top of page

第三章

三 CONTRAST


 数日後、シェーンコップが約束通り白兵戦技の訓練をしてくれるということになりユリアンは言われた場所へと出向いた。ローゼンリッターの強者が集まる中、だがシェーンコップの姿だけがないことに疑問を抱く。
 所在を問うとすぐに戻ってくるだろうと返事が返ってきた。なんでも訓練に必要なものを取りに行ったのだとか。訓練に必要なものとはいえ要塞防御指揮官が部下に任せず自身で動くなんて随分とフレキシブルなんだなとユリアンが感心していたところでシェーンコップが戻ってきた。
 その場にいた全員の目が点になった。シェーンコップの腕の中には確かに彼の言う『訓練に必要なもの』があったのだが、それは彼以外の人間には必ずしも必要なものとは思えないような、それどころか場に相応しくないようなものであったのだ。
「いい加減に離して下さい」
 突っ慳貪な声が放たれた。が、その冷静な声のおかげで一同は呆然状態からなんとか意識を平静のレベルまで引き上げることに成功したのである。    
「まったく、どういうつもりなんです?」
「たまには身体を動かすことも必要だと思ってな」
 怒り心頭という様相のヘネラリーフェに、だがシェーンコップは皮肉っぽく笑いながら軽くあしらってしまう。この時点でシェーンコップがヘネラリーフェの白兵戦技の能力を知っていたわけではない。
 確かに初対面の時にヒットこそしなかったものの彼女の鋭敏な動きは自身で体験していた。それでも薔薇の騎士連隊第十三代連隊長から見れば、ヘネラリーフェのそれは普通の女性からすれば確かに軍人だけのことはあったが所詮はか弱い女のものでしかなかったのである。
 それ故、恐らく本気で訓練に参加させようなどと考えていたわけではなかった。むしろ息抜きでもさせようくらいにしか思っていなかった筈である。
 そのあたり、フェミニストを自称するシェーンコップのことだからなんとなく理解できたのだろうか、ローゼンリッターの隊員からはそれ以上特に苦情が出ることもなく、まあ迷惑になりさえしなければという雰囲気さえ見え始めなんとなく有耶無耶になりつつあった。あくまでも無理矢理連れてこられたヘネラリーフェ以外は、だが。
 シェーンコップの方はそんな彼女に構う気は更々ないと見え、無言で部下であるブルームハルトに合図を送った。
 背後から襲いかかるという形容が一番相応しいような形でブルームハルトはヘネラリーフェに突進した。誰もが彼女の反応を予想した。即ち、悲鳴を上げて泣き出すなり座り込むなり、とにかく『女性』の反応を予想したのである。
 それはもちろん首謀者であるシェーンコップも同じだったであろう。いくら鋭敏な運動能力を有していようとも、相手は百戦錬磨のローゼンリッターなのである。
 勿論女性相手に本気で飛びかからせるつもりもないし、ブルームハルトとてそのあたりは含んでいる筈である。だが、彼は若手の隊員の中でも有望視されている人材でもあった。つまり相手が若干二〇歳で少将にまで上り詰めたとはいえ、そして士官学校を首席で卒業したとはいえ、例え手加減して挑んでもたかが女に負けるような男ではないということなのである。
(えっ!?)
 しかし数瞬後、腕を庇いながら呆然と膝をついていたのはブルームハルトの方であった。誰もが信じられないものを見たという眼差しで、悠然と立つヘネラリーフェを見つめている。
 彼等が目撃したのは、飛びかかるブルームハルトの手首を咄嗟に掴むとそのまま彼の腕を捻るようにして床へと屈服させたヘネラリーフェの俊敏すぎる動作であった。
 彼女の華奢な腕をブルームハルトが振り解けない筈もないので、無造作に掴んだわけではなさそうである。それはあきらかに訓練された姿であった。
 唖然とする隊員にシェーンコップはさらに無言で合図を送り、今度は数人でヘネラリーフェへの攻撃を仕掛けさせた。戦場ならこんなことは多々あることなのである。もっとも、いくら戦場であってもシェーンコップが女性相手にこういう策に出るとは考えにくいことでもあるのだが。
 そして数瞬後……いくら手加減したと言っても最強で知られる薔薇の騎士連隊である。それがただひとりの女に無惨にもあしらわれ、床とラブシーンを演じさせられたもの数多くという面目丸つぶれの状態に成り下がりつつあった。
 ただ一人、口元に苦笑ともとれる笑みを浮かべて悠然と構えるシェーンコップ以外は……
「もういいでしょう?」
 さすがに息を乱しながらヘネラリーフェが言い放つ。しかしシェーンコップはとんでもないとでも言いたげに彼女の腕を掴んだ。
 特に力を入れているわけでもないのに振り解けないところはさすがシェーンコップといったところだろうか。ならば思いっきり蹴飛ばしてやろうとヘネラリーフェは足を上げた。が、それもあっさりとかわされてしまう。咄嗟に張り飛ばすべく掴まれていない方の腕を振り上げたが、それが逆に裏目に出てしまい両腕を拘束される結果にしかならなかった。
 そのまま壁に押さえつけられてしまう。空気が張りつめるのが、見守るユリアンにもわかった。
 もっともそれまでの彼女の反撃を見る限りは、アッテンボローの言うとおりヘネラリーフェという女は優雅なドレスの下に下駄を履いて、更に相手の脛を思いっきり蹴り付けるような人間なのだと認識できたのだが。
 キツイ眼差しでヘネラリーフェがシェーンコップを睨み付ける。そんな彼女に彼は一言言い放った。
「ダグラス=ビュコック」
「!?」
 掴まれていた腕が解放されると、ヘネラリーフェは壁にもたれたまま力無くズルズルと崩れるように座り込んだ。先程までとはうって変わった儚げな彼女の一面を垣間見たような、ユリアンはそんな気になった。
「どうして彼の名を?」
 俯いたまま右手を額に押し当てるようにしながらヘネラリーフェが呟いた。これまで誰も彼とヘネラリーフェを繋げて見る者などいなかったのだ。
 もちろんビュコックという名を聞けば誰だってあのビュコック提督と何か関係があるのか? と考えるのだろうが、彼はもう何年も前に戦死した人間であり、その名が人の口に上ることなど最近は皆無だったのである。
「陸戦部隊の人間にとっては有名だからな。惜しい男だった」
「そう……」
「お前のその身のこなし、仕込んだのはあの男だな」 
 シェーンコップの言ったことは真実であった。士官学校の訓練だけではここまで見事な動きをすること自体が不可能なのである。あきらかに人為的な手が加えられてこそのヘネラリーフェの白兵戦技であった。
 もっとも、ダグラスがヘネラリーフェの従軍に反対であった以上、本気で人を殺す技を教え込むとは思えない。仕込んだのは確かにダグラスだが何十パーセントかの、例えば身の軽さなどはやはりヘネラリーフェ自身の天性の才能ということになるだろう。
「本気で教えてくれたわけじゃなかったけどね。彼は私が軍人になることに反対だったから。身を守る方法として教えてくれたにすぎなかったけど、思わぬ所で披露する羽目になっちゃったわね」
 自嘲ともとれるような微かな笑い声がなんとなく寂しげに感じられる。静かで哀しげなヘネラリーフェの姿は、先程までの戦う姿とはまた違って見つめる者達を確実に惹き付けていた。
 静と動・陰と陽、それは見事なまでのコントラスト。ユリアンは己が確実にヘネラリーフェという人間に惹き込まれていくことを感じていた。

 

bottom of page