を想像してしまい、漏れ出る笑いを抑えることができなくなっていった。
 実際、それがどういう意味なのかわかる人間などいないだろう。が、ただなんとなくヘネラリーフェという女性が綺麗で可愛いだけの女性ではないであろうことだけはユリアンにも理解できた。もちろん、軍人としての才能以外の人間性の問題においてである。
「女って奴はなぁ、天性の女優だ。化けるのが上手い」
「それって覚えありですか?」
「当たらずとも遠からじってところだな」
 二人で笑いながらの会話。が、それが笑い事などではなかったということを、この後すぐにユリアンは思い知らされることになったのである。

 

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