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第四章

四 ボーダーライン


 追撃してきた同盟軍に対しての帝国軍の報復は熾烈を極めた。いや、むしろ当然の成り行きだったのかも知れない。
 統率のとれた帝国の援軍に比べ、追撃していったグエン、アラルコン両少将の艦隊は無秩序に行軍を続け、結果的に巧遅さと大胆さとの絶妙なコンビネーションによってつくられた罠の中に引きずり込まれたのである。それは敵が思わず「これが本当にヤン=ウェンリーの部下なのか?」と、むしろ苦々しげに独語するようなそんな醜態であった。
 ヘネラリーフェがそんな彼等を連れ戻すべく追いついたときには、端末で割り出すなどという手間などかける必要などなく、その目で友軍の絶望的な危機が見て取れる状況であった。
 瞬間「駄目か?」と思った。だが、まだ艦隊として機能しているそれを見たとき、数瞬の間も置かずして判断は下された。助けずに見捨てるわけにはいかないのだ。
 戦うにはまず相手を知ること。ヘネラリーフェは敵艦の識別をおこなうように命令したが、その数十秒後ヘネラリーフェに報告する声は驚愕のため悲鳴に近いものであった。
「トリスタンと人狼です!」
(帝国の双璧と謳われる名提督のお出ましか。相手に不足はなし)
 ただし、命がけの戦いになることは簡単に予測できた。そして、遭遇が予想時間より遙かに早いことにもこれで合点がいく。恐らくヤンは間に合わないだろう。そしてヘネラリーフェの艦隊だけでここを食い止め友軍を無事イゼルローンまで逃がさねばならない。あまりの難題に、有り難くて涙が出そうである。
「本艦以外の艦はすべて友軍の後背から援護にあたらせる。旗艦は敵と味方の間に突入する。その前に、最低限の要員以外を旗艦から退艦させなさい」
 実際は泣いている場合ではなく、ヘネラリーフェは頭の中の思考を作戦を組み立てることに切り替えテキパキと命令を下していく。だが、彼女の命令は部下達にとって無茶以外の何物でもなかった。
「旗艦を敵の真っ直中に突入させるのですか!?」
 しかも乗組員に退艦命令まで出してである。司令官にその気がなくとも、彼女が自分の生命を盾にしようとしていると思わせ動揺を走らせるのも無理はなかった。
「そのような命令は聞けません! 危険すぎます」
「部下を守るのが上官の義務でしょ。言うことを聞きなさい」
 まるで子供に言い聞かせるような口調である。あまりに軽く、そして明るい口調であることが緊迫した状況に不釣り合いで一種異様でさえあった。だが逆に怒鳴られる方がまだ逆らい易くもあるのだ。あまりに穏やかなヘネラリーフェに、彼等は命令に逆らうことは許されないのだと悟った。
「まず年齢的に若い者を先に退艦させましょう。悪いわね、年功序列で」
 飄々とした言葉はこれまでの幾多の戦闘をくぐり抜けてきた時と何等変わるところはない。その落ち着きがこれまでの彼女の不敗を支えてきているのだと確信している人間は、それだけを信じて上官の命令を実行しはじめた。
「退艦完了しました」
「よし、全艦総力戦用意! 目標前方敵艦隊」
 号令が下った。艦隊は一斉に友軍の援護に回り、敵がそちらに気をとられている隙に旗艦ニュクスは一瞬その空間から姿を消した。
「何かがワープアウトしてきます!!」
 絶叫はロイエンタールの旗艦トリスタン内で起こった。確認する必要はなかった。報告を聞いたロイエンタールが前方スクリーンに目をやると、同盟軍の戦艦が至近に現れたのである。
 まるで、敵軍の前に立ちはだかろうとでもいうように。だが確かに前進はできなくなった。しかもたった一艦とはいえ、相手は的確に狙って砲撃をしかけてくるのである。
 敵ながら大したものだとロイエンタールもミッターマイヤーも賞賛を浴びせると同時に司令官がどういった人物なのか興味を抱く。その答えは案外早くもたらされた。
「イゼルローン要塞駐留分艦隊旗艦『ニュクス』です」
(あれが)
 不敗のヤン=ウェンリーと同様に帝国軍にとっては苦杯を舐めさせられ続けている夜の女神が目の前にいる。しかも芸術的とも言える戦術でだ。それがロイエンタールを高揚させた。そしてそれは熾烈な攻撃となってニュクスに叩き付けられたのである。
「これ以上は保ちません!」
 絶望的な状況を覚悟の上での作戦だった。ヘネラリーフェは表情を変えることなく前方を見据えている。
「味方は脱出した?」
「はい、なんとか」
 では失敗ではなかった。無茶な作戦なりに目的は果たすことができたのだ。後はここにいる部下を無事に逃がすことがヘネラリーフェの義務と責任である。
「後方に機雷を投下。それから貴方達も直ちに脱出しなさい」
「閣下は?」
 問い掛けにヘネラリーフェは答えなかった。そもそも後方に機雷を投下とはどういう意味なのだろうか? 反撃の機会を伺うにしても、ただ逃げるにしてもそれは後方にではなく前方にするべきものの筈なのだ。無数の無言の問いかけがヘネラリーフェを包み込んだ。
「ちょっとね……考えがあるのよ」
 自信ありげな表情で説明されたその作戦は、だが艦橋にいる者達を衝撃の渦の中にに叩き落とした。
「ゼッフル粒子をですか?」
 絞り出されたような声は震えている。
 ヘネラリーフェが考えた作戦は、後方に機雷を投下し、そこに更にゼッフル粒子を用いて引火・爆発。帝国軍の追撃を足止めさせるというものであった。確かに追撃は逃れられるだろう。勝つことが目的でなく無事に帰ることが目的なのだから、これで十分な筈である。 
 だがひとつだけ問題があった。旗艦の消滅が避けられないこと、それである。そしてこれが自動制御でできるような作戦でないことを知るや、彼等は己の心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
「残るおつもりなのですか?」
「他に適任者がいないでしょ」
 苦笑さえ浮かべながらヘネラリーフェは答えた。それは作戦を思いついたときから考えていたことだったのだ。特攻とか玉砕、自己犠牲などというものに美意識を感じることも感動も感慨もないが、友軍を助けるにはこれしか方法がなかったのである。
 ヤンは、いやそれだけでなくイゼルローンにいる仲間はヘネラリーフェのそんな行動を許しはしないだろう。
 もう少し持ちこたえればヤンが救援に駆けつけてくれることも十分に承知している。だが、それまで保つのか? という想いの方が強いのも事実なのである。
「閣下が残るおつもりなら小官も残ります!」
 想像通りの部下からの答えにヘネラリーフェは滅多に見せぬ厳しい眼差しと声音でその言葉をピシャリとはね除けた。
「黙れ! これは上官命令だ。命令が聞けぬなら銃殺にする!」
 言うなり腰のホルスターから銃を取り出し、照準を異を唱える副官に合わせる。哀しいまでに澄んだ眼差しに彼等はヘネラリーフェの覚悟を思った。
「まだ死ぬと決まったわけではないでしょ? 私のしぶとさと運の良さは貴方達が一番知っている筈よ。大丈夫、簡単に諦めたりはしないから。最期の最期まで足掻くから。だから今は言うことを聞いて脱出しなさい」
 ゼッフル粒子に引火して機雷が爆発を始めれば、誘爆は旗艦にもひろがる。それも驚異的なスピードでだ。脱出する時間があるとはとても思えなかった。 
 それでも確固たる決意を秘めた目をするヘネラリーフェに逆らえる者は誰もいなかったのである。
 脱出したシャトルが機雷群の中を抜けていく様子を見守りながらヘネラリーフェはタイミングを計っていた。作戦を実行する前に旗艦が消滅してしまっては元も子もなくなるのである。
 極力これ以上この艦を傷付けたくないと思ったのは、だがそれだけではない。この艦には義父ビュコックの想いが込められているのだ。
 彼女の脳裏に、同盟で暮らした十数年が走馬燈のように流れ出した。自分を不幸な人間だと思ったことがある。だがその反面幸せだと思ったことはその何倍もあった。いつだって自分を愛してくれる人達がいたから。愛しいと思う人がいたから。
「まいったなぁ、死ぬ気がなくなったと思ったらこれだもんね。運も尽きたか」
 足掻け! シェーンコップあたりがそう怒鳴っているだろう場を想像すると苦笑が漏れる。自嘲を含む言葉を吐くと同時に彼女はミサイルの発射ボタンを押した。後方から炎が迫ってくるだろうことが艦を包む強い光でわかる。そして爆発の衝撃がニュクスを襲い、ヘネラリーフェは床に叩きつけられた。
 
 薄れいく意識の下でヘネラリーフェは星を数えた。憧れてやまない輝きと宇宙の深淵。ダグラスは星に限りない憧憬を抱いていた。この無数に散らばる星の海のどこかに彼はいるのだろうか……
(ダグの嘘つき……戻って来るって言ったのに。でも私も嘘つきになっちゃった。帰るって約束したのに)
 イゼルローンで待っているであろう仲間の顔が浮かんでは消えていく。
 新たな誘爆がおこり、艦はオレンジ色の炎に包まれる。激しい出血と痛みのせいで朦朧とする意識の中で、ヘネラリーフェは自らの躰に何かが覆い被さるのを感じた。それが現実のものなのか死神の見せた幻なのか、判断する力は今の彼女にはない。
(ダグ?)
 思い浮かぶのはダグラスとの幸せな日々。ダグラスの腕の感触、抱き締められるときの心地良さ、そして結ばれたあの日あの夜……あれから幾度眠れぬ夜をすごしたことだろう。どれほどの涙で枕を濡らしたことだろう。それももうすぐ終わる。
(もう少し……もう少しでこの苦しみから解放される。ダグ……貴方の所へ逝ける)
 ヘネラリーフェの光を無くしかけた青緑色の瞳が静かに閉じられる。涙が一筋、頬を濡らしていた。

 

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